第7章 現代の上富良野 第11節 現代の宗教
1219-1223p
4、民間信仰
豊富な民間信仰
町内には山神、地神、馬頭観音などが数多く存在し、民間信仰の豊富さを物語っている。道内でも屈指の民俗文化の宝庫といえる。いま、諸書により各石碑、石仏類の数をうかがってみると以下の通りである。
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山神 |
地神 |
馬頭観音 |
『上富良野町史』(昭42) |
17 |
16 |
12 |
富良野高校郷土研究会調〔注1〕 |
19 |
17 |
16 |
『石碑・祠・社の謎』(昭57) |
21 |
19 |
23 |
町史編纂室調〔注2〕 |
20 |
20 |
25 |
〔注1〕富良野市郷土研究会『フラヌイ』第8号(昭56)
〔注2〕『上富良野町石碑類宗教施設調書』(平9)。一部訂正して集計。
諸書により相違はあるが町史編纂室による最新の調査では、山神は20基、地神も20基ほどあり、馬頭観音は25基(体)といったところである。
明治以来の信仰の分布、伝来から判断すると、山神は主に三重団体の人々により創祀されたものである。山神は原生林の開拓に当たり、密林の伐採と開墾の安全を祈願して祭ったものらしい。
そして開墾後は作神、農神として奉祀が続けられてきた。もともと山神は三重県における民俗信仰のようであり、最初に三重団体により始められ、周辺に広がり定着をみていった。地神は主に徳島県の移住者たちによりもたらされ、やはり作神、農神として町内に普及していき、山神も地神も共に地域、農場を単位とし、神社の代用をかねており、人々の信仰の紐帯となっていた。表7−93、表7−94は現在町内にある山神、地神碑を一覧したものであるが、共に現在も地区ごとの住民組織によって春、秋に祭られている。
馬頭観世音は当初、真言宗を信奉する徳島県の移住者たちが造立した、新四国八十八カ所の観音仏の1つとして祭られた。しかし、間もなく町内には多くの牧場が開かれ上富良野は馬産地となってくるが、斃死した馬の供養碑として建立されるようになる。
続いて農家で大正期頃から作業用に馬を飼育するようになると、今度は馬頭観世音が農耕馬の供養にも用いられるようになり、しかも地域単位の共同で建立され、奉祀されるようになる。また、愛馬のために個人で建立した例もみられる。表7−95は深山峠への移設分、及び個人による建立、奉祀を除いた馬頭観世音を一覧したものである。近年は農耕馬の飼育が絶えてなくなっているので信仰は衰微の状態となっているが、それでも過去の伝統を守り年一度の祭が受け継がれている。
表7−93 山神碑一覧
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所在地 |
建碑年 |
碑文 (神名) |
建碑名・奉祀者 |
祭日 |
事由・備考 |
1 |
草分1 |
明33・10・15 |
山神 |
田中常次郎、三重団体 |
4月17日、11月7日 |
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2 |
富原3 |
明33・10・17 |
山神大権現 |
|
春秋の社日 |
町指定文化財 |
3 |
日の出2上 |
明35・11・7 |
山神 |
渡辺清蔵ほか2名 |
1月上旬、11月下旬 |
西川牧場主西川竹松の発起 |
4 |
日の出6 |
明37・8 |
山神 |
久野伝兵衛ほか三重団体 |
1月7日、11月7日 |
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5 |
東中11西 |
明39・10・12 |
山神 |
西軍元右エ門 |
4月15日、9月3日 |
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6 |
島津1丸一山公園 |
明30 |
山神 |
|
4月11日 |
大正年代に移設 |
7 |
日の出1下 |
明40・11・12 |
大山武神 |
河村善次郎ほか10戸野 |
11月10日頃 |
昭36に移設 |
8 |
日新5 |
明42・10・24 |
山神 |
佐川団体か |
|
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9 |
日新4日新神社 |
明42 |
山神 |
新井牧場新井鬼司 |
6月14日、12月31日 |
昭34・6・16に再建 |
10 |
草分2区更生 |
明43・11 |
山神 |
作佐部牧場主作佐部蔚 |
11月7日 |
|
11 |
草分三重2 |
明 |
山神 |
三重部落 |
1月1日 |
|
12 |
草分2 |
明 |
山神 |
草分2部落 |
9月7日(もと11月7日) |
|
13 |
日の出4東 |
明治末期〜大正初期 |
山神 |
|
11月7日 |
|
14 |
草分3南 |
昭9・10・3 |
山神 |
|
11月3日 |
大5に創祀 |
15 |
草分3北 |
大14・4・1 |
山神 |
四釜健蔵・与助他7名 |
3月、11月 |
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16 |
日の出3北 |
昭7・3・17 |
山神 |
日の出3部落 |
1月、11月7日 |
|
17 |
草分2区更生 |
昭7・11・7 |
山神 |
|
11月7日 |
|
18 |
東中1東 |
昭7〜10頃 |
山神 |
|
4月2日 |
|
19 |
草分報徳 |
昭15・9 |
山神 |
農事実行組合 |
3月11日、11月17日 |
|
20 |
静修6 |
昭27・4・13 |
山神 |
|
4月12日 |
昭30・4に移設 |
表7−94 上富良野町内の地神碑一覧
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所在地 |
形状 |
建立年 |
建立・奉祀者 |
神名・碑文 |
事由・備考 |
祭日 |
1 |
富原3 |
自然石 |
明33・10・11 |
安井農場 |
地神社 |
斜線北23号に所在。大正10年2月に移設。 |
春は社日、秋は社日前後 |
2 |
江幌3江幌会館横 |
石板 |
明43 |
|
地神 |
|
春の社日 |
3 |
富原1 |
五角石柱 |
明44 |
中尾伝七・樋口和三郎・城越又吉 |
天照皇大神・彦火火出見命・忍穂耳命・大己貴命・瓊瓊杵命 |
永山農場 |
春秋の社日 |
4 |
東中東中神社境内 |
五角石柱 |
大5・9 |
(11区〕 |
天照皇大神・彦火火出見命・忍穂耳命・大己貴命・瓊瓊杵命 |
明39に東6線北19号中間の防風林に建碑、43年に同20号角の三角地点、大5に東6〜7中間北20号防風林、昭10五十嵐農場開放時に東中神社へ移設。現在の碑は大5・9に建立。 |
9月4日 |
5 |
江花4 |
五角石柱 |
大6・9・23 |
霜取牧場 |
天照皇大神・彦火火出見命・忍穂耳命・大己貴命・瓊瓊杵命 |
|
春秋の社日 |
6 |
江花1 |
五角石柱 |
大7,8 |
|
地神 |
昭21・9改祀 |
春秋の社日 |
7 |
旭野中の沢会館横 |
五角石柱 |
大8 |
|
天照皇大神・彦火火出見命・忍穂耳命・端屋葦不合命・瓊瓊杵命 |
|
9月18日 |
8 |
日の出1北 |
自然石 |
大10 |
宮下牧場 |
天照皇大神 |
岡部牧場の時期に創祀、昭36・10・28改祀 |
4月10日、9月10日 |
9 |
日の出1上 |
自然石 |
大12・9 |
|
地神五柱大神 |
|
春 |
10 |
草分旭 |
自然石 |
昭8・10・15 |
金子農場 |
天照大神・八幡大神・豊受大神 |
大1頃創祀 |
4月15日、9月15日 |
11 |
旭野2 |
五角石柱 |
昭8 |
|
天照皇大神・彦火火出見命・忍穂耳命・大己貴命・瓊瓊杵命 |
|
春の社日、9月18日 |
12 |
日新3 |
自然木 |
昭15 |
日新部落一同 |
地神 |
|
|
13 |
清富1清富神社境内 |
木柱 |
昭15年代 |
清富部落 |
|
|
1月1日、9月15日 |
14 |
日新鹿の沢 |
自然石 |
昭16・9・20 |
鹿ノ沢組 |
天照皇大神 |
|
春秋の社日 |
15 |
日新1日新神社境内 |
自然石 |
昭16 |
鰍之沢氏子一同 |
天照皇大神 |
大4、5年に創祀 |
春秋の彼岸 |
16 |
日の出3日東会館横 |
五角石柱 |
昭22・9・26 |
日之出部落住民会 |
天照皇大神・忍穂耳命・彦火火出見命・大己貴命・瓊瓊杵命 |
昭57・11移設 |
3月10日、9月10日 |
17 |
日新4 |
木柱 |
昭22 |
日新4部落 |
地神 |
|
祭なし |
18 |
江幌更生 |
五角石柱 |
昭24・11 |
|
天照皇大神・彦火火出見命・忍穂耳命・大己貴命・瓊瓊杵命 |
|
春秋の社日 |
|
|
|
|
|
|
|
|
19 |
草分報徳 |
自然石 |
昭31・8 |
加藤氏 |
|
|
3月17日、11月7日 |
20 |
日新1 |
自然石 |
昭34 |
|
地神 |
|
6月14日、12月31日 |
注、五角柱の神名は右回りに記載。
出典・参考文献:『上富良野町史』
表7−95 馬頭観音碑一覧
|
所在地 |
創祀 |
形状 |
建立者 |
奉祀者 |
祭日 |
備考 |
1 |
東中弘照寺発祥地 |
明35・10 |
自然石に「馬頭観世音菩薩」 |
松原勝歳・真野喜市 |
東中 |
4/17 |
|
2 |
日の出2上会館横 |
大3・3・27 |
自然石に「馬頭観世音」 |
|
日の出2上 |
3/17 |
伊藤兵蔵が倍本で祭ったものを移設。 |
3 |
旭野山加会館横 |
大6・1・18 |
自然石に「馬頭観世音」 |
佐藤三蔵・山岸巳三郎ほか4人 |
旭野山加 |
9/18 |
旭野5より移設 |
4 |
常盤区4 |
大7・10頃 |
自然石に「馬頭観世音」 |
|
|
10/17 |
|
5 |
草分三重2 |
大11・8・17 |
3面馬頭像 |
伊藤藤太郎・伊藤七郎右衛門ほか10数名 |
革分・江幌・静修 |
4/17 |
|
6 |
日新5 |
大12・7 |
自然石に「馬頭観世音」 |
佐藤繁夫・北村留五郎 |
個人 |
10/24 |
|
7 |
里仁里仁神社境内 |
大13・9 |
3面馬頭像 |
荒周四郎ほか62人 |
里仁 |
4/17 |
|
8 |
旭野中の沢会館横 |
昭3・3 |
自然石に「南無大悲馬頭観世音菩薩」 |
|
旭野中の沢 |
9/18 |
|
9 |
島津墓地内 |
昭3・7・7 |
自然石に「南無馬頭観世音」と3面馬頭像 |
仁木孫三郎・荻子信次ほか8人 |
町・島津1 |
11/17 |
昭10・9、49・5に再祀 |
10 |
里仁共進 |
昭4・4・17 |
四角石柱に「南無馬頭観世音菩薩」 |
荒周四郎・荒直 |
個人 |
お盆 |
|
11 |
草分 |
昭5・4・17 |
自然石に「追善記念碑」 |
伊藤藤太郎・伊藤七郎右衛門ほか76人 |
|
4/17 |
|
12 |
日の出2下 |
昭5・6・17 |
3両馬頭像 |
|
|
正月、お盆ほか |
|
13 |
旭の山加 |
昭10 |
自然石に「馬頭観世音」 |
山加実行組合一同 |
旭野山加 |
9/18 |
|
14 |
江花公民館横 |
昭12・4・16 |
3面馬頭像 |
林寅吉 |
|
|
|
15 |
日新5 |
昭13・11 |
自然石に「馬頭観世音」 |
熊谷寿・佐川清助 |
個人 |
10/24 |
|
16 |
江花公民館横 |
昭14・11 |
自然石に「南無馬頭観世音」 |
山口仲治・大場金五郎・五十嵐富市ほか6人 |
江花・中央 |
4/10 |
もと北23号十字路に所在。 |
17 |
日新鹿の沢 |
昭16・9・27 |
自然石に「馬頭観世音」 |
|
|
春秋の社日 |
|
18 |
島津墓地内 |
昭16・11 |
|
西村家 |
|
|
|
19 |
市街富町2丁目 |
昭20・6 |
自然石に「南無馬頭観世音」 |
山田由郎 |
|
|
|
20 |
東中1 |
昭21・7 |
四角石柱に「南無馬頭観世音」 |
高松由平 |
|
4/2 |
|
21 |
江花3 |
昭30・4・7 |
自然石に「南無馬頭観世音菩薩」 |
江花3部落一同 |
江花3 |
4/7 |
大正年間に木柱で創祀 |
22 |
江花江花神社境内 |
昭44 |
四角石柱に「南無馬頭観世音」 |
林正男 |
|
4/10 |
|
23 |
草分1 |
昭45・3・26 |
四角石柱に「馬頭観世音菩薩」 |
篠原弘ほか3人 |
個人 |
4・11/27 |
昭30・7、富良野八幡丘にて創祀 |
参考文献:『上富良野町史』(昭和42)、『石碑・祠・社の謎』(上富良野町郷土館、昭57)、『石碑・宗教施設調書』(町史編纂室、平9)
馬魂碑と畜魂碑
現在は家畜類、肉牛類の供養は馬魂碑、畜魂碑で行われている。
馬魂碑は昭和15年11月に上富良野村牛馬商組合によって、牛馬家畜の鎮魂供養を目的にかつて島津に所在した家畜市場のところに建立された。その後、馬魂碑は46年6月に日の出二上の共進会場、61年6月に富原の家畜共進会場へと移設されている。
畜魂碑は富原の白樺製肉所にて33年5月20日に、屠殺された家畜の供養のために「獣魂碑」として建立された。碑はその後空知ミート工場の前庭に移設されたが、平成3年9月にかわって「畜魂碑」が建立された。
ペット類の鎮魂碑では60年10月に、上富良野町が上富良野墓地の小動物焼却場のところに建立した小動物鎮魂碑がある。
写真 富原の馬魂碑
※ 掲載省略
上富良野高等学校郷土史研究会の民間信仰研究
51年4月に上富良野高等学校郷土史研究会が創設され、教諭の滝沢正が顧問となって指導し、「上富良野町における農民信仰」というテーマのもとで民間信仰の調査が開始された。51年は「山の神、地神」、52年は「地神の変遷」を課題とし、53年には滝沢正と部員3人が淡路島の三原町へ調査に行った。54年は中富良野町、富良野市の石碑類を調査。調査の成果は毎年の学校祭、北海道高等学校文化連盟郷土研究全道大会にて発表されていた。
53年2月7日に富良野市教育委員会、富良野市郷土研究会の主催により「富良野地方の信仰を語る会」が開かれ、富良野高等学校教諭菅野逸一が「富良野地方の新四国八十八カ所信仰」、滝沢正が「上富良野町の地神」と題して発表が行われ、その記録は昭和54年7月発刊の『フラヌイ』第6号に、菅野逸一「富良野地方の新四国八十八カ所」、滝沢正「富良野地方の地神・山神信仰碑」として活字化され、あわせて上富良野高等学校郷土史研究会も淡路島調査の成果を折り込んだ「地神祭、上富良野町と淡路島の比較研究」の発表もなされていた。続いて56年の『フラヌイ』第8号に、同校郷土史研究会「富良野盆地の地神祭」が掲載された。考察の他に資料として地神、山神、馬頭観世音碑の一覧、分布図も掲載されたが、これらは民間信仰を研究する上では貴重なデータであり、非常なる労作といっていいものであった。
上富良野高校郷土史研究会では55、56年度は農民信仰と部落祭祀、57年度は永山町、58年度は富良野地方の新四国八十八カ所、当麻町の地神を調査テーマとして活動を続け、北海道における民間信仰の研究に大きく寄与する足跡を残した。