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7章 現代の上富良野 第2節 現代の農業と林業

978-984p

2、現代の主要作物

 

 水稲

 既に述べたように、44年まで上富良野の基幹作物として、作付け、収量とも順調に増加を続けてきた稲作だが、45年からの生産調整や、それに続く50年度からの水田総合利用対策、53年度からの水田利用再編成対策で、作付けは大きく半減してしまうのである。とくに3期にわたって実施された水田利用再編成対策が打ち出した減反の割り当ては、第1段階で前年の約2倍、生産量で170万d、面積にして40万fを固定化しようというもので、しかも北海道への割り当ては、全国平均22.4lを大幅に上回る34.9lという重いものであった。上富良野はじめ道内の農民から大きな反発がわき上がったのは当然ともいえた。

 米に5段階の格付けが行われるようになったのは47年からだが、北海道にこのような重い減反を割り当てた背景には、道産米は食味が長くないなど、品質を問題視する声があったためである。そのため「一等米生産は向上しているものの全道平均、管内平均にまだ達していません。良質米生産に、より一層の推進をいたします」(『広報かみふらの』昭和63年町政執行方針)と、作付け品種の選択や栽培技術の向上など通し、良質米生産にも本格的な取り組みが始まるのである。

 ちなみに、上富良野におけるこの間の作付け品種の変遷をたどると、40年代の初めは早生種では「シオカリ」が第1位を占め、第2位が「フクユキ」、中生種では「ササホナミ」が第1位を占めていた(『町報かみふらの』96号)。これが50年代に入ると「イシカリ」が主力品種となり、50年代後半になると食味のよい「キタヒカリ」が著しい伸びを見せる。さらに昭和59年には新品種「ゆきひかり」が道立中央農業試験場で開発され、続いて「きらら397」が登場、道産米はまずいという評価を一変させたのである。

 なお、この間の作付け面積、収穫量などの推移は別表(表7−7)の通りだが、反当たり収量の変化でも分かるようにたびたび冷害に見舞われている。とくに平成5年の冷害は10e当たり78`cと平年の6分の1以下であり、まさに歴史的な出来事であったことが分かるのである。

 

 表7−7 作付け面積、収量及び収穫高

  (水稲)

 

作付面積

10a当収量

収穫高

昭和45

1,690ha

461kg

7,790t

昭和46

1,530

283

4,330

昭和47

1,020

512

5,220

昭和48

886

529

4,690

昭和49

911

515

4,690

昭和50

1,160

497

5,760

昭和51

1,720

346

5,970

昭和52

1,430

539

7,720

昭和53

1,350

573

7,740

昭和54

1,340

523

7,010

昭祀55

1,200

499

5,990

昭和56

1,110

478

5,310

昭和57

1,100

529

5,820

昭和58

1,100

318

3,500

昭和59

1,170

543

6,350

昭和60

1,230

528

6,490

昭和61

1,180

538

6,350

昭和62

1,110

498

5,530

昭和63

1,100

516

5,680

平成1

1,100

530

5,800

平成2

1,070

546

5,870

平成3

1,070

506

5,410

平成4

1,170

456

5,320

平成5

1,230

78

957

平成6

1,240

549

6,790

   出典:札幌統計事務所『上川地域市町村主要農作物累年統計書』

 

 麦類

 小麦についても作付け面積、収穫量の推移を別表(表7−8)に掲げたが、53年以降、作付け面積が急増した。とくに55年からは米の作付け面積を逆転している。既に述べたように53年からは水田利用再編成対策が実施された。そのなかで麦類は転作奨励補助金が基本額でも計画加算額で優遇される特定作物に指定され、また、機械導入による作業の省力化が取り組みやすい作物だったことも、飛躍的に作付けが増加する要因だったと考えられる。

 なお、こうした麦類の作付け増加に先立ち、農協は50年に大規模畑麦作団地育成事業として麦乾燥貯留施設を建設、7月から操業したのをはじめ、56年には300dサイロを12基建設した。

 また、輪作体系の確立、地力維持向上のために麦作付けは欠かせないものとして、畑面積の2割くらいは作付けすることを奨励している(『かみふらの農協だより』85号)。

 また、最も作付け面積が大きかった51年の255fをピークにその後は100f前後と、決して大きな作付け面積ではない(表7−8)が、麦類のなかでビール大麦(二条大麦)も上富良野を代表する農作物のひとつといえるだろう。

 畠山司「サッポロビールと上富良野」(『郷土をさぐる』14号)には「輸入麦芽が安値のため、耕作者の増産希望に応じ得ず、北海道の買入契約数は約16万俵に抑えられ、そのうち上富良野は約4,800俵に止まっている由で、国際経済の影響を受ける作物の宿命として伸び悩んでいます」とあるが、「道産麦芽100l」をキャッチフレーズにしたビールが登場する時代である。今後、同じ上富良野の特産であるホップとの組み合わせなど、大きく飛躍する可能性も残されている。

 

 表7−8 作付け面積、収量及び収穫高

  (小麦)

 

作付面積

10a当収量

収穫高

昭和45

31ha

172kg

53t

昭和46

13

168

22

昭和47

7

210

15

昭和48

8

200

16

昭和49

43

280

120

昭和50

61

285

174

昭和51

108

231

250

昭和52

180

321

578

昭和53

455

392

1,780

昭和54

903

373

3,370

昭和55

1,330

246

3,270

昭和56

1,570

367

5,760

昭和57

1,420

330

4,680

昭和58

1,280

355

4,550

昭和59

1,120

330

3,700

昭和60

1,180

456

5,380

昭和61

1,340

421

5,640

昭和62

1,440

228

3,290

昭和63

1,300

398

5,180

平成1

1,210

381

4,590

平成2

1,120

420

4,710

平成3

1,150

389

4,470

平成4

1,220

156

1,910

平成5

697

286

1,990

平成6

762

290

2,210

 

  (二条大麦)

 

作付面積

10a当収量

収穫高

昭和45

34ha

218kg

74t

昭和46

30

220

66

昭和47

65

251

163

昭和48

116

229

266

昭和49

140

266

372

昭和50

193

227

438

昭和51

255

243

619

昭和52

216

215

464

昭和53

216

265

572

昭和54

199

204

406

昭和55

143

215

307

昭和56

78

231

180

昭和57

69

348

240

昭和58

72

342

246

昭和59

95

326

310

昭和60

96

356

342

昭和61

85

368

313

昭和62

101

261

264

昭和63

93

322

299

平成1

95

278

264

平成2

103

366

377

平成3

100

395

395

平成4

99

371

367

平成5

102

479

489

平成6

94

359

337

   出典:札幌統計事務所『上川地域市町村主要農作物累年統計書』

 

 豆類

 豆類もまた米の生産調整によって作付けを大きく伸ばした作物のひとつである。まず、小豆は表7−9からも分かるように、もともと上富良野の有力農産物だったが、米の生産調整が始まった3年目の47年からさらに作付け面積を増加させて稲を逆転、48年は1,350fと史上最高を記録し、50年まで1,000fを超える面積で作付けが行われた。『広報かみふらの』256号)によれば、46年の転作を行ったなかでは小豆と甜菜がとくに好成績を上げ、これが小豆の作付けを激増させる大きな要因になったようである。

 その後は連作障害が出たことや、価格の低迷が響き、次第に作付け面積を減少させたが、57年から価格の復調もあって一時的に作付けを増加させている。ただ、表7−9の10e当たり収量を見てもらえれば分かるように、その年によって収量に大きな変動がある。これは気象条件に収穫量が大きく左右されることの現れであり、価格の不安定さとともにこの作物が抱える大きな問題となっている。

 豆類ではほかに大豆といんげん(菜豆)、豌豆が上富良野の主要作物となっている。そのなかで大豆は53年からの水田利用再編成対策の特定作物に指定され、一時、100fを超える面積で作付けされるようになったが、小豆などに比べると価格水準が低いためその後は低迷している。また、いんげんは30年代に比べると作付け面積は半減しているが、価格が堅調なことから200fから300fの間で、安定した耕作が行われ、豌豆も100fから200fの作付けで、これは全国でもトップクラスといわれている。しかし、小豆同様これらは気象条件に作況が大きく左右されるところに問題を抱えている。なお、54年には上富良野農協の豆調整工場が建設されている。

 

 表7−9 作付け面積、収量及び収穫高

  (小豆)

 

作付面積

10a当収量

収穫高

昭和45

657ha

120kg

788t

昭和46

733

108

791

昭和47

1,170

197

2,300

昭和48

1,350

161

2,180

昭和49

1,290

180

2,320

昭和50

1,210

105

1,270

昭和51

565

133

751

昭和52

845

173

1,460

昭和53

742

240

1,780

昭和54

785

167

1,310

昭和55

599

164

984

昭和56

617

94

582

昭和57

798

179

1,430

昭和58

965

96

922

昭和59

840

159

1,340

昭和60

644

164

1,060

昭和61

510

200

1,020

昭和62

477

211

1,010

昭和63

722

186

1,340

平成1

698

188

1,310

平成2

745

177

1,320

平成3

570

202

1,150

平成4

550

173

951

平成5

712

153

1,090

平成6

697

172

1,200

   出典:札幌統計事務所『上川地域市町村主要農作物累年統計書』

 

 馬鈴薯

 戦前から澱粉の原料、あるいは食用として広く耕作されてきた馬鈴薯だが、別表(7−10)からも分かるように、最大時の44年には1,070fに作付けされるなど、現在は上富良野における畑作の基幹作物として大きく育っている。そのため、この間には主産地形成の努力も払われている。

 そのひとつが46年の上富良野大雪馬鈴薯生産組合(組合長・大場清一)設立である。農業構造改善事業が43年からの3年計画で、馬鈴薯生産を主力とする江花、江幌を地区指定して実施されたことは既に述べたが、こうした大型機械の導入など経営の近代化が進められるなかで、江幌第一共栄馬鈴薯生産組合(37年設立)と、江花第二馬鈴薯生産組合(38年設立)が統合して上富良野大雪馬鈴薯生産組合が発足(『上富週報』昭46・2・26)、農協を通し全国への流通が図られたのである。

 また、53年頃といわれるが、里仁でも馬鈴薯生産者10戸によって津郷生産組合(代表・泉隆春)が組織されている。生産する男爵の品質管理と生産者責任を明確にすることが目的で、その結果、道内市場では高品質という信頼と格付けを得て、1、2割高で取り引きされるようになったといわれる。やがてブランド名である「津郷馬鈴薯」の知名度は全国的に高まり、現在は個人の注文が増えた結果、市場へ出荷する量は減少しているが、出荷する箱に記された「津郷馬鈴薯」への市場の信頼は今なお高い。

 平成6年には作付け面積が600fを割るなど、ここにきて馬鈴薯の作付けは減少気味だが、58年には里仁にカルビーポテトセンターが設立され、ポテトチップスの原料などとしても供給されている。

 

 表7−10 作付け面積、収量及び収穫高

  (馬鈴薯)

 

作付面積

10a当収量

収穫高

昭和45

909ha

3,160kg

28,700t

昭和46

890

2,850

25,400

昭和47

893

3,180

28,400

昭和48

894

3,430

30,700

昭和49

869

2,690

23,400

昭和50

850

2,430

20,700

昭和51

819

2,880

23,600

昭和52

630

3,240

20,400

昭和53

598

3,330

19,900

昭和54

595

3,450

20,500

昭和55

553

3,360

18,600

昭和56

545

2,620

14,300

昭和57

597

3,600

21,500

昭和58

595

3,440

20,500

昭和59

670

3,370

22,600

昭和60

699

3,430

24,000

昭和61

737

3,580

26,400

昭和62

761

3,520

26,800

昭和63

747

3,390

25,300

平成1

665

3,200

21,300

平成2

771

3,550

27,400

平成3

740

4,180

30,900

平成4

688

3,720

25,600

平成5

640

3,230

20,700

平成6

572

2,920

16,700

   出典:札幌統計事務所『上川地域市町村主要農作物累年統計書』

 

 野菜類

 野菜類としては上富良野を代表する作物として、ニンジンの作付けが定着している。他の作物よりも比較的収益性が高いため50年頃から本格化したもので、60年には300fと最高の作付け面積を記録している。この年には生産の増加に対応して農協が建設を進めてきたニンジン集出荷洗浄選別施設も完成、洗浄や箱詰めの処理能力が2倍に増加したといわれる(『北海道新聞』昭60・5・3)。ほかに100f以上の作付けが行われているものとしては、キャベツ、カボチャ、玉ねぎなどがあるが、なかでもカボチャは平成5年には200fを超え、急激な伸びを見せている。

 作付け面積はまだ限られているが、今後に期待がもたれているのがメロンである。45年8月6日付けの『北海道新聞』に「上富良野江幌地区の果菜組合(早田久一組合長、組合員十六人)は三f耕作しているが、各農家とも一家総出の取り入れと箱詰め作業がたけなわ。糖度一四から一七lと高く、甘いかおりがプーンと漂う。よりわけられたメロンは一個一個レッテルをはられ、五`詰めにされて旭川方面にどしどし送り込まれている」という記事が掲載されており、上富良野ではこれが最も早い取り組みと思われるが、『上川地域市町村別主要農作物累年統計書』(農林水産省札幌統計情報事務所)に作付けデータが掲載されているのは、6f、95dの53年からである。54年には農協蔬菜部会が組織され、メロンも取り扱うようになるが、さらに59年にはメロン部会が独立し現在に至っている。メロン部会としては「カミホロメロン」のブランド名の売り込みに努力する一方、次第に作付け面積を増やしており、平成2年には2億円達成、7年には3億円達成の記念式典が開催されている。

 

 特用作物

 甜菜も麦類や豆類同様、米の生産調整がきっかけで大きく作付けを伸ばした作物である。既に述べたように転作の成績が良かったことから、急激に作付けを伸ばし、転作奨励補助金の特定作物に指定されたこともあって、53年には休耕田の43lを占めるに至ったともいわれている。ただ、表7−11で49年、50年の2年間は作付けが落ち込んでいるが、これは生産者価格が低迷したためで、その後は順調に作付けを増やした。さらに、播種から収穫までの作業がほとんど機械化されるようになったことも、作付け面積を増加させる大きな要因になった。

 そのほか、作付け面積が大きいわけではないが、上富良野を代表する作物としては、ホップ、青しそなどがあり、作物としての役割を一度終えたラベンダーも、観光資源としての人気の高まりとともに、採油も限られた量だが再開されている。また、新しい特産物としてハスカップ栽培などの取り組みも始まっている。

 

 表7−11 作付け面積、収量及び収穫高

  (甜菜)

 

作付面積

10a当収量

収穫高

昭和45

360ha

4,320kg

15,600t

昭和46

431

4,650

20,000

昭和47

518

5,080

26,300

昭和48

528

4,850

25,600

昭和49

173

4,910

8,490

昭和50

235

5,060

11,900

昭和51

301

5,550

16,700

昭和52

360

5,310

19,100

昭和53

494

5,610

27,700

昭和54

482

6,240

30,100

昭和55

523

6,200

32,400

昭和56

562

5,080

28,600

昭和57

506

6,100

30,800

昭和58

543

5,710

31,000

昭和59

584

4,960

28,900

昭和60

627

5,280

33,100

昭和61

684

5,520

37,800

昭和62

698

5,390

37,600

昭和63

681

5,420

36,900

平成1

699

4,910

34,300

平成2

707

5,690

40,200

平成3

711

6,010

42,700

平成4

724

5,200

37,700

平成5

733

5,270

38,600

平成6

680

4,820

32,800

   出典:札幌統計事務所『上川地域市町村主要農作物累年統計書』