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7章 現代の上富良野 第2節 現代の農業と林業

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6、現代の林業

 

 町有林の処分

 昭和45年、町は三線校舎改築、福祉センター建設、上水道整備など懸案の大きな新事業を抱えるなかで、1億円にも上る財政難に直面して、江幌地区の町有林274fの売却を決めた。この町有林には1、2年生から15年生のカラマツ林(130f)と30年生のトドマツ林(101f)があり、評価額は1億5,000万円。そのうち45年度は1億円分を売却する計画であった(『北海道新聞』昭45・4・28)。しかし、町議会で強い反対意見が出た(同、昭45・6・19)ことに加え、当初の容易に売れるという町の予想は外れ、「高すぎる」「ほしいが資金繰りがつかない」などの理由から、交渉した10社などとの交渉も不調に終わり、46年度予算の編成を控えるなかで、町は苦境に追い込まれていったのである(同、昭46・2・28)。

 これは町側の見通しの甘さや保安林としての制約などの問題もあったが、この時期の上富良野の林業をめぐる環境を象徴した出来事であるといえるであろう。この時期、需要や市況の低迷など木材をめぐっては、既に厳しい環境のなかにあったのである。財政上の理由から46年に所有権は振興公社へと移っていたが、江幌町有林の売買がようやく成立したのは47年9月のことである。1億3,000万円で東海不動産(本社・東京)に売却された(『広報かみふらの』160号、昭47・9)。

 

 上富良野森林組合と広域合併

 昭和26年に協同組合組織に改組され、31年には第一次振興計画、36年からは第二次振興計画を策定するなど、上富良野森林組合は厳しい財政状況のなかで運営されてきた。46年には2,000万円余りの赤字解消のために、壁掛けや置物台など工芸品の生産にも取り組む(『北海道新聞』昭47・6・27)などの経営努力も重ねたが、広域合併により48年4月、富良野地区森林組合として再出発することになった。初代組合長には旧上富良野森林組合の組合長であった村上国二が就任、旧事務所は富良野地区森林組合上富良野支所となっている。

 48年にはこの地区森林組合によって、江花にカラマツ加工工場が建設されている。カラマツは成長が早いことから昭和30年代以降も積極的に植林されてきたが、間伐や皆伐期を迎えたなかで、小径木や曲がりが多いという性質から、その消流対策が急務だったのである。ところが、この年は第一次オイルショックに重なり、製品安のなかで間もなく休業に追い込まれてしまった。

 やがて、53年に新たに設立された北海カラマツ加工企業組合によって工場は再建され、市況の落ち着きのなかで輸出向け電気製品や部品の梱包材を中心に、運送用パレット、土木用型枠材などの供給が行われている(『北海道新聞』昭58・6・8)。

 上富良野の林業全体としては、現状は木材価格の低迷や経営費の増大など、極めて厳しい環境にある。だが、『上富良野町総合計画』(平成元年−平成10年)によれば、上富良野の山林保有状況は10f未満の小規模保有者が80l近くを占め、農家所有も80lに及んでいるといわれ、その合理的経営を確立するために、森林組合への長期経営委託の促進、計画的で適正な事業の実施の必要性を指摘する。また、森林を単なる林業の対象としてだけではなく、森と木の文化を育むレクリエーション・エリアとしての重要性も指摘しており、施業や森林保全など森林組合のもつ役割は今後も大きいといえるだろう。