郷土をさぐる会トップページ     第12号目次

続・戦犯容疑者の囹圉記 (その12)

故 岡崎 武男 大正七年七月五日生(昭和四十三年没)

囹圉記 16
自 昭和二十一年十月二十二日
至 昭和二十一年十一月二十日



十月二十二日
日記も気に掛けながら暫く書かなかった。十月に入ってから最近、我々に変化があるとか、POWが出るとか、白黒の類別をされるとか、色々なデマが飛んだが前途いまだ不明である。

十月二十三日
猿田大尉、独房より出されて入室して来た。その情報によれば、ABCクラスの類別をして、Cクラスは出獄するとの事である。昨日、今日は呼出しも頻繁で独房入りも数名出た。

十月二十八日
食糧、更に減らされ、十二枚のビスケットを二日分として食べねばならない。

十月二十九日(入獄一年)
昨年の今日、早朝病院を退院して入獄した日である。獄中で一年の生活を送り、いまだ前途、憂うつな毎日である。

十一月三日
かねてより九窮の一策として、チャイナキャンプに対し、米の入手工作を炊事係と特殊な者によって隠密になされていたが、この工作もいつの聞か私的工作に変ってしまい、私腹を肥す方向へむいてしまった。特に高級将校がこれに参画しているのだから、尚始末が悪い。人間窮すれば他人を殺しても生き抜こうとする、赤裸々な裏面が露骨に表われて来た。

十一月六日
雨季もすっかり明けて、積乱雲が気持良く浮かび、はげ鷹が白雲の下を雄々と飛んでいる。

十一月九日
八月二十七日判決を受けた松岡大尉以下、憲兵曹長二名の絞首刑が早期執行された。刑の執行には我が軍の将官が立合っているが、執行された松岡大尉以下の態度は誠に立派であったと伝え聞かされた。

十一月十二日
待望の増食運動も効を奏し、本日より一般部隊労務者同様の給与に増給される事になった。数回に渡り、食糧請願や飢餓に依り自殺、逃亡、発狂疾病患者の激増等、種々な事象が食糧増配の結果となったのだ。全く秩序は乱れ、思想混乱もその極に達し、自己を救わんがためには、他人の苦しみも迷惑も敢へて顧みない露骨な生活も続けられて来た。
しかし、今日以来又、すべての問題が増食によって解決されるのである。

十一月十三日
長い間続けて差入れてもらった、POWからの飯の差入れも今日限りでお断りする事にした。厳戒の歩哨をのがれて、毎日の如く続けてくれた事も非常に危険と困難があった事だ。地獄生活中の出来事として生涯忘れる事は出来ない。

十一月十四日
増食第一日の献立として、半年振りに白飯を食べた。皆が生き返ったような気持である。獄庭の土を畑にしようと手をつけるものも出て来た。誠に現金なものである。

十一月十八日
増食されたとたん胃腸障害を起す。入獄以来、初めてである。下痢患者も続発して来た警戒を要する。

十一月二十日
◎ 判定(ムドン憲兵)
      憲兵下士官 三名 絞首刑
          同   一名 無 期
          同   一名 十 年
(注) 
 POW=裁判で戦犯容疑が確定した者で囚人として扱われた。
 ムドン=タイ国境に近いビルマの地名

機関誌 郷土をさぐる(第12号)
1994年2月20日印刷  1994年2月25日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉