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青じそ

ラベンダー耕作組合はラベンダーの採油を行う一方で、青じそ、ハッカなどの試作を行って来た。
ハッカ採油については、江花の井村昭三、島津の前川光正、東中の吉河嘉逸等の協力のもとでハッカが試作されたが、その蒸溜過程に於て温度との関係により結晶する為、採油する迄に至らず、昭和三十九年より東中地区で六戸が試作していた青じその採油について焦点が当てられた。昭和四十四年の役員会に於て本格的な栽培、採油が決まり、青じそ栽培推進会議が開かれ、積極的に推進する具体策について種々検討が加えられた。今迄のラベンダー耕作組合の内部に青しそ部を設けると共に、先進地である北見、佐呂間町を視察し栽培技術について研修を行った。また四十五年には現地研究会を開き、島津前川、江花井村、更に草分、東中の各圃場に於て栽培管理についての検討会も行われた。
当初に栽培された地区別面積をみると、江花地区三・三ヘクタール、島津地区一・四ヘクタール、草分地区一・一ヘクタール、東中地区一ヘクタールの合計六・八ヘクタールであり、西山地区の面積が多かった。しかし、その後昭和六十三年に蒸留工場が東中に移設されると共に東中地区に多くの耕作者が増え、西山地区は搬出、その他の面で戸数は減少して来た。昭和六十三年、上富良野青じそ耕作組合が結成され今迄のラベンダー耕作組合から分離独立した。初代組合長に東中の柿原光夫・副組合長に島津前川光正を選出し二六名の耕作者と共に第一歩が踏み出された。青じそは種子が微粒の為整地、播種技術、除草剤撒布時期など管理面に留意が肝要だが、今日では上富良野に定着した安定作物であると思う。
せいろのような大きな釜に、切断した青じそを一杯に詰め込んで、高温の蒸気で蒸すと、蒸気と共に上ったしそ油をタンクに集めて冷却し、水と油が分離してしそ油は出来上るわけだが、油量はその年の天候や刈り取り時期の気象状態に左右される事が多いと言う。
会社としては、年間に必要な需要量を基準に契約する為、無制限に増反は出来ず、あくまでも契約栽培である。
昭和三十九年六戸で試作されてより二十有余年の間色々と紆余曲折の道程をたどり、試行錯誤をくり返しながら今日の姿に迄、青じそ栽培は定着した。功労者である故上田美一、前川光正をはじめ、役員の方々の献身的な御努力と、その御苦労に対し深く感謝と敬意を表したいと思う。
平成三年には、耕作者二九戸面積一六・四ヘクタール、生産油量七五一s、十アール当り四・五一キログラムと過去最高の成果を上げた。耕作以来二十五年目を迎えた平成六年、今井利幸が耕作組合長に就任され、取引も三番株式会社より曽田香料株式会社へと変ったが、上富良野に於ける特産物としての位置づけは変らず、現在東中二五戸、江花五戸の耕作者が二十二ヘクタールの作付を続けている。その生産されたしそ油は、ドレッシングを始め、多くの食品に添加される天然香辛料として利用されている。耕作三十週年を目指し、今後益々その利用範囲の拡大が進むよう、曽田香料をはじめ耕作組合の一層の発展を望んで止まない。
(安部彦市記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉