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終戦記念日に憶う

佐川 亀蔵 明治四十二年七月五日生(八十七歳)

八月十五日の今日は、終戦後のちょうど半世紀の五十年目。いつもの通り朝飯を済ませてから、今日正午頃に予定していた神社参拝をしようと思って、まず同じ酉年生まれで、どうやら歩ける人として、本町の宇佐見利治さんに電話をしたら、朝早くお参りを済ませて、これから富良野のお寺に行くところだとの事で、仕方がないのでひとりで出かけることにした。
先日、町に自転車を置いてきたので、仕方なく歩いて町へ下りる事にして八時半頃家を出た。町で息子のところに寄り、自転車に乗って神社に行った。
十時半頃に着いたが、少したった十一時ころになって少し雨が降って来たが、神社境内を歩き、昭和十九年応召した日の事を考えながら、あちこち見回していた。大きく立派に育った樹木や、それぞれの年の厄年の人たちが、寄進した施設や建物等を見て「やっぱり上富良野は良い所だなあ」と感じながら他にお参りに来るであろう人を待った。
そのうち、向山さんが見えられたので、二人で神殿に進みでて参拝した。今朝来たとき社務所に寄った際に、生出宮司さんは東旭川神社のお祭り支援に出かけるところで、私達は、前宮司の奥さんから、お神酒を頂いた後「上がって休んで行きなさい」と言われるまま遠慮なく上がり、昔の応召した日の事から、復員したその日の事などを話しているうちに、お昼になり昼食も御馳走になってしまった。
午後になり同年兵で戦死された江花三の菊地久助さんの所に出掛けた。(私も高齢となり後になっては来られないだろうと思って)暫くぶりだったので道路等が分からなくなって、お伺いしたのがずい分遅くなってしまった。菊地久助さんは、一緒に召集された六人の中で、誠に残念ながら一人だけ戦死されたのである。
横須賀に入隊後は、それぞれ各地で新兵教育を終え、原隊の横須賀に戻って間もなく、彼は硫黄島に行くことになったが、硫黄島が陥落したので南方の島に行くことになり、移動途中の船で亡くなったとの事である。軍隊は運隊だと私共は言っていたが、全く自分の意のままにならないから、仕方がないこととは言え、思えば三十六歳の若さで亡くなった彼の事や、家族の事などを考えると何とも言えない思いである。
特にこの頃の世相と言おうか世の中の変遷には、複雑な思いがする。長生きをすればするほど、その度合いが増してくる。
大正十五年五月二十四日の十勝岳大爆発のとき、沢の方に出かけ、もう二〜三分歩くのが早かったら、あの泥流に巻き込まれて死んでいたはずの爺さんが、長生きをするようにと言ってつけてくれた「亀蔵」という名前だ。一日遅れて生まれてつけてくれた従兄弟の鶴蔵さんは、その時十八歳で泥流に流されて死んだし、同じ従兄弟で八月生まれの福蔵さんは、四十歳位の時だったか、天塩警察署勤務の時この世を去り、それぞれ長生きするようにつけてくれた名前だが、人生はさまざまである。
大正五年に山奥の第四教育所(後の日新尋常小学校)に、父に連れられて入学した事は、今でも覚えている。背が低かったから、エンバネスとか言う二重マントの肩の方を着て間に合わせていた。
ある時、高木先生の所へイナキビの酒を持って行ったが、世程嬉しかったのだろう色々とお世話してもらい、その後高等科(今の中学校)へ行かせてくれた。当時は、私共農家は貧乏だったので、高等科へは行ける状況ではなかったけれども、名前だけしか書けない文盲の父は、息子だけは何とかして高等科へ入れたいと思ったのだろう。
尋常科一年生の時は、男女あわせて二十数名いたが、尋常科六年を卒業する時には、男子だけのたった六名であった。女子は、大抵二年か三年で学校を辞めて、子守やら家業の農作業の働き手として使われ、どこの学校でも辞めた人が多かった。
その後も色々な事があったが、昭和十九年七月十二日軍隊に入隊した時は、もう生きて帰れぬと思って家を出たが、幸運にも怪我ひとつせず無事帰ってこれた。
帰ってからは、病気に掛かったり、助からないだろうというような大怪我をし、富良野協会病院に入院したが、お医者さんをはじめ看護婦さんたちの懸命の治療によって、十七日余りで退院することができたし、その後も、何回も怪我をしたが、今日まで生きながらえている。恐ろしい持病も持っている私だが、こうして長生きできるのは、みな世の人々のお世話の賜物である。お陰様で、どうやら自分の身体の事は自分で出来るので、有り難いと言うほかはない。一生の中には色々の事があろう。
今日の終戦記念日に一瞬胸中をほとばしるものがある。特に、僅か一年二ヵ月ばかりの軍隊生活ではあったが、私にとっては、人生の非常に尊い体験となった。戦争を知らない若い人達に、最近人生体験を書いてほしいとか、戦争の話しを聞かせてほしいとか言われている。
青春期に全てをなげうって、祖国の平和と繁栄の名の下に、戦場に駆り出された若い人たちを思い、すでに鬼籍に入られた同輩たちや、年とった戦友たちの事を考えると、私ひとりはものの数ではないが、残った者のつとめとして、出来るだけ暇を見いだして、思い出をたぐりながら書き、話していくつもりである。
戦争を知らない若い人の為に=@ 〔平成七年八月十五日記〕

機関誌 郷土をさぐる(第14号)
1996年7月31日印刷  1996年7月31日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉