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7章 現代の上富良野 第4節 自衛隊と上富良野

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2、自衛隊の町・町民への協力活動

 

 定例会議の開催

 31年10月から毎月第1金曜日を定例として町側と自衛隊側との会合が開催されるようになった。これは「自衛隊が私どもの町に、駐とん以来、いろいろと意見を交換しあって、よりよい住みやすい町づくりに協力して頂いている、はなしあいを『町と自衛隊との定例会議』といって毎月町がわと隊がわの代表者が、会議場所も交代で、はなしあいをしています」(『広報かみふらの』15号)と記されているように、町と自衛隊が緊密な協力関係を樹立して、お互いの要望や疑問点などを両者の話し合いを通じて対応策を練ろうとするものであった。その第1回は同月5日に駐屯地内で開かれている。

 出席者に異同はあるが、当初は町側として町長、議長、副議長、教育委員長、教育長、社会教育委員長、商工会頭、巡査部長らが参加していた(32年2月8日定例会議の場合など)。また自衛隊側からは駐屯地司令をはじめとする幹部が出席している。公文書として残されている最も古い史料は31年11月の第2回の会議の議案である。その席上では、

  1、演習場火防線設置について

  2、演習場内綜合分列場設置について(以上町提出)

  3、共済組合基金融資に関する回答(自衛隊提出)

などを内容とする話し合いがもたれた。定例会議はその後も継続して開かれ、自衛隊車輌のスピード制限や廃弾処理など、その時々に生じた様々な問題を解決するとともに、両者の意思の疎通を図った。

 

 部外協力

 部外協力は、自衛隊法100条に規定されているが、地方公共団体などからの要請により、土木・通信工事・防疫・輸送事業を受託・施行し、民生に寄与するとともに、各種行事にも協力するものである。経費が割安でかつ施工が良心的だったので、各地で歓迎されていた。その中核は土木工事にあり、施設隊が担当していた。しかし当初は駐屯地には配属されていなかった。そこで町は32年12月防衛庁に請願書を提出し、その中で施設隊の設置による道路網の整備を要望した。部外協力は、翌年12月に待望の第308地区施設隊が移駐した後に本格化した。34年から小・中・高校の整地工事や、道路の新設・拡張工事、また除雪出動などにも活躍した。上富良野では57年まで行われた。その内訳は学校関係6件、グラウンド整地1件、施設周辺造成3件、道路新設など14件、除雪11件など、合計で35件にのぼった。なお施設隊による部外協力は、上富良野のみならず、富良野・美瑛・中富良野・南富良野・占冠までを対象とした。さらに留萌支庁管内(留萌・羽幌・増毛・小平・初山別)、上川支庁管内(上川・当麻・和寒)、北空知(深川・秩父別・幌加内)までその足跡を残した。総計118件の土木工事と19回の除雪工事を行って、63年3月部隊は廃編された(『拓道施魂』など)。

 

 写真 十勝岳産業開発道路の工事

 写真 上富良野中学校のグラウンド整地作業

  ※ いずれも掲載省略

 

 災害協力

 災害協力は、自衛隊法83条に基づいて、都道府県知事その他の機関と連絡を保ちつつ、災害派遣のための計画を作成し、不慮の天災地変その他の災害に備えるものである。32年7月13日に北海道庁は北海道訓令第32号をだして「災害救助法施行細則」を全面的に改正し、従来知事から派遣要請していたのを支庁長に権限を委譲し、災害時の自衛隊派遣を円滑に行えるように改め、迅速な対応が可能となった。町内の災害派遣活動では、演習場内を含めた山林火災、十勝岳噴火、水害、雪害、給水支援などに出動してきた。ここでは町及び町民に大きな被害を与えてきた十勝岳噴火と水害に限定してその活動をみていこう。

 移駐後の十勝岳の噴火活動は、37年6月29日から7月15日までと63年12月から翌年3月までの2度起きている。その詳細は該当する節を参照してほしいが、この時に駐屯地は災害派遣準備指揮所を設置し、多数の隊員のみならず、航空機・車両を動員しての救援活動を展開した。前者においては6名の人員を救助していた。また後者では上富良野を隊区とする第2戦車大隊が、危険を冒して泥流監視装置を設置し、泥流発生後1時間以内に300人を出動させて住民救助を行う態勢を、半年間もとり続けたのである(『朔北』)。現在でも噴火に備えての関係機関との連携や訓練が行われている。

 次に水害については、大規模なものとして36年7月、37年8月・41年8月・50年8月・56年8月の5回見舞われ、その度に災害協力が行われてきた。夜を徹しての作業により幾多の人命を救い、築堤や護岸などの作業を行い、被害を最小限にくい止めるなど、大きな役割を果たしてきた。

 

 基地周辺の整備

 次に基地周辺の整備事業について触れる。41年7月に『防衛施設周辺の整備等に関する法律』が制定された。この法律は、自衛隊の演習などの行動或いは防衛施設の運用などにより生じた障害の防止のために必要な措置をするとともに、損失を補償することで、関係住民の生活の安定及び福祉の向上に寄与することを目的とするものであった。この法律では、農林水産施設、道路、防災施設、上下水道などの障害防止工事と民生安定施設への助成を主たる対象としていた。町はさっそく陳情して、42年にはまず障害防止事業として河川関係全体計画調査と東2線道路改良工事、また民生安定事業としてし尿処理施設設置事業調査が認められた。

 この法令は49年に『防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律』に改正され、騒音防止対策事業が強化されるとともに、「内閣総理大臣は、防衛施設の設置又は運用により周辺地域に及ぼす影響等を考慮して、特定の防衛施設及び関係市町村の関係行政機関の長と協議のうえ、特定の防衛施設及び特定防衛施設関連市町村として指定することができるものとし、国は、当該特定防衛施設関連市町村に対し、公共用の施設の整備を行うための費用に充てさせるため、特定防衛施設整備調整交付金を交付することができるものとする」(同法第9条の細則)こととなった。この法律に基づき上富良野演習場は特定防衛施設と位置付けられ、上富良野・中富良野・富良野が特定防衛施設関連市町村に指定された。

 49年からは、新たに学校や病院を中心とする騒音防止事業が始まり、調整交付金を利用した様々な事業が行われてきた。

 42年度では約269万円にすぎなかった補助金が、物価の上昇があるとはいえ、平成6年度では12億7,376万円となり、同年までの基地周辺整備事業に対する補助金は総額で約278億円にのぼっている。障害防止事業は河川改修・ダム工事・用水路改修など36事業、道路改修として16事業、民生安定事業として農業用施設・水道施設・体育館建設など19事業が、実施されてきた。また49年度より新たに騒音防止事業として小中高校に幼稚園・保育所、さらに町関係庁舎を加えて24事業が行われた。また同年度から交付された調整交付金を利用して、道路改良のほかにもコミュニティ広場の整備・公園整備・各種公共車両の購入など、多面的に88事業が執行されてきた(以上は平成6年度まで)。

 町は、44年に「基地対策に関する事項を調査するため」に、基地対策専門委員を設置した。専門委員は、@基地に起因する税収の欠陥、特殊財政需要、特殊な社会環境などに関する対策、A自衛隊などの行為又は防衛施設の運用により生ずる障害の防止などのため必要な措置に関すること、B自衛隊などの特定の行為により生ずる損失補償に係る住民の生活安定及び福祉の向上に関すること、C自衛隊員の増員及び自衛隊と住民相互の親睦、融和に関する事項、などを職務とするものである。定数は10人で任期は2年とされた(『上富良野基地対策専門委員設置規則』)。基地対策専門委員は、41年の『防衛施設周辺の整備等に関する法律』、及び49年に改正された『防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律』に基づき設置されたものであり、直接には町民の陳情などを踏まえながら、防衛施設周辺整備事業を推進する役割を果たしてきた。当初は全員町議会議員で構成されていたが、50年からは広く住民の意見を取り入れるという観点に立って、商工会・農協・土地改良区の代表も含むようになった。

 

 駐屯地と町民との交流

 さて駐屯地側は開庁以来、町に溶け込む努力を重ねてきた。開庁記念日には駐屯地内が公開され、様々な記念行事が町民を楽しませてきた。34年には、全国初めての試みとして市街地に巡察隊詰所(保安巡察隊控所)を設けて、町民とのトラブルの一掃を図り成果を挙げた(『富良野新聞』昭34・4・30、同6・13)。

 また37年12月には、町民を集めての事故防止懇談会を開いている(『広報かみふらの』50号)。35年には、当時全国で初めてといわれる町に永住を希望する隊員用に個人住宅の建設が行われるなど(『富良野新聞』昭35・3・17、同8・11)、歴代の駐屯地司令が指摘してきたように、全国でも例をみないような町及び町民と部隊との密接な交流・協力関係が作られてきた。その代表的な例として、ここでは主として田植えと雪祭りを取り上げることにしたい。

 

 田植え援助

 『富良野新聞』(昭34・5・21)は、月例協議会(定例会議)の席上、自衛隊側から「隊員の田植え援助について、特に女子家庭並びに生活困窮者への援助とし、部隊としてではなくあくまでも隊員の自発的なものによる。(中略)隊では希望者を募り、町では申し込み者を纏め、これによって照会実施する」という方針が示されたと報道している。田植えへの協力が始まった時期を明示することはできないが、この記事の見出しに「ことしも田植え援助」とあることから、駐屯地閉庁後はどなく隊員の間から自発的に始まったことがうかがえる。

 なお続報には、「田植え援農が26日実施された。(中略)希望者196人(『広報かみふらの』12号は198名とする)で生活困窮農家や女子家庭あるいは不慮の災害などにより著しく労働力の不足している農家48戸について分散し援農したものだが、腰弁当にそれも完全なる無報酬であるため、各農家から深く感謝されていた」と記されている(同5・28)。

 その後も部隊演習の合間をぬっての隊員有志による援農が続けられていたようであるが、37年になって部隊が改編された機会を利用し、隊員から希望者を募るという基本は踏まえつつも、広報訓練の一環とみなして駐屯部隊としても積極的に関与するようになった。即ち「援農は隊員個々の発意によることを原則とし、篤志隊員数が多いときは、輸送その他について援助するほか、必要に応じて管理支援を行う」こととなり、母子家庭・生活困窮者・労働力不足家庭・隊員の出身家庭などを主たる対象として実施されるようになった。また周辺地域からの要望にこたえて対象町村も広まり、上富良野・中富良野(全部隊)、富良野(第一〇四特科大隊)、山部(第二戦車大隊)、南富良野(第一一七特科大隊)、占冠(第一二〇特科大隊)でも行われた(『上富週報』昭37・4・6)。

 40年には、延べ人数で2,628名の隊員が参加している(『上富週報』昭40・5・28)。田植えへの協力は44年までは資料的に確認できるが、その後については不明である。また援農の一環として、稲刈りの支援(49年10月)や霜害予防のくん煙出動(55年など)も行われた。

 

 写真 東中での田植え援農

  ※ 掲載省略

 

 雪まつりへの協力

 開庁半年後の31年3月9日に第1回雪祭りが駐屯地内で開かれた。各中隊が製作した雪像に対するコンクールが開かれ、また武道大会や音楽隊による演奏会などが町民に公開され、多数の町民を喜ばせた。その後も雪祭りは駐屯地が主催して継続され、町内にとどまらず富良野沿線住民の冬の娯楽として親しまれてきた。40年には雪祭り協議会が主催する形に変わり、全町あげての行事となり主会場も63年から町内の公園となったが、雪像作りの主役は駐屯地が担っている。

 この他にも町や商工会などからの要請に答えて、駐屯地の行事協力として、平成8年度を例にとると、上富良野雪まつり、中央保育所慰問演奏、十勝岳防災訓練、ラベンダー祭り、招魂祭・市中行進、十勝岳火まつり、ふれあい広場盆踊り大会、上川南部消防組合消防総合演習、上富良野町文化祭などが行われた。さらに部隊単位の計画行事も実施されている。これら協力行事の主役的役割を果たしてきたのが、駐屯地音楽隊である。音楽隊は、駐屯地内の音楽愛好者を募って34年3月28日に発足し、町当局などからの協力依頼に答えて、様々な町内行事で演奏してきた。また町議を初めとして、町内の各種団体による体験入隊も行われてきた。さらにワールドカップ富良野大会のコース整備など富良野沿線の市町村への協力活動も続けられている。

 

 写真 上富良野雪まつり

  ※ 掲載省略

 

 自衛隊に関係する組織

 町内には、町民と駐屯地との融和・交流を図るための組織が幾つかあるので、ここで組織ごとに触れておく。

「富良野地方自衛隊協力会」

 35年11月に町の呼びかけで結成され、上富良野・富良野・美瑛・南富良野・中富良野・占冠で構成している。そのメンバーは、富良野線沿線市町村長・議長・公職者を中心としている。

 なお上富良野支部は、38年3月に組織され、支部長は歴代の町長が務める。59年7月には婦人部が結成された。部隊や隊員に対する協力組織で、自衛隊員の激励並びに後援などに努めるとともに自衛隊の実態を認識し、自衛隊の健全な発展に寄与することを目的としている。具体的な活動としては、自衛隊行事への協力、隊員との親睦、入隊予定者に対する激励などを行っている。『ふらの原野』の発行母体でもある。

「全国自衛隊父兄会旭川支部連合会富良野地区支部協議会」

 隊員の父兄をもって組織し、防衛思想の研究及び普及、自衛官の募集に対する協力、自衛隊の諸行事に対する協力、自衛隊員の慰問・激励、機関紙の配布などを行っている。占冠を除く5支部があり、上富良野では34年3月1日設立。

「富良野地方自衛隊退職者雇用協議会連合会」

 53年4月(『ふらの原野』三十周年記年号は49年7月とする)に上富良野、次いで美瑛、富良野市、中富良野と富良野沿線1市3町に雇用協議会が設立された。56年3月には連合雇用協会を発足させ、自衛隊除隊者の就職援護に活動している。上富良野の自衛隊除隊者雇用協議会は商工会を中心に組織されている。

「自衛官志願推進協議会道北連合会富良野支部」

 自衛官志願を推進する任意団体で、委嘱を受けた「募集相談員」の結合体で、自衛官志願者情報の提供、地域住民に対する啓発活動など募集・広報活動を行っている。富良野支部は、1市4町1村で構成されている。

「上富良野町防衛基地対策協議会」

 会長は歴代の町長で、町・農協・草分土地改良区・東中土地改良区で構成される。43年4月1日設立。

 

 このほかにも、商工会を中心に結成されている上富良野駐屯地曹友後援会(平成5年9月1日発足)、自衛隊退職者で構成される隊友会上富良野支部(38年3月に結成)がある。また駐屯地内には付属団体として、修親会(開庁とともに結成、歴代の駐屯地司令が会長)・曹友会(平成元年4月1日結成)・音楽隊(先述)が組織されている。