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6章 戦後の上富良野 第6節 戦後の教育

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5、高校の整備

 

 高校の独立校舎建築

 上富良野中学校に間借りしていた上富良野高校に独立した校舎を建築する動きがでてきたのは、昭和35年頃からで(『昭和34年以降教育委員会会議録』)、この動きは同校の昼間季節制設置と深く関わっている。当時上富良野高校は定時制普通科であったため、生徒の7割を自衛官が占め、残り3割が市街の子弟であった(『昭和38年度会議録』)。一方、町の高校進学率は39年で48.2lと、道内平均が61lであるのに対してかなり低く(『昭和40〜42年度請願陳情』)、40年には進学率70lを達成するという政府の方針にはるかに及ばなかった(『昭和36年度会議録』)。

 これは地元の上富良野高校が夜間高校であるため、女子の通学が極度に制限されること、また男子ですら遠方のものは冬季の通学が困難であり、農家の子供が利用できないことなどがその原因とみられていた(『昭和38〜39年度請願陳情』)。そこで農家の子供の進学率を上げるために昼間季節制を設置し、農業に従事しながら高等教育が受けられる環境づくりと、そのための独立校舎が必要とされたのである。しかしなんといっても、道内で校舎のない高校は上富良野高校だけだという点が、財源難にもかかわらず独立校舎設置の動きを促進し、昭和39年4月30日には「上富良野高等学校々舎建設に関する請願」が同校PTAから出され(『昭和38〜39年度請願陳情』)、7月2日の臨時議会で採択された。また10月には高校建設予定敷地として東2線北26号の杉本宅農地が取得され、昭和40年12月24日には6教室からなる独立校舎が落成し、翌日移転した。ちなみに翌41年には理科室、公務補室、宿直室などが増築された。

 

 昼間季節制設置の顛末

 上富良野高校の独立校舎が、財源難のなかでなんとか昭和40年度に建設されたのに対して、昼間季節制の設置はさらに奸余曲折を経ることになった。というのも、最初農業科昼間季節制の設置が議会で話題となったのは昭和38年12月16日のことで、翌39年5月には昼間季節制の学級増が議会で採択され、9月4日には町長と教育委員会の連名で「上富良野高等学校(定時制夜間)昼間制普通課程の併設(新設)に関する陳情書」が道に提出された(『昭和38〜39年度請願陳情』)。ところが議会では、マンモス化した富良野高校の分校として農業科を設置する案や全日制をめざす案がだされ、また道が昭和39、40年は高校の間口増をしないという方針を打ち出したのに対して、上富良野が昼間季節制新設運動をすることは、それと引き換えに定時制を廃止することになり、自衛官の進学の道を閉ざすことになるのではないかという懸念も生まれた(『昭和39年度会議録』役場蔵)。そのため結局町として、昼間季節制をめざすか、分校とするか、農業科とするか、また夜間定時制をとるか、はたまた全日制普通科とするのかなど、どの方向で陳情を行うのかが確定しなかった。

 ところが昭和40年になると、富良野高校の火災をきっかけに、同校のマンモス化の解消や富良野線に全日制高校が少ないことを理由として、上富良野高校を全日制とする意見が強まった。同年7月23日には「上富良野高等学校(夜間定時)に全日制課程設置に関する陳情書」が道に提出されている(『昭和40〜42年度請願陳情』役場蔵)。しかし道では生徒の減少を見通して、むしろ全日制高校の廃校すら考えており、新たな全日制の設置は相当困難であった。そのため商業高校や女子高校の設置までが検討され、農家の子供に高等教育の機会を与えるという当初の目的がぼやける一方(『昭和40年度会議録』役場蔵)、やはり昼間定時制農業科の設置を望む陳情も9月16日に上富良野町農民協議会から出された(『昭和40〜42年請願陳情』)。また道の方針からしても全日制の普通科の誘致は難しいことから、将来の「道立移管」と「全日制普通科」誘致は目標とするものの、とりあえず昭和42年4月から昼間季節制農業科を新設し、いままでの夜間は定時制・通信制併修という特異な形式をとることとなった。なおこのような学校形態は全国的にも珍しく、「上富良野方式」と呼ばれた(『昭和40〜42年請願陳情』)。

 

 上富良野方式とは

 昼間季節制農業科は、町内および近隣町村の農家の子供や勤労青少年、農業後継者、農村家庭婦人として地域社会に活躍しょうとする中学卒業者を対象生徒とし、農繁期には学校を休んで家で農業を行いながら家庭課題実習(ホームプロジェクト)を行い、農閑期は毎日学校に登校して全日制と同じように授業を受けるという授業形態をとった。また就学年限は4年で、特に学科としては農業科と家庭科に重点が置かれ、また全国農業クラブに加入し、農業技術競技会、農業研究発表会、農業クラブ員講習会、収穫祭を行うなど、農業高校としての特色も備えていた。

 一方定時制・通信制併修は、普通科課程で通信制を主体とし、数学、英語、物理などの学科のみを授業として受ける形態をとった。スケジュールとしては1週間のうち4日は登校し、そのうち2日は従来の定時制と同じく6時間から8時間の授業を受け、残り2日は通信制の科目についての面接指導を1日4時間うけることとなっていた(『町報かみふらの』第94号、昭41・12)。