郷土をさぐる会トップページ     第11号目次

―― 子どもの作文 ――

「大正十五年五月二十四日の十勝岳爆発災害時の児童作文が「十勝岳爆発災害志」に掲載された中より、当時、尋常小学校五年生の船引 武さんの作文を転載し、また現在に生きる子どもの作文として、清富小学校六年生佐藤 仁君、上富良野小学校四年生岡田直美さんが『郷土の歴史を知る』授業での感想文を掲載しました。

生き残って

上富良野尋常小學校(後の創成小学校)尋五 船引  武
平成二年十月二十九日没(享年七十六歳)

萬雷の一時に落ちて来た様な物凄い音を立てて、谷間から眞黒になって寄せて来たものがありました。見る見る身にせまって一のみにされた様でした。もうだめだ、死んだ氣で高い岡へ走りついたと思ふとパッと泥水がかぶさったが、夢中ではい上がった。皆死んで生き残ったのは僕一人だけだと思ふと、悲しいやら嬉しいやら、何とも云ふことの出来ない感じがしました。それでも萬一、家の人が助かりはしないかと思って探し廻りましたが、一人も見つかりません。水田も家も父母も兄弟も流れてしまった。自分一人生残ってもなんともし方がないから死んで皆の所へ行こうかと思ひました。餘りの事に気も遠くなってしまひました。本當にこんな悲しい恐ろしい事はありません。お天道様もひどい。情ないとうらみました。
後になって幸にお父さんだけ生残ってゐました。お父さんは武と呼びました。私もお父さんと呼び互にだき合って思ふ存ぶん泣きました。

清富の歴史にふれて

清富小学校六年 佐藤 仁 昭和55年7月25日生

平成四年十一月二十六日、「拓く」の時間に清富の歴史を聞く会がありました。今まで「拓く」では、わら細工をお年寄りの方々に、教えてもらったことがありました。今年は、清富の歴史を知ろうということで竹内さんのおじいさんに、小学校に来ていただき、昔のお話をしていただきました。
ぼくは話を聞いていて、一番おどろいたところは、大木をおじいさん方だけで、しかものこで倒したということです。写真を見せていただいて、「冬の寒い中を、よくこんな大木をたおしたなぁ」と、感心しました。
もっとおどろいたことは、車のエンジンを使って発電をしたということです。ぼくは、その話を開いて、「すごい知恵だなあ。でも、電気をおこすまで明りがなくて大変だったろうなあ」と、感動しました。
それから、清富小学校に初めて来られた校長先生の写真を見て「すごく若い校長先生だなあ」と、おどろきました。
竹内さんのおじいさんからこういった歴史を教わって「昔の、すごい苦労があって、いまの清富があるんだなあ」と、思いました。これからは、そんな開拓者である、おじいさん、おばあさんに感謝して、もっともっとすばらしい清富にしていかなくてはならないなあと思います。

十勝岳の噴火のこと

上富良野小学校四年 岡田直美 昭和57年5月25日生

平成四年十一月十七日の三時間目、高橋とら吉さんから「十勝岳の噴火のこと」を聞きました。
おじさんは当時六年生で、運動会へ向けて練習をしていました。外は雨で体育館の中でやっていました。昼すぎにおじさんが、学校から帰る途中、いつもきれいな川が、今日は「黄色になっている」と気が付きました。おじさんの家は、今の駅前のおべんとう屋さんの近くだったそうですが、「ドーン」と大きな音がして「十勝岳がふん火したぞ!」と兄のさけび声がして、いっしょに逃げました。明けん寺へいったけれど山は雲で見えなかったそうです。でい流が三重団体にきて、百三十七人の人が死んだそうです。
戦争は人間がするので、みんなの努力で防げるけど、十勝岳のふん火は、自ぜんの力なのでこわいなあと思います。

機関誌 郷土をさぐる(第11号)
1993年2月20日印刷 1993年2月25日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 高橋寅吉