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神 社

神社は日本人の「心のふるさと」だと表現されています。人々の精神的なより所として、また地域社会の調和・統合の象徴として、長い歴史を歩んで来たのが神社であって、まさに民族信仰の原点に位置するものでありましょう。
上富良野神社  祭神 天照皇大神
明治三十五年三月三日富良野村の総鎮守、富良野神社とし創祀、翌三十六年七月八日下富良野村の分村により上富良野神社に改称、明治四十二年建築社殿は本殿一坪、社殿六坪半の小規模のものであった。
祭典には競馬・相撲・芝居など行われ盛大を極めた。
平成元年六月二十二日、新社殿と付属施設が完成した。場所、宮町一丁目四-二十六。
初代宮司(社掌)生出柳治(宮城県桃生郡飯野川町字皿目村出身で、明治三十九年渡道し落合神社に奉職のあと、大正二年に宮司となり昭和十二年正式に社掌となる。)
草分神社  祭神 天照皇大神
明治三十一年四月十二日創祀、昭和二年八月十勝岳爆発罹災義援金五百円により起工し、同年十一月三十日に社殿再建立、場所、西三線北二十八号。
由来は、移住入植と同時に故郷より奉持したもの。天照大神御札によりお参りするとともに、当初野宿した楡の木を守り神として礼拝した。その後明治三十五年東旭川村の神職芦原氏に頼んで、正式に伊勢皇大神宮の御分霊大麻を受け神祀建立、富良野発祥の地に因み「草分神社)」称した。
東中神社  御神体 応仁天皇・神功皇后
明治三十二年八月創立、明治三十四年東九線北十七号付近に開拓時代の有志が建立、大正十年倍本、奥田所有地内の八幡神社と合祀の上遷宮、大正十二年に東八線北十八号に移設。昭和二十八年神社本殿新築、熊野神社は大正三年。風の神として倍本神社に創祀されていたが昭和三十八年に合祀された。
島津神社  祭神 天照皇大神
明治三十三年創祀、昭和四年九月五日全改修、昭和五十八年九月四日道路改修のため再改築し遷宮祭執行、島津農場は明治三十二年入植。祭日は九月四日、五日両日行う。
日新神社  祭神 大山津見命
明治三十六年創祀(木柱)、大正十二年六月十五日再新築奉祀、このとき堂宇鳥居を設置、場所は富良野川本流とピリカフラヌイ川の分岐点にある。
祭日六月十四日、九月十八日。毎年部落民が集まり除夜の鐘を聞いてお参りする。
秋葉神社  祭神 火之迦具土神
明治三十七年創祀、東中一東の林の中にあり、祠堂は旧東中神社の祠を頂いたもの。開拓当時山火事が多かったので「火伏せの神」として祀ったが、それからは奇妙に山火事がなくなった。高松由平が明治三十七年に遠州に働きに行き、遠州秋葉神社の御神霊を受けてきて、当初個人で湧き水の所に祭っていたが、その後、三島新右エ門その他一四戸で祭りをしてきた、祭日四月十五日。
江幌神社  祭神 大国主大神・天皇大神・八幡大神
明治四十一年七月一日創祀、大正五年七月一日再祀、江幌小学校傍。当初岐阜団体の神社として包子義一の土地に白山神社の名で八幡様を祭った。現在の社殿は棟梁黄田義栄で、丸太鳥居は小原勇治が平成五年六月二十九日寄贈。入植は、明治三十六年滋賀団体、三十九年岐阜、四十年カネキチ農場、四十三年衣川団体(宮城)
金比羅神社  祭神 事代主命
明治四十三年秋建立、昭和八年神殿再造営する。
場所は東八線北二十号、石造神社標(神社創祀七十年を記念して昭和五十四年十月建立)があり、東中土功組合等二幹線の水神として信仰を集めている。
四国の金比羅神社の御神体をうけ、仮宮を造って祭っていた。大正十四年五十嵐農場開放のとき敷地を寄贈され、更に上田氏他数氏の用地寄贈により落葉松、桜を植林した、祭日は四月十日、九月十三日。
古峯神社  火鎮めの神
明治末期〜大正初期、草分新生西五線北二十七号道路右上の山に建立、開拓時代火事が多かったので佐々木善之助が火鎮めの神として古峯神社の御神体をうけ造営したもの。毎年神主を呼んで四月十三日、九月十三日の春、秋祭りをしていたが、平成七年からは春のみ新生部落民だけでお祭りする。
八幡神社  御神体 京都岩清水八幡神社
明治四十三年十月十五日創祀、昭和三十三年半鐘下山の旭野第三に移設、山加農場主加藤岩吉氏が、札幌円山八幡宮を形どって創祀した。創祀のときの鏡が祭られている。
江花神社  祭神 天照皇太神・稲荷大明神
明治四十三年創祀、江花小学校裏手にあったが、終戦とともに移設し昭和四十九年九月二十日に江花開拓七十年を記念し、西五線北二十三号に社殿新築する、神殿は江花小学校元御神影奉安殿を移したもので、九月二十日にお祭りを行っている。
入植は明治四十年山形・土佐・秋田団体、四十一年越後団体、四十五年霜取牧場と記されている。
豊郷八幡神社  應仁天皇・天照皇大神(鏡)
明治四十五年頃創祀、大正十年には大正七年創祀の沼崎八幡神社を合祀する。昭和五十八年七月二十日全面改修、場所は里仁西十一線北三十五号。
里仁団体の団体長守屋熊治が発起し創祀した。豊郷団体に小さな観音堂もあったが、後日それも合祀した。入植は明治三十三年第二マルハチ牧場、三十九年阿波団体、四十二年豊里団体・津郷農場、大正八年沼崎農場、昭和十年村上農場。
八幡神社  八幡大神神璽
大正初期に富原四、ホップ園を南に見下ろす位置に創祀、富原四部落とサッポロビールポップ園関係者が九月十五日に神主を呼んでお参りしている。
津郷八幡神社  秋葉山御神体(鏡)(矛)
大正五年創祀、昭和五十三年に里仁津郷の国道西側山上の農場全体を展望できる現在地に移設する。
創立時は豆作景気であって、九月十五日お祭りをしている。
静修神社・熊野神社  祭神 磨仁天皇 神功皇后
明治四十二年創祀、最初の神殿は大正五年に建立する。大正七年には、明治三十七年入地した福島団体の天照皇大神、地神と静修三、四部落にあった天照皇大神も合祀した。明治四十年四月四日宮城団体が入植して二年後、団体長佐々木利左衛門が菅原米造に依頼し、御神体を受ける。当時熊の被害が多かったのでこれを除くために祭祀した。
清富神社  祭神 天照皇大神
昭和七年に松井牧場開放のとき創祀し、昭和十八年神殿造成する。神殿の左に一位の地神(角柱)がある。
祭日は四月四日と九月十四日十五日である。
富原神社  祭神 天照皇大神
昭和十八年創祀、東四線北二十三号から東五線北二十三号に移設し、平成八年九月八日黄田義栄棟梁寄贈の槍材によるもの。屋根は藤沢正幸により銅版で葺かれ新築神殿の祭祀を行う。
合体廃社された神社
衣川神社(江幌)、八幡神社(富原二)、江幌第六神社(江幌)
(大森金男記)

機関誌 郷土をさぐる(第15号)
1998年3月31日印刷 1998年3月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉