郷土をさぐる会トップページ     第15号目次

ダンスホール

最初のダンスホールは「オアシス」で昭和二十六年に某氏によるバラック造りで、現本町三丁目三(コンビニエンスとだ)の裏手にあって、数カ月後吉永満雄が譲り受け三年弱くらい営業した。バンドはなくレコードのみで、近隣町村からもトラックに乗り合わせて踊りに来たが、付近住民からは騒音と素行の悪い者が居たりして評判は良くなかった。
その後自衛隊が駐屯した翌年の昭和三十一年に、旭川の松田という女性が、花園町現在の富町一丁目一番大久保電気資材倉庫の所に平屋建てダンスホール「ニュージャパン」を開業した。建物入口は色電球で飾りホール内には上着外套預かり所を設け、土・日曜日と何か行事のあるときに、旭川よりバンドマンと共に通って来て営業し、自衛隊員や近隣町村の若者で賑わった。女性の入場料は男性の半額若しくは時間が早ければ三分の一位だったので女性客が多く、ダンスホールの壁際に立ちパートナーを待っていたので(壁の花)などと言われた。しかし昭和三十六年頃に営業を止めた。
尚、その頃四町内、現錦町一丁目一番の高橋建設の所にスナックと兼ねての小さなダンスホールがあったが、昭和三十二年四月五日夜中の一時にストーブの過熱で全焼した。
協力者 吉永満雄・田中久恵・和田利之・土井松子 (鈴木 努記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉