郷土をさぐる会トップページ     第12号目次

― 子どもの作文 ―

小学校では、三・四年の社会科を中心に、地域社会(郷土)の人々の生活と自然環境や生涯・消費活動、施設の働きや協力の様子、地域に貢献した先人の苦労や業績など、地域における社会的事象を具体的に観察し、資料を効果的に活用できるようにするとともに、特色や相互の関連などについて考える学習をしております。また、全学年で見学や勤労体験学習、老人に学ぶ交流学習など、郷土を知り、愛し発展を願う態度を育てる諸活動がなされています。
あすの郷土をつくる子どもたちの作文は、前号の上富小、清富小に続き、本号では、江幌小、上富西小、東中小の郷土学習での感想文を掲載しました。

静修の昔のようす

江幌小学校三年  山中奈保子
昭和60年1月23日生(8歳)

私のすんでいる静修の昔のようすについて知りたくて、おじいちゃんに話を聞きました。
静修の昔は、畑があまりありませんでした。山はたくさんあったけど、工事をしたり、山をくずしたりして、畑にしてしまいました。今は、じやがいもや豆やビートの畑が広がっています。
静修一には昔、家が二十一けんありました。農家をやめてしまう人もいて、今は十けんしかありません。人の数も今のばいぐらいいたそうです。全部の家で馬をかっていました。
学校に行くときは、遠くても歩いていきました。買物に行くときは、夏は馬車で行きました。冬は馬そりで行きました。
電気は、おとうさんが小学三年生だったころについたそうです。それまでは、ランプを使っていました。
今は、車もあるし、テレビもあります。今は、昔よりもずっとべんりです。昔の人は、不便な生活をしていたのに、がんばってはたらいていたので、すごいなあと思います。私も大人になったらたくさんはたらきたいです。


ふん火から命を守る

上富良野西小学校四年  山田  愛
昭和58年11月17日生(10歳)

私のおじいちゃんから聞いた話だけど、昔の十勝岳のふん火は、とってもたいへんだったそうです。百人以上もの人が、でいりゅうにながされて死んでしまったり、ゆくえふめいになったりしたそうです。それだけではなく自てん車や自動車くらいもながされたそうです。でいりゅうは、私のおじいちゃんの家の近くまで来たそうで、たいへんだったそうです。
私がほいくしょに行っている時、また十勝岳がばくはつしました。その時のばくはつは、そんなに大きなばくはつではありませんでした。でも私は、その時ひなんして、とてもこわかったことをおぼえています。それよりも大きなさいがいが昔おこったかと思うとむねがぞくぞくしてなりません。
四年生になって私は、社会の勉強で、十勝岳のぼうさいしせつを見学することになりました。
九月二八日火曜日の三時間目から、どぼくげんぎょうしょの三人のおにいさん、金子さん、佐々木さん、村上さんのあんないで、十勝岳のぼうさいしせつ見学をしました。
いろいろなせつめいをしてくれたのは、佐々木さんです。
まず最初に見たものは、日新のそうなん記念ひです。
おにいさんが、「これは、記念ひです。この下の台は、十勝岳がふんかしたときにながれてきたもので、重さは、あけぼのが約百人、こにしきで約七十人ぐらいなんだよ。」と教えてくれました。
私はそれをきいてびっくりしました。そんなに重いものが十勝岳からながれてくるなんて、私には、考えられないからです。
次に日新ダムを見ました。
おにいさんが、「このダムの大きさは、グランド二つ分以上の大きさで、作り方は、ロックフィルダムって言うんですよ。」と教えてくれました。私はそれをきいて、おにいさんは、この作り方を、ロックフィルダムと言っているのだからほかにもいろいろな作り方があるんだなあと思いました。
それから、十勝岳火山さぼうじょうほうセンターに行きました。
ついてから二かいでボルカニックビジョンと言う火山についてのえいがを見ました。十勝岳の火山のことについて、とてもよくわかりました。だってマンガみたいにせつめいしてあったからです。
えいがが終わってから下に行って3Dえいがを見ました。二かいでみたのとちがってこんどは、メガネをして見ました。メガネをして見ると、でいりゅうが目の前までながれてくるようで、はくりょくまんてんで、とてもこわかったです。
3Dえいがが終わってから、となりにある火山がおこったら、どんなにこわいかの、えいがを見ました。そのえいがを見て、地球のまん中は、千度以上もある、とてもあついところだということもわかりました。
おべんとうが終わって、さいごに三号ダムを見ました。今はつくっていると中で、らい年、できるよていだそうです。パイプ一本がなんと二百万円もするそうです。
この見学をして私は、十勝岳のでいりゅうをふせぐためには、こんなにたくさんのダムやしせつが作られているんだなあと思いました。また、そのしせつやダムを作るには、たくさんのお金をつかうんだなあと思いました。
私は、いつおこるかわからない十勝岳のふんかが心配です。ふんかがおこると、せっかくラベンダーのきれいな上富良野も、ふんかで、ラベンダーがながされてきれいな街ではなくなってしまいます。
そういうのをふせぐためにも、ぼうさいしせつやダムはかかせないのだと思います。

魚よ、もう一度ベベルイ川へ

東中小学校六年  野木玲那
昭和56年5月3日生(12歳)

今、私の住んでいる近くの川、ベベルイ川に魚があまりいなくなってしまいました。札幌などでサケが川に帰ってこないというはなしを聞いたことがありますが、まさかベベルイ川にもおこったとは信じられませんでした。
八月二十三日に「郷土の川を知る」というイベントがありました。川について、たくさんのひとからいろいろな話を聞きました。
昔の川には魚がたくさんいて、水がすきとおっていたそうです。川の水でせんたくをしたり、川の水で米をといだりしたそうです。お母さんが子どものころも、川でお米をといだそうです。そのたびに足にドジョウなどがすいついてきたそうです。
昭和五十六年八月四日北海道に台風が上陸し、つくりかけだったベベルイ川の橋が流されたり、水があふれるなどというすごいじたいになったそうです。そのために、川をひろげる工事が行われ、魚がすみづらくなったと聞きました。
最後のほうのお話で、魚の住みやすい川についてお聞きしました。魚を住みやすくするには、「水草などがたくさんあり、かくれががたくさんあり、エサもほうふにあったほうがいい。」と言っていました。
考えてみれば、ベベルイ川にはこの中のどれもが少なくなってきているような気がします。
私はこんなに川のことをたくさん知ることができてよかったです。ふだんではどうしても勉強できないことがわかったので本当によかったと思いました。いつか魚がもどってきてくれて川がきれいになるように、私も努力したいです。       (おわり)


機関誌 郷土をさぐる(第12号)
1994年2月20日印刷  1994年2月25日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉