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7章 現代の上富良野 第10節 町民とスポーツ・文化活動

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3、昭和40年以降の文化活動

 

 文化活動の奨励

 上富良野では、文化連盟が設置されて以来、町内の文化団体の育成や文化振興をバックアップし、加盟各団体の連絡調整と会員相互の親睦融和に寄与している。また町、町文化連盟、商工会、農協などが主催して総合文化祭を開催し、文化連盟加盟団体の発表の場と町民への公開を行っている。また教育委員会では、文化振興に寄与した町民の顕彰を目的に昭和51年10月13日には「上富良野町文化賞」を制定し、また翌52年4月1日にも「上富良野町科学技術奨励賞」を設置し、上富良野町の科学技術振興のため、発見、発明、その他創意工夫に顕著な功績を収めたものを顕彰している(「文化賞」「文化奨励賞」「科学技術奨励賞」の歴代受賞者は別表7−88、89、90参照)。

 一方平成2年4月1日には「町民芸術劇場実行委員会」が発足し、町文化の発展と町民の芸術文化の普及のために各関係機関団体が協調し、芸術文化の鑑賞機会の提供を目的として町民芸術劇場を開催している(『平成8年度教育要覧』)。

 

 表7―88 上富良野町文化賞歴代受賞者名簿

番号

年度

氏名 住所

年齢 生年月日 所属

表彰内容

1号

51年度

本田  茂 西1線北24号

64歳 大2年9月25日

このみち俳句会

昭和31年、本町で初めての俳句の同人会であるこのみち俳句会設立の中心となり、以来俳句を通じ町文化の発展に寄与。昭和40年文化連盟の結成とともに副会長として各種文化団体の育成強化に尽力され、不自由な体にも屈することなく、会のリーダーとして活躍している。

2号

51年度

黄田 義栄 東3線北23号

60歳 大6年8月7日

国壮流詩吟黄勝会

昭和35年に、本町において初めての詩吟会である日本国風流上富良野支部を組織、以来詩吟を通じ町文化の発展に寄与。昭和37年には師範となり、49年には国壮流詩吟会を結成し同時に会長に就任、会のリーダーとして後進の指導にあたるほか、全国詩吟コンクール北海道地区大会で連続入賞するなどの活躍がある。

3号

52年度

菅原  敏 大町1丁目5−3

61歳 大5年4月11日

菊花盆栽愛好会

上富良野町菊花盆栽愛好会の会長として、菊花栽培の普及に永年尽力するかたわら住みよい町づくりに貢献。

4号

56年度

高橋 静道 宮町3丁目9−16

54歳 昭2年2月6日

書道墨琳会

書道学校生の指導成果は、全国書道展における団体優勝も度を重ね、その指導技量は高く評価されている。また、公民館講座の中で講師としてボランティア活動を行なうなど書道技術の普及にも寄与している。

5号

56年度

木村  了 西1線北26号

50歳 昭6年3月20日

日本国風流上富良野支部

昭和39年以来、日本国風流詩吟師範及び総師範となって、本町内会員、駐屯地隊員はもとより、富良野沿線会員の指導者として、詩吟、吟舞の普及と発展・振興に寄与した。

6号

60年度

田浦  博 西10線北35号

57歳 昭3年2月29日

このみち俳句会

昭和31年から約30年間にわたり、上富良野の俳句会の発展に寄与し、特に上富良野町文化連盟の副会長として広く町の文化の振興に貢献。

7号

60年度

安政太鼓保存会

代表 前田 弘

昭和48年3月1日設立

上富良野町の郷土芸能として昭和48年に結成以来、町内外での活躍は広く認められており、郷土に根づいた芸能の振興に貢献。また、観光を始めとする町民の各種行事への協力などの貢献度も大きい。

8号

61年度

西  武雄 大町1丁目7−26

76歳 明43年7月15日

囲碁クラブ

昭和37年から日本国風流詩吟会に入会し、同会会長を勤めるなど、また、町文化連盟の創立準備委員として活動した。昭和49年から56年まで文化連盟の会長を勤めており、卓越した文化的感覚と指導により町文化の発展への寄与は大なるものがある。

9号

61年度

田中喜代子 栄町2丁目2−43

64歳 大12年2月8日

池の坊清梁会

昭和39年5月から華道池の坊清梁会及び茶道表千家宗喜会を設立会長として活動しており、特に茶草道部7団体のリーダー的立場にあり、文化連盟にあっては副会長として諸事業の推進に当って、その卓越した職能と誠実な人柄は、人望を博している。

10号

62年度

富樫銀治郎 扇町3丁目

76歳 明43年11月28日

民謡同好会

昭和28年3月、上富良野町民謡同好会の発足当初から会の運営の中心となり会長職を7年間務め、その後役員として15年間務めている。この間、旭川地区民謡大会において7回の優勝を飾っている。その豊な識見と篤実な人柄から地域住民の信望も厚く、現在民謡同好会の相談役として後輩の指導にあたっている。

11号

63年度

青地  繁 東8線北18号

66歳 大11年8月5日

噴煙歌会

昭和20年11月から噴煙歌会を設立し、会の主宰者として、また会長として現在まで活動してきた。その卓越した識見と誠実な人柄は広く町内外から人望を得ている。その他数多くの入選者を有し、昭和62年度町文化連盟から文化貢献賞を受賞するなどその功績は顕著である。

12号

元年度

葛本 武志 泉町2丁目

52歳 昭12年6月3日

民謡同好会

昭和27年4月上富良野町民謡同好会に入会、以来同好会の三味線尺八の伴奏者として活躍し、昭和43年から富良野市、美瑛町、名寄市地方の民謡伴奏指導者として尽力しており人格円満、芸能識練達者である。町の文化振興に貢献し、永年会の指揮者として組織の向上・発展に尽力した功績は多大である。

13号

4年度

和田 昭彦 東3線北26号

50歳 昭17年1月7日

混声合唱団

昭和52年6月から上富良野町混声合唱団を設立、団の主権者として、又団長として現在まで活躍し、その卓越した識見と誠実な人柄は広く町民から人望を得ている。その他昭和57年町文化連盟から文化貢献賞を受賞するなどその功績は顕著である。

14号

5年度

堀江 富雄 本町4丁目6−16

60歳 昭8年3月17日

民謡岳勝会

昭和29年上富良野町民謡同好会に入会、昭和58年民謡岳勝会を設立し、会の指導者及び講師として活躍。又、文化連盟の副会長として組織の向上、発展に尽力されたことは町文化振興に貢献した功績は多大である。

15号

7年度

村岡 八郎 中町2丁目4−3

61歳 昭9年4月8日

美ふじ絵画会

昭和56年町文化連盟加入、絵画美ふじ会の会長、文化連盟理事、町事業の展示部長として活躍、昭和62年道展絵画の部入選、同年一線美術会において入選。その他、昭和61年上富良野町文化連盟より文化功労賞、平成3年同連盟より文化貢献賞を受賞するなどその功績は顕著である。

16号

9年度

村田 六輔 新町2丁目

61歳 昭11年6月13日

国風流詩吟吟舞会

昭和36年8月、日・米・旭吟詠連盟、日本国風流詩吟吟舞会上富良野支部に入会、昭和49年詩吟指導師範、現在まで24年にわたり新人育成に尽力している。

17号

9年度

森本 京子 本町5丁目

54歳 昭18年2月25日

書道愛好会

昭和51年上富良野書道愛好会発足当時から指導者として尽力、昭和63年より会長となる。各種大会に出品入賞し実績を挙げている。

 

 表7−89 上富良野町文化奨励賞歴代受賞者名簿

番号

年度

氏名 住所

年齢 生年月日 所属

表彰内容

1号

51年度

菊花盆栽愛好会

代表 菅原  敏

昭和30年設立

昭和30年設立以来菊づくりを通じ明るい町づくりに貢献、町文化祭においての菊花展では例年その作品に町民の賞賛がおくられている。菊花盆栽の普及、技術指導にと今後ますますその活躍、発展が期待される。

2号

52年度

民謡同好会

代表 富樫銀次郎

昭和28年1月15日設立

民謡を愛好するものが集まり、町の行事、祭典等に出演、住民と協調するとともに、公民館民謡講座等の開設により、民謡同好者の養成をはかるなど、町全体の文化向上に大きな役割を果たしている。

3号

60年度

東中中学校清流獅子舞愛好会

同中学校長 藤原 敏寿

昭和58年11月1日設立

上富良野町東中地区に残る郷土芸能の保存と継承を目的として昭和58年に結成以来、後継者としての資質の向上とあわせて町内外での活躍は目覚しく、郷土芸能の振興に貢献しており今後の発展が期待される。

4号

63年度

上富良野混声合唱団

代表 和田 昭彦

昭和52年3月設立

上富良野混声合唱団は昭和52年設立以来、町文化祭、芸術祭等に積極的に出演し、更に昭和58年より全町的な規模の合唱、楽器演奏会として町民コンサートを開催し町の音楽振興に貢献し今後の成長が期待される。

5号

4年度

噴煙歌会

代表 青地  繁

昭和20年11月1日設立

昭和20年11月敗戦により人々の心が荒廃した状態の中、町民の心に安らぎを与えることを目的として農業会職員に呼びかけ設立し、各有志が集い短歌を通じ、人と人との和が広く町民に伝わり、町文化祭・祭典等に出演し更に他市町村との交流を通じ数多くの入選者を出し、又町内外の主要公園、峠などに出向き、即詠を行なぅなど町全体の文化向上に大きな役割を果たしている。

6号

4年度

日本国風流詩吟吟舞会

代表 大福 幸夫

昭和37年6月1日設立

昭和37年日本国風流詩吟銀舞会設立以来、町文化祭・祭典等に積極的に出演、更に59年以来、会の努力により日本国風流詩吟師範及び総師範を所属する団体となり、特に富良野沿線同流会富良野大会並びに道北地区大会・全道大会等において優勝するなど上富良野詩吟会は全道的規模に成長し、町全体の文化向上に大きな役割を果たしている。

 

 表7−90 上富良野町科学技術奨励賞歴代受賞者

年度

番号

氏名 住所

年齢 生年月日 所属

表彰内容

1号

52年度

鈴木正二郎

東中東栄 農業

59歳 大7年9月23日

育苗ハウス散水管理作業を手持ち資材程度の安価に省力的に考案作成した「ハウス内ホース吊り散水設備」は急速にとりいれる農家も多く当町ばかりではなく、他市町村にも多大の好評を得ている。

2号

52年度

大角伊佐雄

東中1西 農業

61歳 大5年3月18日

ホップ完全乾燥機の考案製作を手掛け、鉄製自動式防火安全熱量完全利用方式により、安全と燃費軽減省力化に威力を発揮しており、本町特産であるホップ生産者の模範となっている。

3号

61年度

佐々木伸一

静修 農業

50歳 昭和11年3月15日

ビート、水稲、たまねぎ等の育苗成績を向上させるために、播から発芽までの温度管理が重要であり、このために保温と温水の潅水を行う目的で、安価で省力的な「佐々木式温水機」を考案製作した。地域はもちろん町内関係者から多大な好評を得ている。

4号

4年度

包子 正幸

旭町1丁目 農協職員

40歳 昭27年1月5日

牛の係留装置で育成牛への飼料を均等に与えるほか予防接種、人工受精などに利用でき、簡単で安全な「開閉装置連動スタンチョ」を考案作成した。町内酪農家のほか、町外も多く好評を得ている。

 

 

 文芸活動のその後

 昭和40年代に入っても上富良野では短歌、俳句などの文芸活動は盛んであった。

 昭和44年4月にはこのみち俳句会のメンバーだった赤間玲子が婦人を対象とした俳句会の結成を思い立ち、第1回句会の席上で婦人句会「りんどう俳句会」を結成した。発足と同時に句会報「龍胆」を毎月発行し、また翌45年12月には合同句集「りんどう」第1号を創刊し、昭和63年までに第六集まで発行されている。またその後も、毎年上富良野町文化祭への参加、毎年1月と12月に開催されるこのみち俳句会との合同句会、吟行句会、アカシヤ全国俳句大会、富良野市民俳句大会への参加などの活動を行っている。

 一方昭和47年3月6日には、このみち俳句会との合同誌『ものの芽』が発行された。平成8年には、このみち俳句会40周年、りんどう俳句会27周年、蕃光俳画会25周年を迎え、記念誌として再び『ものの芽』が発行されている。

 またこのみち俳句会も、昭和46年11月21日にこのみち俳句会15周年を記念して『このみち』創刊号を発刊し、51年には20周年を記念して第2号、61年には結成30周年を記念して第3号を刊行した。

 一方昭和47年2月にはりんどう俳句会に所属する人々を中心に「りんどう俳画会」が発足し(『上富良野文化連盟創立20周年記念誌』)、江別市野幌町在住の画家砥上蕃光を迎えて毎年講習会が開かれたことから、「蕃光俳画会」と会の名称を改めた。代表は千々松絢子であった。

 一方終戦直後に結成された噴煙短歌会は、岸本翆月に指導を仰ぎ、上富良野文化祭への参加や招魂祭協賛の展示、富良野市の「樹氷社」発行の『樹氷誌』への発表、『潮音』や『北方短歌』、『花林』への個人投稿が行われ、平成5年には会員14名を数えている(上富良野文化連盟創立30周年記念誌『文化のあゆみ』)。

 

 上富良野にまつわる刊行物

 一方昭和40年以降、町民のなかに自叙伝や歌集、句集の出版をする人々がでてきた。昭和49年11月10日には村上国二が『生いたちの記』を出版し、昭和53年2月25日には岸本翆月編著『石川清一の伝記』も発刊された。歌集では、昭和50年に大場夏枝『箪笥の底』、昭和51年7月1日に青地紫雲(繁)『青蛙』、同年10月30日には和田耕人(松ヱ門)『噴煙絶えず』、高橋静道『花燐』、昭和54年には岡本静子・岡本好隆『車椅子の青春』、昭和55年には山川ひさの『野すみれ』、昭和56年には水谷甚四郎『寡黙の足あと』など、噴煙歌会の人々による発刊が相次いだ。その後青地紫雲は平成2年6月10日に『沃野』を発刊し、和田耕人も昭和53年12月に『土に生きる』、昭和62年5月25日に『富良野平原』を発刊している。昭和60年3月1日には、やはり噴煙歌会の伊部ひろの編『風紋』が、平成8年には門崎博雄の『雪の十勝嶺』が出版された。また句集としては、昭和54年11月3日に本田不久朗(茂)が発刊した『鰯雲』がある。

 一方大正の十勝岳噴火と泥流被害を題材にした小説では、昭和21年7月1日に発刊された佐藤喜一著『十勝岳泥流』があり、昭和51年には三浦綾子著『泥流地帯』が1月4日から9月12日まで『北海道新聞』日曜版に連載された。翌52年には単行本として新潮社より発刊され、さらに昭和53年2月26日から11月12日まで、『続泥流地帯』が再び「北海道新聞」日曜版に連載された。翌54年には『続泥流地帯』も新潮社より発刊された。また昭和60年4月20日には、富樫露子著『心の灯』が発刊された。

 

 歌碑・文学碑の建立

 また文芸活動とともに、昭和50年代には歌碑や文学碑の建立も行われた。昭和50年8月には会田久左衛門の歌碑が十勝岳温泉登山道脇に建立され、昭和52年10月23日には和田耕人(松ヱ門)の自作短歌の「歌碑」が自宅前庭に建立された。同月30日には繰上秀峰(秀雄)が戦友菊地彦治へ贈った歌の歌碑も自宅前庭に建立された。

 一方、十勝岳爆発災害復興60周年記念事業として、昭和59年5月24日には三浦綾子「『泥流地帯』文学碑」が草分神社境内に建立され、同日「泥流地帯」文学碑建立期成会編『建立記念の栞』が発行された。

 

 写真 三浦綾子・泥流地帯文学碑

  ※ 掲載省略

 

 華道・茶道

 戦後次々に結成された華道の池坊清梁会、池坊静風会、草月流研究会、池坊春月会、池坊菊窓会、また茶道の表千家宗喜会、裏千家宗菊会は現在でも活発な活動をくりひろげている。また昭和54年には千々松絢子が華道、茶道の教授をはじめ、「池坊梅窓会」、「表千家宗絢会」を開門した(『文化のあゆみ』)。

 

 写真 公民館での茶会

  ※ 掲載省略

 

 音楽・舞踊

 昭和20〜30年代に生まれた上富良野民謡同好会、国風流詩吟吟舞会、都山流尺八同好会、三絃孝真会、生田流正派大塚社中、箏曲まさひろ会は、現在に至るまで活発な活動をくりひろげている。また昭和50年代以降、上富良野では邦楽だけでなく、合唱やカラオケ、ダンスなど、さまざまなジャンルの音楽やダンスが定着した。

 昭和52年3月には、上富良野小学校PTA母親コーラスのメンバーが中心になり、和田昭彦を団長として「上富良野混声合唱団」が創立された。昭和54年には富良野マザーズコーラスとの合唱交歓交流会を行い、後に富良野混声合唱団、南富良野混声合唱団も加わった交流会が行われている。また昭和58年2月には第1回定期演奏会、同年11月には第1回町民コンサートが行われ、その後も毎年開催されている。また昭和57年3月9日には「上富良野こども合唱団」が設立され、後に「児童合唱団」に改称された。一方民謡では昭和57年に「民謡岳勝会」が発足した。

 また昭和50年代にはカラオケが流行したこともあり、昭和57年1月には「上富良野町カラオケ愛好会」、同年11月には「歌謡サークル」が発足した。また平成元年6月12日にも「上富ラベンダー歌謡会」が発足している。

 舞踊はさまざまなジャンルに愛好者が誕生した。昭和48年には「日本舞踊愛好会」が発足し、平成5年5月1日にも「日本舞踊藤間流真優会」が結成された。一方昭和57年8月にはジャズダンスに興味をもつ女性が集まり「チャーミング(なる)ミセス」が発足した。また民謡舞踊でも、昭和53年9月には「大雪民謡舞踊研究会」、58年4月2日には「上富良野若岳民舞会」が結成された。社交ダンスでは、平成2年11月には「上富良野公民館社交ダンス愛好会」が結成され、「上富良野社交ダンスクラブ」も活動している。平成4年7月には「タモローフォークダンスサークル」も結成され、「ファミリーダンスサークル」も活動している。一方平成元年には「大正琴琴麗会」も結成された(『文化のあゆみ』)。

 

 写真 混声合唱団定期演奏会(昭和58年)

  ※ 掲載省略

 

 美術・工芸

 昭和50年11月浅野富士男が中心となり、絵画愛好家と町内教職員図工クラブ員により「上富良野絵画愛好会」が結成された。

 昭和53年2月には、公民館油絵講座を開講し、56年には会の名称を現在の「美ふじ絵画会」とした。平成3年11月20日〜24日には「美ふじ絵画会15周年記念展」を開催している。一方書道に関しては、昭和50年に上富良野書道研究会が結成された。翌51年には会の名称を「上富良野書道愛好会」と改め、中西覚蔵が会長となった。また昭和54年12月にも書の研究グループ「墨琳会」が発足し、高橋静道が代表となった。

 昭和52年4月には、上富良野木皮画同好会が会員15名で発足した。昭和61年8月にはNHK旭川放送局ギャラリーで木皮画同好会10周年展を行い、また翌62、63年にも旭川市豊岡の喫茶店で総員展を行った。平成3年3月には札幌市民ギャラリーでも北海道樹皮絵画発足記念展に参加した。

 工芸では昭和41年に七宝焼の「こまくさ会」が結成され、昭和51、54年と公民館講座で七宝焼コースも開催された。また子供工芸教室や文化祭に作品を出品している。

 一方昭和50年から逐次実施されていた公民館講座「陶芸教室」の修了者が集まり、昭和53年9月「陶芸同好会」を発足した。また昭和55年には「和紙人形桃葉会」も発足している(『文化のあゆみ』)。

 

 写真 美ふじ絵画全音己念展

  ※ 掲載省略

 

 その他の美術滴動

 上富良野の美しい風景は、多くの画家や写真家のテーマや被写体となり、平成2年12月20日には、日本画家の後藤純男が上富良野町にアトリエを新築した。また平成6年1月から4か月間、上富良野町深山峠在住の写真家伊東剛が米国ボストン大学客員教授に招致され、また翌6年11月20日には伊東剛写真集『幻想光響詩』を発刊した。

 一方平成6年6月18日には、深山峠地区に総事業費7億0,460万円をかけて、国内最大規模のトリックアート・ラ・ギルランダ美術館がオープンした。

 

 園芸

 昭和56年3月28日、公民館で開設されていた講座が発展して「上富良野園芸クラブ」が設立された。花、盆栽、庭木の植物学の基礎知識や手入れ法、病害虫の駆除などを学び、各地の観光地めぐりや庭園の鑑賞、園芸店めぐりなどを行い、平成4年には全道ひょうたんコンクール大会で会員が高位で入賞を果たした。

 一方上富良野菊花盆栽愛好会も他町村の菊花展の見学などを行うなど技術の向上をはかり、平成4年度には文化祭への出品点数が400点を数えた。

 

 郷土芸能の保存

 上富良野にはこれまで郷土芸能がなく、観光の面からもまた郷土教育の面からも、十勝岳の雄大な自然にふさわしいものが求められていた。そこで昭和47年末、上富良野町フラヌイ太鼓愛好会が結成され、同会により太鼓チームの結成が準備され、翌48年3月1日「安政太鼓保存会」が結成された(『広報かみふらの』第166号、昭48・2)。

 また昭和55年4月1日には、東中老人クラブ「睦会」の会員を主体に「東中清流獅子舞保存会」が発足し、25名の会員が所属した。その後同会は、「清流獅子舞」を次の世代に伝承すべく、昭和59年8月より東中中学校生徒に踊りを伝授した。ちなみに平成元年9月には保存会に壮年部を結成し、事業を老人クラブ員から壮年部へ引き継いだ。一方、昭和57年5月には「旭野吹上太鼓保存会」が結成され、旭野地域の小学生が主体となって練習に励んだ。また平成6年にも東中小学校に「清流太鼓」が誕生した。

 

 写真 東中清流獅子舞

  ※ 掲載省略

 

 文化活動の多様化

 囲碁は昭和40年代を過ぎて天狗会の活動が低調になり、まったく廃れた時期もあったが、昭和44年愛好者から会の再開を望む声が出はじめ、同年8月31日天狗会を「上富良野町囲碁愛好会」に改称し、昭和50年代には文化講座で初心者を対象に囲碁講座を開催している。

 また昭和61年11月には上川支庁管内の町村対抗囲碁大会が白金温泉で開催され、愛好会会員も出場し好成績をおさめた。平成4年にも上富良野町公民館で中富良野町の愛好者と交流対局が行われている。

 昭和45年には町内のアマチュア無線同好者が集まり、アマチュア無線「カミホロクラブ」が結成された。同クラブは無線の機能を生かし、各種災害の情報収集などで町消防に協力するなどの奉仕活動や会員相互の交流を図ることを目標としている(『広報かみふらの』136号昭45・10)。また昭和63年から平成元年にかけての十勝岳噴火の際にも、避難体制に協力している。

 かるたはお正月の遊びであるが、その他の娯楽が発達するとともに衰退していった。そんななか昭和47年には「上富良野かるた愛好会」が結成され、一色武が会長となり、富良野沿線大会や全道大会に参加した。昭和63年頃からは愛好者が漸減しているが、平成五年には愛好会を「上富良野ラベンダーかるた会」と改称した。

 一方昭和55年には、公民館の講座から発展して「ホーム指圧健生会」が結成され、代表に小野寺敏昭が就任した。同会はツボ圧療法を覚えて、そのツボを圧すことにより疲労回復、ボケ防止、健康増進をはかる会である。

 また昭和59年には、耳の不自由な人たちとのコミュニケーションの手段として日常の手話を学ぼうと、「上富良野手話サークル・ララの木」が設立された。主な活動は手話講座の開設や上富良野高校への手話指導のほか、上富良野町文化祭での手話歌や手話劇の披露、上富良野町福祉大会への通訳の派遣、道内各地との交流会や福祉大会、式典への参加、富良野サークルと合同の小樽ろう学校訪問や全国ろうあ者体育大会への参加など活発に活動している。平成2年には道北ブロック手話サークル交流会が上富良野で開催され、翌3年には会の名称を「上富良野手話サークル」に改称した。

 昭和63年9月、公民館講座「やさしいハーブ染め」が開催され、これが発展して同月28日「ラベンダー&サホーク会」が発足した。羊毛を糸に紡ぎ、これをラベンダーや玉ねぎ、木の皮、実などで草木染めし、編んで作品を作っている。

 また「健康ヨガ」の会も結成され、町民の文化活動の多様化が進んでいる。

 

 写真 上富良野ラベンダーかるた会

 写真 手話サークル・ララの木

  ※ いずれも掲載省略

 

 歴史の保存

 昭和40年代以降も、上富良野では先人の功績を讃える記念碑の建立が行われた。昭和43年9月4日には東中神社境内に「東中開拓者顕彰の碑」が建立され、46年7月1日には上富良野神社境内に「忠魂碑」が建立された。また昭和48年10月には深山峠に「松浦武四郎顕彰之碑」、53年9月4日には東中会館前庭に東中開基80周年記念「拓魂の碑」、平成5年11月7日には日の出公園、東中四東部落会館前の2カ所に「ラベンダー発祥の地記念碑」が建立された。

 一方昭和45年には深山峠に「豊里郷土館」が建設され、豊里地区の開拓以来の古物や資料等を展示したが、「上富良野町郷土館」設立時に展示資料を寄託して閉館され、建物も解体された。また平成3年8月31日にはスガノ農機株式会社の「土の館」が完成し、平成5年6月にはその第3展示場に「農機具伝承館」が完成し、世界のトラクター17台などが展示された。

 

 写真 スガノ農機・土の館

  ※ 掲載省略

 

 郷土誌の発行

 戦後以降、上富良野の各地区では小学校の開校50周年を記念して、「郷土誌」の編纂が行われていた。昭和24年に創成小学校開校50周年を記念して編纂された『草分郷土誌』や、昭和27年に東中小学校開校50周年を記念して編纂された『東中郷土誌』などがそれであるが、これらは小学校の沿革とともに地区の開拓の歴史がまとめられていた。

 その後昭和40年代以降も各学校で開校記念の「記念誌」が編纂されたが、この時期になると、「記念誌」のなかに「郷土誌」は含まれなくなった。

 そのかわり「郷土誌」は独立して編纂されるようになり、昭和54年4月10日には『東中開基八十年誌』、同月14日に『島津友の会十周年記念部落史・風雪八十年』、昭和59年9月20日に『江花開拓八十年記念誌』が発行された。平成10年3月1日には上富良野江幌誌編纂会編『江幌誌』も発刊されている。

 一方昭和54年12月2日には、昭和12年生まれ丑年会編『かみふ物語』が発刊された。昭和12年丑年会は、平成10年3月にも『上富良野町開基100年写真集・ふるさと上富良野』を発刊している。また同年3月には、女性史をつくる会編『かみふらの女性史』や『ふるさと上富良野−昭和11年頃の街並み−』も発刊されている。昭和58年3月3日には、町制施行30周年記念映画『かみふらの』が制作された。

 また平成9年7月31日には上富良野町開基百年記念誌『上富良野』が発行される一方、「開基100年」にむけて『上富良野百年史』の執筆が開始されるなど、歴史を記録として残す試みがなされている。

 

 写真 ふるさと上富良野・昭和11年頃の街並み

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 郷土館の建設

 昭和52年は上富良野の「開基80周年」にあたり、記念事業として「上富良野町郷土館」の建設が行われた。「郷土館」の建設は、昭和51年3月文化財保護委員会から教育委員会に意見書が出されたのがきっかけで、当初は財政的に無理とされていたが、その後建設準備委員会の運動や道の予期せぬ補助の見通しがついたため、準備委員会を町郷土館建設期成会に拡大し、建設準備に着手した。52年6月の定例議会で建設予算が提出される一方、町民に郷土資料の提供を呼びかけた(広報『かみふらの』第218号、昭52・6)。その後多くの人々から建設資金や内部施設充実資金の寄付がなされ、最終的な寄付総額は約3,092万円にものぼった(広報『かみふらの』第229号昭53・5)。

 昭和52年12月15日には建物も完成し、その後は展示物の収集や復元、修理などが行われ、翌53年5月31日、ついに「上富良野町郷土館」の開館式が挙行され、その後1カ月間は無料で開放された。ちなみに総事業費は9,019万6,000円であった。

 「郷土館」の展示内容は、@上富良野の地形、A開拓当時の自然、B開拓の第一歩、Cまちを築いた人々、D開墾の歴史、E開拓時の住居、F開拓時の衣服、G開拓時の食料、H上富良野の変遷、I農機具の移り変わり、J林業と開拓、K先史時代、L教育の歴史、M消防資料、N馬具などとなっており、特に十勝岳災害に関する展示は爆発の状況や復興の様子を写真、絵、ビデオ、模型などで表現している。

 また展示方法や歴史考証で道開拓記念館の指導を受け、資料に忠実な表現方法をとったため、道内でも類をみない本格的な郷土館となった(広報『かみふらの』第229号昭53・5)。その他郷土館の事業としては、昭和54年4月の上富良野町郷土館編『かみふらのの歴史』の発刊がある。

 一方平成9年11月には、「開基100年」を記念して「かみふらの歴史広場」と「開拓記念館」が完成して落成記念式典が行われ、9日オープンした。

 

 写真 上富良野町郷土館

  ※ 掲載省略

 

 郷土をさぐる会と女性史をつくる会

 一方郷土館の設立に関連して、上富良野では開拓からの資料収集や展示など、郷土の歴史や文化財を保存する活動がなされていたが、この運動を郷土館設立後もさらに推進しようと昭和55年12月16日、町公民館で「上富良野郷土をさぐる会」の設立総会が開催された。会長には金子全一が就任し、会員は町の古老、教員、青年、有志研究者らで、主な事業として、町郷土史の調査研究、展示、座談会、講演会の開催、郷土の視聴覚的記録の紹介などに取り組むことになった(広報『かみふらの』第260号、昭56・1)。

 またその研究成果や掘り起こされた史実、町民の体験の記録などを発表する場として、機関誌を発行することになり、昭和56年10月10日に『郷土をさぐる』第1号が創刊された。以後『郷土をさぐる』は、ほぼ毎年発行され、平成4年3月27日には第10号が発刊され、記念の祝賀会が開催された。

 また「郷土をさぐる会」は、「開基90周年」記念事業として、昭和63年12月1日に明治42年に発行された『上富良野志』の復刻を行い、「開基100年」記念事業として平成10年3月に『かみふらの事始め』を発刊している。

 また平成7年4月から開講されたマイプラン・マイスタディ講座「女性史とは」の受講者7名により、平成7年10月、「女性史をつくる会」も結成され、平成8年3月より女性史の発刊にむけて町内の女性たちへの聞き取り訪問を開始した。その後1年余りの取材の結果を、『上富良野町開基百年記念協賛事業・かみふらの女性史』にまとめ、平成10年3月発行した。

 

 文化財の保護

 昭和47年3月28日「上富良野町文化財保護委員会条例」が公布され、昭和56年4月1日から施行された。またこの条例により4件の文化財が指定された。昭和48年6月15日に指定された天然記念物「凱旋記念の松」(東2線北21号)、有形文化財「東中尋常高等小学校御真影奉置所」(東8線北18号、東中神社境内)、昭和55年2月26日に指定された史跡「憩の楡」(西3線北29号)、同年12月9日に指定された「富原地区の地神及び山の神」(東7線北24号)がそれである。

 

 写真 町指定文化財・凱旋記念の松

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