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落葉松(カラマツ)

明治三十七年、郵便局長であった河村善次郎が東三線北二十五号附近にカラマツの苗圃を設け、苗木を育成して八反歩のカラマツ人工林を作ったのが上富良野における元祖である。明治時代の造林というのは、他にあまり例が無い事であった。明治三十七年に続いて明治三十九年東中小学校敷地に、明治四十三年には西谷元右ヱ門が東中地区に、大正に入り大正九年東中十六号道路奥に植林、昭和になって軍需品・杭木が目的で価格も高騰する。これが造林熱に拍車をかけ、大生産された。
特に昭和十九年には苗木九十万本を植えた事もあり、上富良野駅からの杭木輸送量は道内一であったとも言われていた。終戦により需要が無くなり、カラマツの植林も一時的に皆無の状態となったが、昭和三十年代に入ってから道内の木材資源が少なくなり、パルプ材や炭鉱の杭木材として再び植林が始まり、昭和四十年前後迄雑木林からカラマツ林に変っていった。
又、離農地においてもカラマツの植林が進み、どこを見てもカラマツの山林となるが、昭和四十年代から五十年代に夕張炭鉱、芦別炭鉱等の閉山が続き、杭木材の使用が年々減少されて行った。又、パルプ材は、四十年代から五十年代にかけての高度生長時代に一時的に需要が多くなり、昭和五十六年をピークに高騰したが、その後毎年値下がりしカラマツ材の製品化がされるようになる。
昭和四十五年代は畜舎の建築材として使用されるが、五十年代に入ってから梱包材やパレット材、ドラム材等に向けられるようになる。
現在のカラマツの植林は、伐標準に対して三%程度と近年は植林も非常に少なく、このままの状態では三十年先にはほとんど皆無になるとも言われている。
(村上 登記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉