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8章 地域の百年 第2節 地区の歴史

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11、富原

 

 開拓の始まり

 北海道第二級町村制のもとで明治39年に部制は導入されたのだが、このとき富原地区は東中の一画とともに第五部、市街地とともに第六部と、2つに分割されていた。同地区の置かれてきた歴史的状況を象徴しているが、さらに、大正2年の改正でも市街地や旭野などに分割された状態は続き、大正6年から8年の分村及び一級町村制施行後の再編のなかで、第十部という初めて独立した行政区として形成されることになるのである。

 ただ、利便性には富む地域だけに開拓の取り組みは早く、『上富良野町史』によれば、明治32年には永山兵村の樋口和三郎、城越源蔵などが共同で貸し付けを受けた永山農場が開設されているのをはじめ、33年には福島農場が開設された。牧場としては35年の第二本間牧場、39年のカクヒラ牧場、この牧場が成功検査に合格できなかった後を引き継いだ41年の第一安井牧場などに、個人移住者なども加わり早くから開墾は進んだのである。また、永山牧場では早くから潅漑の開削に積極的で明治42年から米作に取り組んだことも明らかにされている。

 

 学校と宗教

 富原地区は地区内に現在も過去も、学校を持たないという数少ない行政区のひとつである。市街地と東中の中間という位置関係からいって、当然ともいえる。

 地区神社としては富原神社がある。昭和18年の創祀という新しいものではあるが、平成8年9月、東5線北23号に移設し、新築神殿の祭祀が行われたという(『郷土をさぐる』15号)。

 

 現在の富原住民会

 平成8年4月現在で富原住民会(会長・中河富三)を構成しているのは、以下の9組合、55戸である。

 

 富原一東農事組合(組合長・三好利和、3戸)

 富原一東農事組合(組合長・河合秀雄、11戸)

 富原一西農事組合(組合長・中沢怜子、7戸)

 富原二南農事組合(組合長・山田義明、3戸)

 富原二北農事組合(組合長・佐藤修、5戸)

 富原三農事組合(組合長・小野寺隆義、5戸)

 富原四農事組合(組合長・大場惣蔵、6戸)

 富原五農事組合(組合長・山中斉、9戸)

 富原六農事組合(組合長・藤沢久男、6戸)