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7章 現代の上富良野 第8節 学校統合と現代の教育

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4、各校の現状

 

 上富良野小学校

 上富良野小学校は、児童の過半数を自衛隊関係者の子供が占め、転出入も多いが、子供たちの意見やアイディア、担任の特性を生かした個性的な学級作りを実践し、創意を生かした教育活動やスポーツ活動に取り組んでいる(平成8年度『教育要覧』)。特に昭和56年にはML機器を導入した第2音楽室が完成し、昭和62年3月16日に120名編成の金管楽器が整備され、6年生全員でスクールバンドを組織している。また「全町ごみゼロの日」を実践し、児童会を中心に特別養護老人ホームの訪問や清掃活動などボランティア活動を行っている。同年には上川支庁ボランティア活動協力校の指定を受け、平成元年にも北海道福祉協議会のボランティア協力校の指定を受けた(『広報かみふらの』第360号、平1・5)。また平成4年8月22日には、小動物の飼育小屋「なかよし小屋」が完成した。

 

 上富良野西小学校

 上富良野西小学校は、小規模校3校と上富良野小学校の一部が統合してできた学校のため、通学区域が広い地域に散在している。

 児童は農家と自衛隊の子供が多く、またその約30lがスクールバスで通学していることは、学校の日課に少なからぬ影響を与えている。

 昭和52年11月には開校20周年をむかえ、これを記念して金管楽器をそろえた。これにより、6年生全員によるスクールバンドを組織し、平成2年12月には旭川地区スクールバンドフェスティバルに出演、翌3年11月17日には同フェスティバルでNHK賞を受賞した。また農業後継者育成の観点から、「上西っ子農園活動」と称して校下の畑地を借用し、各種の作物を栽培している。平成4年8月10日には小動物の飼育小屋も完成した。

 一方奉仕活動では、校下のゴミ拾いや老人ホームとの交流を行っている(平成8年度『教育要覧』)。また校下は十勝岳噴火で被害が想定される地域でもあることから、「十勝岳噴火のつめあとさがし」に取り組み、昭和63〜平成元年の噴火以降は、「十勝岳親子防災教室」や「十勝岳噴火の体験を聞く会」が実施されている(『広報かみふらの』第362号、平1・7)。そのほかに、平成9年7月30日には三重県津市立安東小学校と姉妹校の提携式を行い、江幌小学校や清富小学校など近隣小規模校との交流も行われている。

 

 東中小学校

 東中小学校は「へき地学校に準ずる学校」に指定され、通学区域は純農村地帯で、児童のほとんどが農家の子供である。そのため特に農業後継者の育成に力を入れ、昭和63年4月1日には「ふれあい農園」が開始され、毎年秋の収穫祭にむけて全校が共通の目的をもった農園活動を行っている。また「生活科」の一環として「あいがも」の飼育も行っている。一方小規模校であることから、全校が一体となった活動が多く、全校集会活動として、収穫祭のほかにも「なかよし集会」や「もちつき集会」を実施し、また東中中学校との合同運動会や地域行事、公民館行事などと一体化した教育活動を行っている(平成8年度『教育要覧』)。

 

 江幌小学校

 江幌小学校は「へき地学校一級」に指定され、昭和62年以降児童数が15人未満になったが、小規模校ならではの学習や活動が行われている。在校生の父母はすべてPTA会員となり、学校が地域のコミュニティセンターの役割も果たしている。学校の行事には父母全員が参加し、一緒に給食を食べたり、また運動会には在校生だけでなく地域の住民が参加している。児童会活動も活発で、「七夕集会」や「江幌っ子祭り」、「卒業生を送る会」を自主的に計画している(『広報かみふらの』第363号、平1・8)。

 昭和63年8月29日には、上富良野小学校との交流学習も始まった。一方、社会体験や勤労体験学習の時間が設定され、東中中学校の協力による「田植え」や「稲刈り」、PTA会員の協力による収穫活動、年2回の戸外清掃や遠足の際の環境美化活動、学芸会へのお年寄り招待や栄寿会(老人会)との交流など、ボランティア活動が推進されている(平成8年度『教育要覧』)。

 また同校は、区域外の児童が入学できる「特認校」に指定されている。

 

 清富小学校

 清富小学校は、市街から約10`離れた畑作地帯にあり「へき地学校二級」に指定されているが、地域との交流を積極的に行っている小規模校である。また健康安全教育を推進して教科体育授業の改善や教科外体育活動の充実、保健指導の充実に取り組み、地域性を生かした野外活動として野鳥の活動や植樹などの森林教室、ニジマスの放流などを行っている。特に力を入れているのは「ホタルの飼育」で、平成元年4月21日には「ホタル館」や「たにし池」が完成した。またそれが発展して熱帯魚の飼育や栽培園でのソバの栽培、花壇づくりなど栽培、飼育活動も行われている(平成8年度『教育要覧』、『広報かみふらの』第359号、平1・4)。近年では自己発信活動としてコンピューターの導入にも取り組んでいる。

 

 上富良野中学校

 町内に2つしか中学校がない上富良野で、上富良野中学校には東中地区以外の全町の中学生が在学している。また生徒の3割が自衛隊関係者の子供であるため、転入出も多い。

 上富良野中学校では、生徒一人一人の個性を伸ばすため、在校生全員の部活動への参加を奨励している。また視聴覚教育のため、一人1台のLLシステムを導入し、主に英語の授業に活用していた。近年ではさまざまな教科にコンピューターも利用されている(平成8年度『教育要覧』)。一方昭和40年代から園芸部が「美しい花で町を飾ろう」と、学校の中庭で花を育て、毎年市街のメーンストリートや役場、町立病院、駅、農協前の花壇に植えていた(『広報かみふらの』第156号、昭47・5)が、その伝統は引き継がれ、現在でも生徒会を中心に「日の出山花壇の作成」に取り組んでいる。また町内のごみ拾い遠足や除雪など老人世帯への奉仕活動などボランティア活動も盛んである。

 平成7年6月20日には茨城県水戸市立赤塚中学校との交流会が行われた。

 

 東中中学校

 東中中学校は「へき地学校に準ずる学校」に指定され、同地区が稲作を中心とした純農村地帯であることから、このような地域性は同校の教育活動にも生かされている。昭和58年12月21日には、地域に古くから伝わる「東中清流獅子舞」を老人クラブから引き継いで愛好会を設立し、これを学校教育活動に取り入れ、生徒会の対面式や地域の祭典、運動会、芸能発表会などで発表し(平成8年度『教育要覧』)、昭和60年11月3日には「上富良野文化賞」を受賞した。またこれにより地域の文化や歴史を尊重する教育も行われ、郷土誌の編集も行われている。

 一方昭和63年4月21日からは、勤労生産学習として稲作を開始した。地域住民から水田を借り、「ふれあい農園」と名付けられたこの実習田では、もち米の籾まきから春の苗とり、田植えから秋の稲の刈り取り、はさかけなど、米作りの全過程を生徒会稲作実行委員を中心に行っている。収穫したもち米は、卒業式や入学式の赤飯やラベンダーハイツ、保育所や小学校に贈られている(『広報かみふらの』第365号、平1・10)。また中体連での活動も目ざましく、平成3年11月3日にソフトテニスの活躍で「上富良野町スポーツ奨励賞」を受賞した。

 上富良野高校

 道立移管後の上富良野高校は、昭和51年11月18日日本学校農業クラブ全国大会に参加して意見発表を行い、優秀賞を受賞した。54年4月には柔道・剣道場が完成している。また同校郷土史研究会が富原地区の「地神・山の神」を調査し、これらが以前旭川永山農場内にあり、ここから富原地区へ移住した四国出身者により創祀されたものとする研究報告を行った。この報告を受け、町が調査した結果、富原地区の「地神・山の神」は富良野地方で最も古い史跡であることが判明し、昭和55年12月9日に町指定文化財となった。昭和57年には上富良野町郷土をさぐる会編『郷土をさぐる』第2号に、「上富良野における地神」と題する報告を発表している。一方56年8月5日にはグランドや体育館が水害の被害を受け、復旧工事が行われた。61年には「北海道上富良野高等学校教育振興会」が設立されている。

 学校行事としては、球技大会や学校祭のほか、各学年で33.3`を歩き、3年間で100`を歩く強歩遠足を行っている。平成9年度からは韓国への海外修学旅行が実施され、釜山、慶州、ソウルの各市を見学し、特にソウルでは地元の高校を訪問し、交流会が行われている。

 学年自由時間には、第1学年で「いもひろい」をし、その報酬を2、3年の自由時間の行事に役立てた(『広報かみふらの』第366号、平1・11)。また平成5年5月1日には町の助成によりブラスバンド部が誕生した。

 平成7年度から、同校では「地域に開かれた学校作り」を目指し、「学校と地域の連携を深めながら地域住民の負託に応える教育」の推進を図るべく、「学校開放講座」を開講した。開講内容は「囲碁講座」と「ワープロ講座」で平成10年度からはこれに「古典購読講座」と「英会話講座」が加わり計4講座が開講されている。

 上富良野高校の入学生は、約8割が上富良野、東中両中学校の出身者で、卒業後の進路は約7割が就職である。しかし生徒数は平成元年度にピーク(391名)をむかえて以後漸減し、平成6年度入学生から間口減となり、現在は各学年2学級編成となっている。

 

 幼児教育

 高田幼稚園は、昭和54年4月28日、学校法人専誠寺学園として設置の認可を受け、同年11月28日園舎の増改築を行った。また防衛庁騒音防止工事として、昭和61年12月10日にはわかば愛育園が鉄筋コンクリート造に全面改築し、翌62年10月25日には高田幼稚園が創立25周年をむかえ、園舎防音改築改造落成記念式を挙行した。

 また63年12月8日にも上富良野町立中央保育所が園舎を全面改築した。さらに昭和58年4月1日、高田幼稚園、ふたば幼稚園、町立中央保育所、東中へき地保育所、わかば愛育園が上富良野町幼年消防クラブを結成している。

 しかし、その後幼児の減少や、農繁期に幼児を預けることより通年の幼児教育の要望、幼稚園バスの整備などにより、「季節保育所」はその使命を終え、昭和63年10月末には江花季節保育所が、平成6年10月31日には草分季節保育所が閉鎖された。

 

 写真 高田幼稚園

  ※ 掲載省略