郷土をさぐる会トップページ    上富良野百年史目次

7章 現代の上富良野 第2節 現代の農業と林業

987-989p

4、土地改良と土地改良区

 

 現代の土地改良事業

 土地改良事業の目的が農業機械化への対応など生産性の向上や生産基盤の整備へと転換され、事業は総合的土地改良事業として取り組まれるようになったことは前章でも述べた。41年から実施され47年に完工した富原地区道営圃場整備事業は、こうした変化のなかで上富良野では初めて取り組まれた総合的土地改良事業であったわけだが、その後も上富良野を含む地域で、新たに創設された国営や道営などの土地改良、基盤整備事業が行われている。

 国営しろがね地区畑地帯総合土地改良パイロット事業もそのひとつである。上富良野、美瑛、中富良野にまたがる十勝岳のすそ野の畑を中心とした地域で、用水確保と排水改良を目的とする潅漑排水事業に、農地造成と区画整理を加え総合的な基盤整備を進めようというもの。全体の事業面積は8,000fを超え、そのうち上富良野は2,642fが計画面積となっている。畑地帯総合土地改良パイロット事業としては59年から着工した。

 日新、清富、旭野を含む地域で59年から実施されている道営の日新地区農林地一体化パイロット事業も新しい基盤整備事業である。260fの受益地区内で農地造成や傾斜地の改良、基幹道路の整備を行うもので、機械の大型化などに対応した基盤を整備することで、生産性の向上や経営規模の拡大を目的としている。

 また、農免農道事業も新しい基盤整備事業だが、富良野平原地区道営広域営農団地農道整備事業の上富良野内の工事が62年から進められた。平成5年には日の出地区吹上線から、草分地区三沢線間の6`bが開通したが、この道路工事で建設される幅6bという広域農道は将来、旭川空港までつながる予定で、農産物の輸送などに利用されることが目的に含まれている。

 もちろん、従来からの土地改良事業も行われているが、そのなかから主なものを上げると、48年には用水不足解消のための障害防止対策事業・日の出ダムが着工、57年に竣工している。

 ほかにも道営かんぱい島津地区、道営農地開発事業倍本地区、道営客土事業創成地区などの事業が行われた。

 

 草分土地改良区

 草分土地改良区にとっては念願であった日新ダムの完工式が49年8月に行われている。ダム本体は47年に完成、48年に草分頭首工、日新幹線用水路、流域変更用水路等が完成(『北海道新聞』昭49・8・10)し、この完工式を迎えたわけだが、47年10月18日にはダム本体の完成に合わせ、「富源の湖」と刻まれた改組20周年記念・日新ダム記念碑をダムサイトに建立、除幕式を挙行した。

 日新ダム竣工以降も、障害防止対策事業中茶屋用水路、江幌ダム改修、島津西地区団体営かんぱい事業、島津東地区団体営かんぱい事業など、途切れることなく土地改良事業の施行は続き、新たに加わった日の出ダムを含め、改良区内の施設の維持、管理を遂行している。

 平成7年度の時点で組合員戸数は360戸(内上富良野291戸)、賦課面積は1,099f(内上富良野775f)、歴代の理事長は次の通りである。

  初代 田中勝次郎 就任・昭和27年7月

  2代 仲川善次郎    昭和40年7月

  3代 松下 金蔵    昭和56年11月

  4代 北川 恒夫    平成元年11月

 

 写真 草分土地改良区事務所

  ※ 写真省略

 

 東中土地改良区

 東中土地改良区は昭和55年6月10日、道営温水溜池事業、国営付帯道営かん排事業山手支線、同第一用水工事、島津地区かん排事業、道営富原地区圃場整備事業、また、防衛施設周辺整備障害防止事業ではヌノッペ用水路、広巾用水路、倍本用水路工事など、40年以降に施行した事業の完成を祝い、総合完工祝賀式と併せて事務所前庭に建立した「清流の郷」の記念碑除幕式を行った。

 これら改良区内の各種基盤整備事業の完成で、東中土地改良区の業務の主力は施設の維持、管理へと移っていったのだが、こうした事業を通し農業生産の基盤を支える責任を現在もなお果たしている。

 平成7年度における組合員数は255名、賦課面積は1,329f、歴代の理事長は次の通りである。

  初代 中西 覚蔵 就任・昭和27年8月

  2代 床鍋 正則    昭和39年8月

  3代 南 米次郎    昭和55年8月

  4代 松田 勝利    昭和57年2月

  5代 南  藤夫    昭和59年8月

  6代 久保田英市    平成7年8月