郷土をさぐる会トップページ    上富良野百年史目次

7章 現代の上富良野 第1節 現代の町政

967-968p

4、住民自治と集会施設

 

 住民会の成立

 昭和56年11月17日に住居表示委員会が設置となり、市街地東側地区が57年11月1日から、西側地区が58年11月1日から新しく住居表示が施行となった。これにともない市街地行政区長会では、60年5月に住民会等自治組織の再編成案をまとめ、行政区長の廃止、住民会の設置、住居表示の区域割りに基づいた町内会の再編、新住民組織に対する行政補助などを提案していた。これは市街地での住居表示の実施による町名、区画と町内会区域を整合化させることに主眼があった。

 これにより36年以来行われてきた行政区長が、61年4月1日をもって廃止となり、行政区制もあわせて廃止となった。

 これにかわって住民会の組織がつくられた。郡部では従来の行政区をそのまま引き継いだ組織であったが、市街地では新たな区画割りのもとで再編成された。自治会組織の長として住民会長が選任されるようになる。

 住民会は村落部に

 清富、日新、草分、里仁、江幌、静修、江花、日の出、西日の出、島津、西島津、旭野、富原、東中、

市街には

 緑町、大町、両町、旭、本町、宮町、西富、中町、栄町、泉町、住吉、東明、丘町、

以上の27住民会が設立をみた。以上の住民会のうち、平成3年1月13日に西島津住民会が島津住民会へ、続いて8年4月1日に西日の出住民会が日の出住民会へ統合合併となった。

 

 住民集会施設

 地区住民が各種集会、学習の場に利用する施設は、特に昭和50年代以降に整備されていった。江花では42年4月に江花小学校が西小学校へ統合となり、住民の集会施設として46年11月5日に江花母と子の家が設置となった。

 里仁では48年3月に里仁小学校が閉校となったが、これまで里仁地区の住民集会には里仁小学校が利用されていたので、代替施設として里仁寿の家が建設されることとなり、49年10月14日に竣工している。江幌では50年9月5日に江幌寿の家がつくられ、東中では51年に東中会館が建設された。敷地は東中住民会が農協所有地を収得して町に寄付したものであり、建物は東中地区学習等共用施設として防衛施設庁の補助を受けて建築となった。清富では51年に町の僻地保健福祉施設として清富会館が建設され、12月3日に開館式が行われている。静修では52年9月に静修地区開拓70周年を記念して静修会館を新築している。

 続いて54年に日新に日新寿の家が落成し、12月11日に落成祝賀会が行われている。日新寿の家は日新小学校が3月に西小学校に統合となり、廃校にともなう住民の集会施設の代替施設として建設されたものである。55年10月には旭野にも旭野寿の家が完成している。57年12月12日には日の出、本町地区が利用する日東会館(公民館日の出分館)が落成式を迎えている。以上のうち多くは町公民館の分館とされて町が管理している。

 国の補助を受けた複合施設としては、平成元年11月1日に静修農業構造改造センターが設置となっている。平成2年12月には草分防災センターが完成した。草分は泥流危険地域に指定されており、草分児童館の跡地に避難施設として建設されたが、平時は周辺住民の集会施設として利用されることになっている。3年1月20日に草分住民会主催の落成祝賀会が開かれた。季節保育所を併置し公民館草分分館ともされている。2年12月には島津ふれあいセンター(農業構造改造センター)が完成し、3年1月13日に落成式が行われている。3年12月5日に十勝岳噴火避難のための施設として泉栄防災センターが完成し、4年1月6日から泉、扇、北、栄町の集会施設としても利用されるようになり、ここには「ひよこ学級」も併置となった。平成5年9月1日に富原コミュニティセンターも設置となる。もと利用された富原母と子の家は、農産物加工施設に使用されることとなった。

 その他、市街地では48年11月に東明児童館(東町5丁目)、57年11月に東児童館(旭町2丁目)、63年7月に丘町会館、平成元年11月に宮町会館が設置され、公営住宅集会施設としては53年10月にあすなろ集会所(扇町1丁目)、55年9月30日に住吉集会室(西町2丁目)、48年11月東明児童館(東町5丁目)、57年11月30日東児童館(旭町2丁目)、62年11月にしらかば会館(緑町1丁目)が置かれている。平成3年1月27日にセントラルプラザの落成式が行われ、オープンを迎えている。

 

 写真 江幌寿の家

 写真 日東会館

 写真 草分防災センター

  ※ いずれも掲載省略