第7章 現代の上富良野 第5節 現代の交通と通信
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4、通信の拡充
上富良野郵便局の業務状況
近年の上富良野郵便局の業務状況について、局の調査に基づきみてみよう(表7−28、表7−29)。このうち、郵便物の昭和61年以降は1987年版・91年版・93年版・98年版『上富良野町勢要覧』の資料編によった。
全体を通じてうかがえるのは、開設業務の取り扱い件数が近年やや減ってきていることである。業務は郵便物、貯金、簡易保険の取り扱いが中心で、郵便物・簡易保険は昭和60年以降ほぼ取り扱い量にそれほど大きな変化はなく、こうした業務に対する町民の信頼がほぼ定着していることを示していよう。それに対し、貯金の取り扱いが近年目覚ましく増えている。これは郵便事業の今後を考える上で、注目すべき事柄といえよう。
この間の上富良野郵便局の沿革をまとめてみると、次のようになる。
昭和51年9月1日、電報配達業務が旭川電報電話局で集中実施することになった。同58年4月18日、簡易保険オンラインサービスを開始。同年7月25日、為替貯金オンラインサービスを開始。同59年2月11日、富良野〜上富良野〜東中間が自動車郵便路線となる。同60年11月15日、大町1丁目1(現在の局舎所在地)に局舎を新築し、その引渡しを受ける。平成2年2月1日電報配達業務を廃止。
局長は昭和55年6月30日に3代河村善翁に代わり十川薫が就任し現在に至っている。
表7−28 上富良野郵便局業務状況
|
郵便物(引受) |
為替(件数) |
貯金(件数) |
年金恩給 |
|||
通常 |
小包 |
振出 |
払渡 |
預入 |
払戻 |
払渡(件数) |
|
昭51 |
907,755 |
7,795 |
2,068 |
1,220 |
14,431 |
9,306 |
663 |
56 |
846,153 |
5,847 |
1,800 |
1,250 |
11,507 |
9,068 |
776 |
61 |
1,086,970 |
6,205 |
1,680 |
1,993 |
13,553 |
10,377 |
23 |
63 |
1,044,270 |
23,354 |
1,718 |
2,266 |
16,769 |
15,699 |
20 |
平2 |
1,076,980 |
27,018 |
1,692 |
2,037 |
18,311 |
17,920 |
16 |
4 |
1,088,930 |
31,206 |
1,611 |
1,995 |
21,135 |
19,828 |
14 |
6 |
1,240,150 |
32,590 |
1,450 |
1,888 |
23,932 |
24,483 |
3 |
8 |
1,184,000 |
31,748 |
1,596 |
2,263 |
25,485 |
32,077 |
2 |
|
国庫金(件数) |
簡易保険 |
集配回数 |
ポスト |
切手類・収入印紙売捌所 |
||
受入 |
払渡 |
件数 |
金額・円 |
||||
昭51 |
1,872 |
1,142 |
6,737 |
142,389,778 |
1 |
18 |
11 |
56 |
1,400 |
742 |
6,909 |
256,122,310 |
1 |
18 |
11 |
61 |
1,550 |
198 |
8,713 |
465,764,886 |
1 |
21 |
14 |
63 |
1,120 |
81 |
8,365 |
589,313,731 |
1 |
21 |
18 |
平2 |
1,056 |
40 |
7,874 |
673,688,252 |
1 |
22 |
19 |
4 |
1,115 |
51 |
7,057 |
603,274,998 |
1 |
22 |
19 |
6 |
1,454 |
32 |
5,961 |
654,089,575 |
1 |
22 |
19 |
8 |
1,295 |
45 |
4,400 |
629,093,054 |
1 |
22 |
24 |
表7−29 上富良野郵便局職員数
|
局長 |
副局長 |
局長代理 |
総務主任 |
主任 |
事務貞 |
合計 |
昭和51 |
1 |
|
2 |
3 |
7 |
19 |
32 |
56 |
1 |
|
2 |
3 |
5 |
20 |
31 |
61 |
1 |
|
2 |
3 |
6 |
20 |
32 |
63 |
1 |
|
2 |
4 |
21 |
4 |
32 |
平成2 |
1 |
1 |
3 |
5 |
18 |
3 |
31 |
4 |
1 |
2 |
3 |
5 |
17 |
3 |
31 |
6 |
1 |
2 |
3 |
5 |
16 |
2 |
29 |
8 |
1 |
1 |
4 |
5 |
17 |
1 |
29 |
9 |
1 |
1 |
4 |
5 |
16 |
1 |
28 |
写真 現在の上富良野郵便局
※ 掲載省略
東中郵便局の状況
ここでは、局の調査に基づき、近年の沿革をみておこう。
昭和四十六年十月一日、上富良野・東中間が自動車郵便路線となる。同五十年十一月十五日、現在地の上富良野町字富良野原野一の一(東八線北一八号)に局舎を新築、移転して開局。同六十一年六月三十日、郵便集配事務、貯金・保険集金事務、放送委託事務を廃止し、無集配局に移行。
東中郵便局は局長と職員一人の計二人で業務を行なっている。局長は、昭和五十四年六月三十日に三代目の高橋寅吉に代わって横山忠が就任し、さらに、同六十一年三月二十四日に横山に代わって、鈴木靖士が就任し、現在に至っている。
写真 現在の東中郵便局
※ 掲載省略
電話の普及
電話が戦後になって急速に普及し、昭和四十年代半ばには三・五戸に一台の割合で普及したということはすでにみたところである。その後も電話の普及は目覚ましく、平成八年の時点では、住宅用加入電話四〇六九台、事務用加入電話一一二四台、合計五一九三台で、この時の上富良野町の世帯数は五一〇〇戸であるから、今日では、ほぼ一戸に一台の割合で電話が普及しているといっても過言ではないであろう。
これまでの加入電話の普及状況は表7−30のとおりである。数字は、一九七九年版・八三年版・八七年版・九一年版・九六年版・九八年版『上富良野町勢要覧』の資料編によった。
このなかで、地域集団電話が四十九年度の数字しか載せていないのは、五十五年度から農村集団電話が一般電話に切り替わったためである。この結果、上富良野町においてはこれまであった、東中の地域団体加入電詔や、農村集団電話などのいわゆる多数共同電話が姿を消し、一般電話が全地域で利用されるようになった。
電話に関しては、最近これまでになかった状況があらわれている。すなわち、一九九〇年代半ば以降、携帯電話やPHS(簡易型携帯電話)が急速に普及し、電話がほとんど生活の一部であるかのように使われるようになっている。その結果、電話がこれまでの人と人とのコミュニケーションの取り方だけでなく、延いては生活のスタイルにまで影響を及ぼすようになってきている。こうした電話文化とも呼ぶべき今日の現象については、今後注意深く見守っていく必要があろう。
表7−30 電話普及状況
年度 |
一般加入電話 |
地域集団電話 |
総数 |
||
住宅用電話 |
事務用電話 |
計 |
|||
昭和49 |
916 |
711 |
1,627 |
984 |
2,611 |
54 |
2,987 |
949 |
3,936 |
− |
3,936 |
59 |
3,219 |
971 |
4,190 |
− |
4,190 |
平成元 |
3,505 |
1,021 |
4,526 |
− |
4,526 |
6 |
3,988 |
1,051 |
5,039 |
− |
5,039 |
8 |
4,069 |
1,124 |
5,193 |
− |
5,193 |
テレビの普及
平成8年度のテレビ受信状況をNHKの受信契約数でうかがうと、上富良野町の世帯数5,100戸に対して、地上契約数2,904戸、普及率56.9l、衛星契約数603戸、普及率11.8l、合計契約数3,507戸、普及率68.8lである(1998年版『上富良野町勢要覧』資料編)。この契約数は昭和44年度の総契約数3,201戸と比べると300戸余り増えただけである(同45年刊『北海道市町村勢要覧』)。契約数だけではテレビの普及率は判断できず、おそらく今日ではほとんどの世帯にテレビが普及していると考えてよいであろう。
富良野盆地一帯は十勝岳連峰や夕張山系に囲まれ、昔からテレビ放送の受信状態が不良な難視聴地域であった。それで、昭和40年にNHK富良野テレビジョン放送局が中富良野駅裏に建設され、NHK・STV(札幌テレビ放送)・HBC(北海道放送)などのXHF電波による放送局の難視聴は解消された。しかし、UHF電波によるテレビ局の放送は難視聴が解消されなかった。そこで、同54年に上富良野町の江花地区にHTV(北海道テレビ放送)・UHB(北海道文化放送、同47年放送開始)両放送局の中継局が建設され、翌年1月10日から放送が始められた。こうしてUHF電波の放送についても難視聴が解消されることになった(『広報かみふらの』第248号、昭55・1)。
町内広域連絡網の整備
上富良野町における広域連絡システムとしては、戦後しばらくの間、有線放送がその役割をはたしていたが、すでに第6章第5節でみたように、昭和39年にほぼ休止の状態となり、その施設は消防署に移され、災害その他の連絡用に使われることになった。
この町内放送に関して、近年2つの大きな事業が行なわれている。「防災行政無線通信施設」の設置と、有線街頭放送の開始である。
前者の「防災行政無線通信施設」は、防衛施設庁の補助を得て完成し、昭和59年1月から開局した。災害時の緊急情報や一般行政など、町民生活に密着した各種情報を町民により早く伝えるためのものであった。役場を親局(本部放送局)とし、市街地12カ所に設置される野外放送塔(野外受信局)及び市街地域外全戸に設置される戸別受信機を通じて全町の家庭にもれなく情報を伝えるシステムであった。「こちらは防災かみふらのです」をコールサインとして、朝夕の定時放送がされることになった(『広報かみふらの』第295号、昭58・12)。
後者の有線街頭放送は、上富良野商工会が商店街の活性化を図る目的で、市街地を対象に、商工会の情報や、災害などの緊急情報、町の行事などの公共的な情報を伝えようとして設置したものである。
昭和62年6月に工事が終わり7月20日から放送を始めた。放送機器は商工会内に置かれ、放送網は、市街中心部と東明、あすなろ、丘町、光町などの周辺団地をカバーした(『北海タイムス』昭62・5・20、『広報かみふらの』第339号、昭62・8)。
こうした広域連絡網が整備されたことは、活火山十勝岳をいただく本町に居住する町民にとっては心強いことであり、円滑な運用が望まれる。
写真 防災行政無線
※ 掲載省略