第7章 現代の上富良野 第11節 現代の宗教
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1、神社
上富良野神社
上富良野神社における近年での大きな動向は、社殿の新築造営であった。社殿は大正12年に建築したものであり、その後、一部が増改修されたものの既に60年を経過しており老朽化が目立っていた。56年に創祀80周年記念事業として、改築が検討されたが農作物の不作、経済の不況により計画が見送られていた。61年4月に上富良野神社造営奉賛会(会長宇佐見利治)が組織され、3年計画で募金活動を行い社殿の新築に着手し、62年10月28日に地鎮祭を執行して起工し、総工費8,700万円をかけて63年7月30日に竣工した。
東中神社と島津神社の分社化も大きな動向であった。上富良野神社では47年7月21日に、東中住民会との間で「合併に伴う協定契約公正証書」を取り交わし、東中神社を分社とすることになった。これは東中神社の場合、社殿、土地などを東中住民会にて維持・管理していたものの宗教法人化の手続をとっておらず、土地に関しても個人の所有登記となっていた。そのために不動産税の対象となっており、今後は相続、譲渡などの問題も発生する恐れがあるために、土地については一括して宗教法人である上富良野神社に寄付、移転登記して上富良野神社の飛地化したものである。東中神社の社殿、境内などの維持管理、従来の土地の処分権は東中住民会に保有されるが、東中住民会では今後上富良野神社へは種々の協力を行うという協定になっていた。続いて58年5月20日には島津償還組合が解散となるに当たり、同組合が地所所有していた島津神社の移転登記に関する「公正証書」を取り交わし同様な分社とした。
上富良野神社の神職は、昭和34年6月以来、富良野神社宮司であった西川仁之進が宮司代務者としてつとめ、生出邦子が禰宜となっていたが、46年5月15日に生出邦子が宮司に就任した。また、47年8月に生出里美が権禰宜に就いているが、48年12月に退任しかわって4月から生出明臣が禰宜に就任した。そして50年3月に至り宮司が交代し、生出明臣が就任することになる。
上富良野神社の責任役員は佐藤敬太郎、山本逸太郎、金子全一、河村善翁が46年、50年と再任され永らくつとめていたが、現在の責任役員は宇佐見見利治、金子全一、松藤信光、平塚武、生出明臣の5名であり、神社総代は以下の25名である。
中湖 芳松 藤山 栄 生出 新栄 荒 猛夫
宮島 勇 須貝 健三 吉田 藤雄 松藤 信光
田中 実 浦島 義三 川井 邦雄 小川喜代次
辻 甚作 三橋 功 松井 輝男 古屋 義男
大石 昇 多湖 安信 太田 春雄 宇佐見利治
平塚 武 長谷川徳行 奥田 斉 高橋 七郎
大場 清次
以上のうち、総代会会長は松藤信光、副会長は辻甚作、平塚武、高橋七郎、監事は吉田藤雄、奥田斉である。
写真 上富良野神社改築上棟祭
※ 掲載省略
上富良野神社の祭事
上富良野神社で行われている現在の祭事は以下の通りである。
1月1日 |
元旦祭 |
9月9日 |
節句祭 |
2月3日 |
還暦厄除祭 |
9月23日 |
秋季皇霊祭 |
3月3日 |
節句祭 |
10月15日 |
七五三祭 |
3月20日 |
春季皇霊祭 |
11月3日 |
新穀感謝祭 |
4月2日 |
豊穣祈願祭 |
11月15日 |
七五三祭 |
5月5日 |
節句祭 |
11月23日 |
新嘗祭 |
6月30日 |
大祓祭 |
12月23日 |
天長祭 |
7月7日 |
節句祭 |
12月31日 |
大祓祭 |
8月1日 |
例大祭 |
毎月1日、15日が月次祭 |
以上のうち、豊穣祈願祭、例大祭、新穀感謝祭、新嘗祭が大祭、還暦厄除祭、元旦祭、天長祭が中祭となっている。
富良野沿線の夏祭りのトップを切って8月1日に行われ、上富良野町の名物となっている例大祭は本祭、御輿巡幸、数々の出店などの他に、毎年各種の協賛行事が行われて人気を博していた。
御輿巡幸については若者の担ぎ手がなく、昭和25年には御輿は荷馬車、その後はトラックなどによる渡御となっていた。祭としては淋しい光景であったが、53年から御輿は28年ぶりに練り歩きが復活となり、活況を取り戻すようになった。
60年には商工会青年部と町青少年団体連絡協議会の有志による担ぎ手のグループ、徳神会(会長長谷川徳行)が結成され、この年の例大祭に60人が参加し、威勢のいい若衆の掛け声で祭りムードを一段と盛り上げることになった。担ぎ御輿も30年ぶりの復活であった。
協賛行事では61年の場合、1日には軟式・硬式テニス、野球、バレーボール、剣道、柔道、弓道、銃剣道などのスポーツ、歌謡ショーが、2日には相撲、サッカーやカラオケ大会が行われ、町内はいっぱいの祭色にあふれていた。
写真 現在の上富良野神社
※ 掲載省略
地区神社
地区神社の近年の動向をみると、江花神社は江花開拓70周年を記念して49年9月20日に社殿を新築している。続いて江幌神社は53年9月に移転改築となった。江幌にはこれまで岐阜団体により創祀された江幌神社、滋賀団体の滋賀神社、岩手県からの衣川団体の衣川神社、以上の3神社が存在し、それぞれ地区住民や関係者の心のよりどころとされていたが、3神社とも老朽化し奉斎者も減少したことにより、3神社を統合して江幌神社へ合祀する江幌神社改築期成会が組織された。新たな江幌神社は江幌公民館(寿の家)の裏手に移され、9月10日に遷座祭と合祀祭、11日に神殿の落成式、祝賀会が行われた。この日は例大祭でもあって青年団、婦人会の芸能発表も行われた。
里仁では津郷八幡神社が53年に現在地へ移転され、同じく里仁の豊郷八幡神社も58年7月20日に新築されたが、こちらは住民の手造りによる社殿であった。
島津神社は道路改修のために58年に移転、改築がなされ、9月4日に遷宮祭が執行された。富原神社は平成8年9月8日に神殿が新築となっている。
現在、町内には表7−91のように地区神社は16社ある。以上のうち1社が明治期の創設になるものであり、地区の鎮守神として主に住民会によって奉祀されてきている。祭りは秋のみになされる例が多くなってきており、上富良野神社の宮司を招き祝詞と玉串の奉奠がなされている。かっては余興なども多かったのであるが、近年は少なくなる傾向にある。
写真 現在の江花神社
※ 掲載省略
表7−91 地区神社一覧
|
神社名 |
所在地 |
創設 |
祭日 |
1 |
草分 |
草分 |
明35・10 |
9/17 |
2 |
東中 |
東中 |
明32・8 |
4/15、9/4 |
3 |
島津 |
島津 |
明33 |
9/5 |
4 |
日新 |
日新 |
大8 |
6/14、9/18 |
5 |
秋葉明神 |
東中 |
明37 |
4/15 |
6 |
江幌 |
江幌 |
明43 |
9/3 |
7 |
金比羅 |
東中 |
明43 |
4/10、10/10 |
8 |
古峰 |
草分新生 |
明治末〜大正初 |
4/13、9/13 |
9 |
八幡 |
旭野 |
明43 |
|
10 |
江花 |
江花 |
明43 |
9/20 |
11 |
豊郷八幡 |
里仁 |
明45 |
9/15 |
12 |
八幡 |
富原 |
大正初期 |
9/15 |
13 |
津郷八幡 |
里仁 |
大5 |
9/15 |
14 |
静修 |
静修 |
明42 |
9/3 |
15 |
清富 |
清富 |
昭7 |
9/13 |
16 |
富原 |
富原 |
昭18 |
9/8 |
出典:町史編纂室編『石碑類宗教施設調書』(平成9年)
祭日は上富良野神社宮司生出明臣からの聞き取り調査により一部訂正。
忠魂碑と招魂祭
町内戦没者272柱の霊を奉祀する忠魂碑は、上富良野神社の境内に所在しているが、その忠魂碑を整備するために45年10月に期成会がつくられ、新たに奥行7.2bの台座を中心にして忠魂碑が据えられ、左側に272柱の戦没者名を刻んだ碑石も建立された。整備事業は46年6月末に完成し、7月1日の招魂祭にあわせて除幕式が行われた。招魂祭は忠魂碑の前で神式にて執行されていたが、宗教色を払拭するために59年より白菊の献花などに改められている。
招魂祭にともなう協賛行事が数々行われ、そのために招魂祭は上富良野神社の例大祭と並ぶ町内の名物となっていた。協賛事業として音楽行進、野球、バレーボール、柔道、剣道、銃剣道などのスポーツ大会が町内各所で開かれ、公民館ホールでは書道、絵画、俳句、生け花の展示、民謡や舞踊などの芸能発表会が盛大に開かれている。
写真 招魂祭式典
※ 掲載省略