第7章 現代の上富良野 第7節 現代の社会
1069-1075p
3、保健・医療
保健・医療の発展
戦後の緊急衛生対策は戦争による疲弊からの医療対策、伝染病や栄養不足の克服であった。昭和23年から医事制度の改革、予防法制定など医療保障体制は30年ころまでに新憲法下で改編・整備され、保健所を中心とした公衆衛生、防疫活動を展開し、抗生物質などの活用もあって結核、性病などを撃退、乳幼児の死亡率も大きく改善した。36年には新国民健康保健法が制定され、国民皆保険によって医療が受けやすくなった。一方で、高度成長とともに過疎化が進行したが、発達し高度化する医療の恩恵を、誰もが何処にいても享受できる時代に入った(平成7年版『厚生白書』)。
戦後第二次ベビーブームが46年から起こったが、少産少死傾向と高齢化が始まり、平均寿命男70歳、女75歳となり22年当時より男は20歳、女は24歳も長命となった。疾病の傾向も変化して、成人死因では成人病の3大疾患(脳血管疾患・ガン・心疾患)が55年には6割をこえた。子どもたちにも肥満の傾向があらわれるなど、生活の見直しなどの相談にも応じる保健指導体制が必要となってきた。
こうした戦後の保健・医療活動は上富良野町は富良野保健所の管轄にあって、国保事業、町立病院や民間医療機関などの医師、看護婦、保健婦などの活動と、富良野保健所管内ではいち早く24年に活動を開始した上富良野町衛生自治会(全世帯加入)の協力によって、42年には環境衛生・伝染病予防・結核予防・畜舎の衛生などに力を注いだ。
表7−43は上富良野における予防衛生対策の推移である。37年はそれまでの伝染病の予防接種を中心とする対策に加えて、「短期人間ドック」(総合精密検査)が導入された(町報『かみふらの』昭37・1)。また38年から65歳以上に「老人検査」を5年計画で実施、問診・血圧測定・尿検査などの一般検査を開始した。40年に母子保健法が制定され翌年、母子の衛生教育(家族計画)についての指導を富良野保健所から受けたり、婦人科検診(子宮ガン)もはじまった。乳幼児対策では、ワクチン接種の障害が社会問題となって、ワクチンの接種が減少したが、乳幼児の成長に準じた相談・検診もきめ細かく行なわれるようになった。
そして57年、高齢化社会にむけた老人保健法制定によって集団検診・健康教育・健康相談・訪問指導の取り組みを強化、平成元年には福祉の長期計画が提示されると、保健・医療・福祉の垣根を越えたネットワークづくりが必要となってきた。すでに、さまざまな取り組みが始まり、医療の広域化も進行している。
ところで、医療活動のなかでも、上富良野の献血活動は、その達成率が管内でも非常に高く、貢献している。42年に各町村ごとの献血推進協議会が設置され、上富良野町は537人で114.3lの達成率で、自衛官などの公務員、農業者が多かった(『日刊富良野』昭42・9・28)。交通事故の多発に対応して献血の需要も増し、以後毎年のように献血する若者が表彰された。43年11月3日の文化祭での第2回「目でみる公衆衛生展」が富良野保健所と上富良野町主催で上富良野にて開催され、無料相談所、展示会、実演(細菌・衛生・臨床の各検査技師)が行なわれた(『日刊富良野』昭43・10・26)。なお、33年間にわたり献血に貢献した上富良野駐屯地は平成9年に厚生大臣表彰を受けた(『ふらの原野』平9・10)。
表7−43 上富良野町の予防衛生対策の推移(実施対策に○印)
年次 対策項目 |
1962 (昭37) |
1967 (昭42) |
1973 (昭48) |
1978 (昭53) |
1982 (昭57) |
1986 (昭61) |
1994 (平2) |
1998 (平6) |
ポリオワクチン接種 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
百日せき接種 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
ジフテリア接種 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
インフルエンザ接種 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
腸・パラチフス接種 |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
|
|
種痘接種 |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
|
|
結核検診 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
ツ反・BCG接種 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
麻しんワクチン |
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
乳幼児検診 |
|
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
股関節脱臼検診 |
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
三歳児検診 |
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
口腔検診 |
|
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
乳幼児相談 |
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
母親学級 |
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
成人病検診 |
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
人間ドック |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
肺ガン検診 |
|
|
|
|
|
○ |
○ |
○ |
胃腸病検診 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
大腸ガン検診 |
|
|
|
|
|
|
|
○ |
婦人科検診(子宮ガン) |
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
乳房検診(乳ガン) |
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
老人健康検査 |
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
健康教育・相談 |
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
家庭訪問 |
|
|
|
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
機能訓練 |
|
|
|
|
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|
○ |
*昭和37〜48年は「事業報告」、昭和53年以降は『上富良野』要覧資料編、保健指導係資料より作成。
表7−44 上富良野町の医療従事者・医療保健施設の推移(申請人員)
年次 項目 |
昭和 41・12 |
(1969) 43・12 |
(1974) 49・12 |
(1981) 56・12 |
(1984) 59・12 |
平成 元年 |
(1994) 6 |
(1996) 8 |
医師 |
6 |
5 |
7 |
7 |
4 |
5 |
6 |
6 |
歯科医師 |
3 |
3 |
2 |
2 |
5 |
5 |
7 |
7 |
薬剤師 |
3 |
7 |
5 |
9 |
3 |
9 |
12 |
12 |
保健婦 |
2 |
2 |
2 |
4 |
4 |
5 |
5 |
7 |
助産婦 |
3 |
3 |
2 |
5 |
4 |
5 |
|
2 |
看護婦 |
8 |
8 |
9 |
15 |
14 |
11 |
15 |
17 |
准看護婦 |
13 |
14 |
19 |
21 |
22 |
20 |
27 |
26 |
]線技師 |
3 |
2 |
1 |
2 |
1 |
1 |
1 |
2 |
臨床・衛生検査技師 |
3 |
5 |
1 |
5 |
3 |
3 |
5 |
4 |
歯科技工士 |
3 |
2 |
3 |
3 |
2 |
4 |
3 |
4 |
歯科衛生士 |
|
|
1 |
1 |
3 |
4 |
5 |
5 |
栄養士 |
3 |
3 |
2 |
2 |
2 |
2 |
2 |
3 |
施術師 |
5 |
5 |
7 |
12 |
12 |
12 |
9 |
9 |
公立病院 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
診療所(国立) |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
〃(公立) |
|
|
|
|
1 |
1 |
1 |
1 |
〃(私立) |
4 |
4 |
5 |
4 |
3 |
3 |
3 |
3 |
歯科診療所 |
1 |
3 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
6 |
救急医療告知施設 |
|
|
|
|
|
1 |
1 |
1 |
施術所 |
|
|
|
|
|
7 |
6 |
6 |
* 昭和42年『保健所年報』(北海道富良野保健所)、1969年、1975年、1982年、1985年、平成2・7・9年『道北保健年報』(北海道旭川保健所)、保健指導係資料より作成。
疾病構造の変化
疾病は社会や経済、医学の発達とともに変化し、まず対処を急がれたのが伝染病であった。急性感染症といわれるコレラ・赤痢・疱瘡・腸チフス・ジフテリア・ペストなどの伝染病においては、大正期にはいるとコレラだけは全国的な大流行を防ぐことが出来たが、劣悪な労働条件のもとで慢性感染症の結核が蔓延し、戦時、戦後の栄養・衛生状態が悪化するなかで、赤痢などの伝染病、結核がしだいに増えはじめた(平成7年版『厚生白書』)。しかし、昭和24年からの北海道の結核撲滅五ヵ年計画によって、上富良野においても結核患者は半減した。
ところが赤痢は戦後、しばしば集団発生をきたし、平常時の対策をゆるがせに出来ない状態にあり、41年頃の富良野保健所の調べによると、罹患した年齢層は9歳までがもっとも多く、赤痢に次ぐ猩紅熱は年々、増加の傾向であったが、抗生物質の投与で命を落とすことはなかった。
表7−45の伝染病の発生状況を見てみたい。赤痢は40年代後半に入って発生せず、猩紅熱は40年代に入って毎年発生した。
45年6月頃から猩紅熱罹患者に対処すべく、町は上富良野町伝染病(しようこう熱)防疫対策本部を設置。6月1名、10月5名、11月16名、12月16名計40名に達し、小学校は臨時休校に入った(『北海タイムス』昭45・12・18)。翌46年4月には100名、11月には200名を越え、経口ペニシリンの投与が蔓延阻止に追いつかず、年を越して1月には278名となった(『北海タイムス』昭46・11・12、昭47・1・20)。さらに47年末には、おたふくカゼ(流行性耳下腺炎)が小学校で爆発的に蔓延し、この年は子育て中の母親たちにとって猩紅熱とおたふくカゼの流行に気を抜けなかった。
上富良野町隔離病舎は、34年10月に上富良野町国民健康保険病院に併設、設置されたが、病院の改築に伴い廃止された54年には、伝染病の発生はみられなくなった。
しかし、一方では成人病(ガン・脳卒中・心臓疾患・高血圧症など)の対策が急がれていた。死因に占める成人病の割合は、40年では全国で61l、上富良野は56人(56l)であり翌年もほとんど同じ数値であった。全国・全道平均を下回っているものの、富良野管内では平均的水準であった(昭和42年『保健所年報』北海道富良野保健所)。富良野保健所では42年度に成人病対策を重点として、老人福祉法による健康診断の各町村への協力やガン対策推進協議会の設置、ガン検診車の積極的利用を図った(『日刊富良野』昭42・4・1)。三大成人病(脳卒中・ガン・心臓疾患)のなかで、首位が脳卒中からガンに変わるのは全国的には56年で、上富良野でも57年には同じ結果となり、こうした傾向は変わらない。老人保健法がつくられ、高齢化に備えた成人病対策が打ち出された。
表7−46は疾病の推移、成人の死因から上位5位までの一覧である。死因にしめる不慮の事故は決して少なくなく、交通事故や農作業機械事故など現代生活を反映したものとなっている。成人病は生活習慣病と近年言われるようになり、予防が重視されている。
また、大人も子どもも、高度に複雑化する社会のなかストレスを抱えながら生活するようになってきたが、精神分裂症・そううつ病・てんかん・自閉症などの精神障害が増す傾向にあり、精神病院から社会復帰の道をさぐる医療が求められるようになった。
表7−45 伝染病発生状況(人員)
病名 年度 |
赤痢 |
疫痢 |
腸チフス |
ジフテリア |
小児マヒ |
猩紅熱 |
計 |
昭和33 |
79 |
|
1 |
3 |
2 |
|
85 |
34 |
25 |
|
|
|
|
|
25 |
35 |
5 |
|
|
|
2 |
|
7 |
36 |
6 |
|
|
|
|
2 |
8 |
37 |
8 |
1 |
|
|
|
1 |
10 |
38 |
4 |
|
|
|
|
2 |
6 |
39 |
64 |
|
|
|
|
|
64 |
40 |
4 |
|
|
|
|
1 |
5 |
41 |
36 |
|
|
|
|
17 |
53 |
42 |
4 |
|
|
|
|
16 |
20 |
43 |
|
|
|
|
|
10 |
10 |
48 |
|
|
|
|
|
2 |
2 |
49 |
|
|
|
|
|
11 |
11 |
* 昭和38年度、42年度「事務報告」、昭和42年『保健所年報』(北海道富良野保健所)より作成。
表7−46 年次別死亡原因上位五位の推移 (人員)
年表 |
総数 |
第一位 |
第二位 |
第三位 |
第四位 |
第五位 |
昭49 |
82 |
脳卒中 24 |
ガン 15 |
心臓病 15 |
肺炎 5 気管支炎 |
自殺 5 自傷 |
53 |
98 |
脳卒中 15 |
ガン 11 |
心臓病 10 |
肺炎 16 気管支炎 |
不慮の事故 7 |
57 |
81 |
ガン 21 |
脳卒中 13 |
心臓病 10 |
不慮の事故11 |
肺炎 4 気管支炎 |
61 |
88 |
ガン 21 |
脳卒中 21 |
心臓病 18 |
肺炎 10 気管支炎 |
不慮の事故 6 |
平2 |
76 |
ガン 23 |
脳卒中 14 |
心臓病 9 |
肺炎 8 気管支炎 |
不慮の事故 5 |
6 |
86 |
ガン 36 |
脳卒中 14 |
心疾患 12 気管支炎 |
肺炎 10 気管支炎 |
不慮の事故 4 |
*『上富良野』要覧資料編より作成。
高齢化と子育てネット
保健・医療の対策と疾病構造の変化は、保健活動の重点の変化と新たな時代の要請にたえず応えてきたが、とりわけ保健活動と関連機関との連携が強く必要とされるようになった。大きくは高齢社会に対応した平成元年のゴールドプラン(高齢者保健福祉十ヵ年戦略)と、少子化傾向が強まったことに対処した平成6年の「エンゼルプランプレリュード」(児童家庭施策)の2つの課題を遂行するために、行政の関係機関のみならず、民間機関や団体、そして男と女、それぞれの連携や各機関との共同が求められている。
業務推進のための連携について上富良野では、昭和54年『上富良野町総合計画』に疾病予防の保健衛生行政の充実を図るため、「住民・団体、保健婦、町立病院・医療機関の連携」をかかげた。
実質的な保健・医療との連携は、福祉の分野が加わることによって、高齢化を社会的に支える体制づくりとして、連携への模索が始まった。上富良野では平成2年から4年までの3年間に道の「高齢者地域ケア・モデル事業」の指定をうけて、在宅福祉サービスの基礎を確立した。ホームヘルプサービス、デイサービス、ショートステイ、緊急通報システム(やすらぎコール119)などのシステムを運用するためには、関係機関の人々の連携が不可欠であった。そして5年に上富良野町の『老人保健福祉計画』が策定された。在宅要介護者は保健・医療・福祉の連携によって支えられている。
さらに、少子化傾向のなかで、1人の女性が生涯に産む平均的な子どもの数(合計特殊出生率)が、平成5年に1.4人という数値を厚生省は示し、北海道も低い水準が続くなかで1.33人と最低を示した。また、人口千人に対する出生率を比較すると、上富良野の出生率は一貫して富良野管内、道、全国を上回っているが、低下傾向は変わらない(表7−47)。
上富良野として展開してきた母子保健施策は、子育て支援の「エンゼルプラン(プレリュード)」の構想によって、医療・教育・福祉との連携をもった社会的支援として充実させることになった。さらに、母親を「孤独な子育て」から解放し、父親にも赤ちゃん誕生や子育てに母親との共同の営みを促している母親学級は、出産後に新たな母と子のネットワークづくりを生み出している。共同の新聞『ママドルタイムズ』(平9・9)には、ヤングママ同士の出会いや保健婦の援助によって、乳児をもつ母親の不安が、子育ての喜びに変わっていく手記が満載されている。
ほかに、保健婦の活動としては母子・成人・高齢者に対する、健康相談、健康教育、健康診査、家庭訪問、機能訓練、関連機関への連絡などがある。
表7−47 出生率(人口千対出生)の推移
項目年次 |
上富良野 |
富良野管内 |
道 |
全国 |
昭和43年度(1968) |
20.1 |
16.0 |
17.1 |
18.6 |
49年度(1974) |
20.6 |
16.3 |
17.9 |
18.6 |
59年度(1984) |
14.6 |
12.5 |
12.4 |
|
平成 6年度(1994) |
13.7 |
10.8 |
9.0 |
9.6 |
*1969年・1975年・60年・平成7年『道北保健年報』より作成。