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8章 地域の百年 第2節 地区の歴史

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9、島津

 

 開拓の始まり

 章の冒頭でも述べたように、島津地区の起源は島津家富良野農場の開設に始まる。その地区形成に至る島津農場の足跡に関しては、第3章第1節「フラヌ原野の開放と農場設置」で事業調査から農場経営の内容まで詳しく述べられている。ここでは概略についてのみ触れることにする。

 農場の開設にあたって31年にまず、現地調査が行われた。やがて、事業の着手を決めた後、32年には25戸を募集、翌33年までには50戸が農場に入り開墾が始まったのである。

 しかし、農場の開業早々、2年続きの不作に見舞われ、50戸の小作人のうち、39戸の小作人が無断で退場するという困難に直面する。しかし、管理人となった海江田信哉の手腕でこの苦境を乗り切り、農場の再建を果たしたのだった。また、明治40年代に入ると、積極的に造田に取り組み、現在につながる農業的な基盤も築いたのである。

 また、昭和12年には農場の開放が行われている。この時期、上富良野では「上富良野村自作農扶殖計画要綱」を樹立し、自作農創設事業が積極的に推進されていたが、周囲に次々と自作農が誕生していることに、島津農場の小作人たちも大きく心を動かされたのである。そこで農場の小作人たちは村などの協力も得たうえで、開放を願い出るのである。それに対する島津家の対応は早く、声を上げてからわずか半年余りで開放が決まった。このとき開放されたのは『上富良野町史』によれば小作人が104名。田が327町1反6畝9歩、畑が86町5歩の合計422町9反6畝14歩の面積が開放されたのである。

 

 学校と宗教

 島津地区には学校は設置されていない。しかし、市街地に開校した上富良野尋常小学校(現上富良野小学校)の建設に際しては、島津農場事務所が寄付に積極的に応じ、管理人の海江田信哉が建設委員の1人を務めるなど、積極的な役割を果たしている。その意味では上富良野尋常小学校は、市街地と島津両地区の学校といってもいいだろう。

 地区神社である島津神社は、農場の神社として明治33年に創祀された。昭和4年には大改修が行われ、昭和58年9月にもまた再改築が行われている。

 

 現在の島津住民会

 平成8年4月現在で、島津住民会(会長・北野哲二)は、以下の10組合、110戸で構成されている。

 

 島津一東農事組合(組合長・本田健柘、4戸)

 島津一西農事組合(組合長・小原利保、8戸)

 島津二両農事組合(組合長・佐藤リエ、5戸)

 島津二東農事組合(組合長・杉本隆一、11戸)

 島津三南農事組合(組合長・多湖勝哉、23戸)

 島津三北農事組合(組合長・野原与治、17戸)

 島津四南農事組合(組合長・炭田高春、3戸)

 島津四北農事組合(組合長・信岡茂之、13戸)

 島津五農事組合(組合長・北川浩毅、12戸)

 島津六農事組合(組合長・野原元道、14戸)