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農協婦人部

一、上富良野農業協同組合婦人部
戦前の婦人会はいろいろな変遷を経ながら歩みを続けていた。昭和十六年十二月八日の大東亜戦争によって一元的に統一する必要が起り、大日本婦人会上富良野村支部として村内全域の婦人が参加、二千百二十余名の会員をもって昭和十七年七月四日に発足した、しかし戦争の末期であった為、会の活躍も思うにまかせず、大きな印象を残す事もなく知らない人が多いのではなかろうか。敗戦によって婦人団体は、ほとんど自然消滅の形となったが、今度は個性のある婦人会が生れた。本当の意味の婦人団体は戦後だと言ってよいだろう、部落民の集会よりも婦人会の方が集りがよいと言われた程である。部落単位の婦人会は昭和二十三年頃に最も多く結成された。
いづれも婦人の教養を高め、資質を向上し、生活改善等が主な目的とある。事業の内容は、婦人講座、社会見学、農事懇談会、共同購入、資金造成等多彩であったが実績は大いにあがっていた。しかし戦後の混乱から次第に農村に対する環境がきびしさを増し、農民のより所である農協の健全な発展の為には農村婦人の果す役割が非常に大きいとの認識が自他共に高まり、農協婦人部の結成がみられる様になっていた。昭和二十九年、農協青年部が活動方針の中で農協婦人部の設立を期待し協力する事を決めて活動をはじめた。三代部長渡辺徳市を中心に青年部の面々が単位婦人会の有志の家を個別訪問して推進につとめたのである。
昭和二十九年八月二日、単位婦人会有志の集りに於て、部落婦人会をそのまま農協婦人部とすることの案をまとめ、三十二名の準備委員を選出する。八月二十七日結成準備委員会を開き、規約案、事業計画案を定め準備委員長に林下フサを選出する。石川組合長の指導によって各部落をまとめ、昭和二十九年九月十一日上富良野農協婦人部が設立された。初代部長には林下フサが選任され、綱領を「農協婦人部は使命を自覚し、教養を高め、品性を陶冶し団結の力によって、社会的、経済的地位の向上をはかり、農村婦人を解放し農業協同組合の健全なる発展に寄与し、住みよい豊かな農村を建設する」として大きく一歩を踏み出した。
二、東中農協婦人部
東中で婦人の組織が出来たのは大正七年頃の愛国婦人会で、会長は西谷イワ氏で会員は百五十名であった、資金造成は共同農作業でまかなっていた。国防婦人会が設置されてからは会員が重複することになったが、会員数は四百二十名であった。戦前また戦時中に東中婦人会が大きく発展し活動したが、それは婦人会の区域が広大で会員も多く、これが当時の国策遂行という目標に、まようことなくたち向ったからであると言う。
戦後、地域婦人会は婦人の知識向上を目的として昭和二十七年に出来ていたが、この頃から農業協同組合の精神とその事業の前衛となり、推進力となり、協同機関となり、ある場合にはその運営の革新をはかるとして青壮年部が結成された。これと同じく婦人部の結成も各地に見られる様になったので、母体である東中農協の中西組合長、田浦参事の支援と青壮年部の協力により、地域婦人会の組織の中に抱かれた形で、昭和二十八年二月、東中農業協同組合婦人部を結成したのである。初代会長に西谷キミ氏を選任、堅実な活動を続けていたが、昭和四十三年、農業協同組合の合併により上富良野農協婦人部と統合するに至った。
(菅野 稔記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉