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6章 戦後の上富良野 第6節 戦後の教育

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2、財政難と学校整備

 

 中学校校舎の新築

 六・三制の実施は、戦後の混乱とインフレによる財政難のなかで、地方自治体に対して「いかにして校舎を確保するか」という問題をつきつけた。特に中学校の場合、道内の新制中学校1,139校のうち、発足当時に校舎が新設されたのは290校、小学校併置が799校、青年学校転用が25校、他施設転用が31校で、多くの学校が自前の校舎を持たず、場合によっては二部授業や青空教室すらあったという(『新北海道史』第6巻通説5)。

 上富良野でも、上富良野中学校や東中分校は、発足当初は上富良野小学校、東中小学校に間借りしており、昭和23年度から24年度にかけて、自前の校舎の建築が計画された。23年8月30日には上富良野中学校の建築が議会で可決され、起債方法と敷地も決定されている(『昭和二十三年村議会の発案綴』役場蔵)。また学校の規模は、上富良野中学校が普通教室18、特別教室8、職員室、事務室、衛生室、運動場、小使室、湯沸室など1,630坪で、経費は532万5,000円が予定されていた(『昭和二三年村議会』役場蔵)。しかしその後規模が縮小されたのか、「昭和二十三年度事務報告」では坪数が1,112坪となっており(『昭和二十四年議決報告』)、しかも当初23年度は、12教室、便所、小使室、宿直室、湯沸場の約443坪を建築する予定であったが、実際建設が完了したのは、8教室、廊下、昇降口、便所など約265坪であった。ちなみに建築費は380万円で、このうち国庫補助が107万8,808円で全体の約30lを占め、建物全体では265坪中175坪、教室でいえば8教室中5教室が国庫補助によるものであった。

 一方東中分校は、昭和23年12月8日の議会で、東8線北18号の飯村斎の所有地2町歩を校舎敷地として使用することが決定され(『昭和二十三年村議会の発案綴』)、普通教室6、特別教室4、職員室、運動場、小使室で計570坪の校舎を建設する計画が建てられた(「昭和二十三年度事務報告」『昭和二十四年議決報告』)。

 

 財政難の影響

 昭和24年度になると、23年度に引き続いて校舎建築が行われたものの、やはり当初の計画通りには進まなかった。上富良野中学校の場合、24年度には職員室、昇降口、宿直室、小使室、便所、廊下などが建てられ、学校の体裁はほぼ整ったが、普通教室は4教室しか建設できず、残り4教室と特別教室の建築には着手できなかった。ちなみに建築坪数は197坪で建築費は250万0,655円であった(『昭和二五年村議会』)。

 一方東中分校のほうも、当初の計画では24年度に校舎を完成させる予定だったが、財政難のため予算編成の段階で建築費が計上されない情勢となった。これに対して東中の住民から昭和24年7月2日付で「上富良野中学校東中分校校舎建築請願書」がだされ(『昭和二四年村議会』)、7月16日の議会では、このまま建設を来年に延期しても工事単価が安くなるわけではなく、むしろ教育が不完全になることのほうが問題だとして、財政上苦しくても校舎建築に着手することが了解された(『昭和二十四年議決報告』)。この結果、24年8月には工事設計書が完成し(『昭和二十三年東中中学分校・江花小学校校舎建設関係』)、16日から24日まで地域住民が出動して校地整備作業を行った。また建築計画も変更され、とりあえず24年度は、建築費は209万4,345円で、3教室、職員室、昇降口、宿直室、小使室、便所、廊下の計165坪が建設されることとなった(「昭和二十四年事務報告」『昭和二五年村議会』)。

 このように上富良野中学校、東中分校ともに一応校舎建築が終了したことから、両校とも昭和24年度第3学期には新校舎に移転し、授業を開始した。しかし教室不足は否めず、1教室あたり70名もの生徒を収容して授業を行うありさまであった(「昭和二十四年事務報告」『昭和二五年村議会』)。また独立校舎が完成したことにより、東中分校は昭和25年5月1日独立昇格認可を申請し、同年9月1日に認可を受け、「上富良野村立東中中学校」として独立し、昭和26年3月記念式が催された。

 

 遠距離通学への対策

 一方六・三制が施行され義務教育が3年延びたことにより、上富良野の多くの地区の生徒たちが上富良野中学校への遠距離通学を強いられることになった。そのため各地区から分校設置を要望する動きがおこり、昭和23年には江幌地区の住民145名から分校設置の「請願趣意」が出された。これによると、地区の生徒たちが、最長6里もの距離を通学しなければならないことによる心身の疲労と学習意欲減退、自転車通学や寄宿通学が許されない経済的理由、父兄の不安、冬季の通学困難などを分校設置を希望する理由としている(『江幌中学校沿革概要』)。この請願がその後どのように扱われたかは不明だが、25年7月4日には総工費75万円で52.875坪の校舎が着工され、10月18日落成式を行い上富良野中学校江幌分校が誕生した。ちなみに通学区域は江幌と静修で、27年4月同分校は上富良野中学校から独立し、「江幌中学校」となった。

 里仁では、昭和23年上富良野中学校への遠距離通学の困難を理由に、里仁小学校下の生徒を美瑛第四中学校(美馬牛)へ通学させる案が持ち上がった。しかし村と美瑛町が協議した結果、生徒受け入れにあたって1学級増築費と職員住宅建築費80万円、生徒1人あたりの消耗品・備品費代として、年額1,500円を上富良野村に負担してもらいたいとの要求が美瑛側から出された。このため地区住民は経済的に負担は無理として、24年度はとりあえず上富良野中学校へ通学することとした(『昭和二十四年議決報告』)。

 しかし遠距離通学の困難さが解決されたわけではなく、結局地域住民から再び美瑛への通学を希望する陳情書が出され、昭和24年12月8日に美瑛第四中学校を両町組合立とし、里仁校下の生徒32名を通学させる案が議会に提出された。議会では、美瑛町に生徒を委託する経費の問題から、里仁小学校と江幌小学校の合同で1分校を設置する案や、里仁小学校に上富良野中学校の分校を設ける案などが出されたが、結局「組合立で最善を尽くすこと」が了承され、委託料を役場で負担することとなった(『昭和二四年村議会』)。

 一方日新からも、上富良野中学校に2〜3里もの距離を通学しなければならない状況を改善するため、分校設置の要望が議会に対して出された(『日新中学校沿革誌』)。この結果敷地の寄付や校地の地ならし、校舎建築に住民が協力するという強い熱意もあって、昭和25年4月1日には分校設置の認可がおり、通学の便を考慮にいれて日新小学校への併設が決定した。

 これにより日新小と中学校分校が共用する職員室が改造され、10月19日には51坪の専用校舎が工事費66万2,000円をかけて落成し、上富良野中学校日新分校が開校した。昭和27年4月1日には上富良野中学校から独立して日新中学校となった。

 ちなみに同校の通学区域は日新と清富であったが、清富から同校への通学自体も最短で1里半、奥地で2里半もの距離があるとして、昭和27年12月には住民から清富小学校に中学校分校を併置するよう嘆願書がだされている(『昭和二六年陳情書綴』役場蔵)。

 

 写真 上富良野中学校江幌分校・右側建物(昭和25年)

  ※ 掲載省略

 

 中学校校舎の整備

 昭和25年までに、中学校の設置および校舎建築にある程度めどがついたものの、中学校の校舎整備にはまだまだ課題が山積していた。昭和25年9月9日には議会で上富良野中学校の屋内体操場の新築が可決されたが、当初の計画では160坪の建坪となるはずだったのが、10月17日の議会では「諸物価高騰、村財政上困難」を理由に95坪に縮小された(『昭和二五年村議会』)。工費は145万円で、同年12月には落成した。

 一方10月には東中中学校の校舎が増築され、工費195万円で3教室、102坪が増築された(「昭和二十五年事務報告」『昭和二六年町議会』役場蔵)。さらに昭和26年になると、再び上富良野中学校で378万円をかけて4教室161坪の増築が行われ、23年に計画された両校の校舎整備は、特別教室を除いてほぼ実現した。

 

 写真 日新小・中学校(昭和39年)

  ※ 掲載省略

 

 小学校校舎整備の遅れ

 このように昭和20年代は、新制中学校の発足により中学校校舎の整備に教育費の多くを支出することになった。もともと歳出に占める教育費の割合自体が高いうえに(一般会計・歳出に占める教育費の割合は表6−26参照)、昭和24年にはその教育費の6割が中学校の建築費で占められている(『昭和二十四年議決報告』)。一方中学校の校舎整備への重点的な支出は、当然他へのしわ寄せを招き、最もその影響を受けたのが小学校校舎の整備であった。「昭和二十四年事務報告」によれば、

 

 戦争終結以来、或は引揚者或は帰農者等漸次村人口増加に伴ひ、児童生徒数も比例して上昇の一途を辿り、遂に三〇〇〇人を突破し、戦時中より引続き学校整備に重点を置き、徐々に改修を実施せんとするも(中略)、小学校施設については備品整備に重点を置き漸次整備せられつゝあるも、校舎に至りては不幸にして中学校建築に重点を置きたる為、補修、改修に手が延びず差し迫ったものゝみに止りたるは遺憾なり。

 

とあり、小学校校舎の整備の遅れが指摘されている。またこのような状況は昭和24年の上富良野中学校、東中分校の校舎完成により改善されるかにみえたが、翌25年の江幌、日新の中学校分校新設により再び後回しにされ、同年3月30日の議会では、小学校校舎で修繕を要する部分が相当あるが、本年度修繕しても来年度修繕しても大した相違はないので、本年度はその修理をやめ、分校設立にその分の経費を使用するべきではないかとの意見すら出された。

 

 小学校校舎の整備

 しかしそのような状況のなかでも、いくつかの学校では校舎整備がなされている。昭和23年には江花小学校が学級増加により教室が不足し、隣接する青年倶楽部を借用して6万円の予算で模様替えし、校舎との間に仮の渡り廊下を新築することになった。工事は12月末には完成し、翌24年1月からここで授業を開始した(『昭和二十三年東中中学分校・江花小学校校舎建設関係』役場蔵)。しかし青年倶楽部の借用は3年の期限だったため、昭和26年には満期となり、1月31日に西村常一を会長とする江花小学校増築期成会により、教室の増築と運動場の設置、職員住宅の新築などの予算の計上が請願された(『昭和二六年町議会』)が、この年は2カ年継続で屋外運動場が拡張されたのみであった。その後同校で工費195万円をかけて運動場など75坪が新築され、旧運動場を教室とする工事が行われたのは昭和28年12月のことであった。

 また清富小学校でも教室増築の計画があったが、昭和23年12月6日の議会では、工事延期と明年度の教室移築、その跡地への運動場建設が決定された(『昭和二三年村議会』)。しかしこの計画はさらに1年延び、昭和25年になってようやく着工し、95万6,000円の工事費で11月28日にやっと完成したが、最初の計画より教室の坪数が減少した(『昭和二五年村議会』)。

 昭和26年7月25日には、東中小学校の増築が議会で可決された。これにより同年10月には第一線校舎の増築71.5坪、改築110坪の計181.5坪の増改築が完成した。また翌27年11月には第二線校舎の改築も完成した。

 

 表6−26 一般会計・歳出に占める教育費の割合(決算額)

年度

歳出

教育費

教育費の占める割合

昭和21

711,186円

101,173円

14.23%

22

5,939,254円

1,464,389円

24.66%

23

19,787,812円

6,229,382円

31.48%

24

28,243,363円

9,928,756円

35.15%

25

33,312,827円

10,721,253円

32.18%

26

46,699,537円

14,122,663円

30.24%

27

49,623,109円

12,609,218円

25.40%

28

72,113,599円

13,886,764円

19.25%

29

76,789,480円

18,455,422円

24.03%

30

83,883,817円

18,714,044円

22.30%

31

92,728,282円

21,338,840円

23.01%

32

89,144,093円

13,520,072円

15.16%

33

109,156,630円

20,942,281円

19.18%

34

131,704,000円

33,457,131円

25.40%

35

140,655,971円

42,378,201円

30.12%

36

198,350,289円

47,792,498円

24.09%

37

214,242,206円

47,563,278円

22.20%

38

237,683,693円

62,197,052円

26.16%

39

308,986,332円

49,976,304円

16.17%

40

360,644,028円

62,316,609円

17.27%

41

439,146,647円

48,528,228円

11.05%

   〔出典〕町保存の決算書より作成

 

 職員住宅の整備

一方小学校、中学校ともに共通する問題は、教員住宅の不足である。特に中学校の場合は独立すると校長が任命されるため、校長住宅も含めて住宅不足は深刻であった。ちなみに昭和25年における教員住宅の不足数は、上富良野小で3、上富良野中で4、江花小で2、江幌小で4、里仁小で1、創成小で2、東中中で4、清富小で2、日新中で2、日新中で4の計28が不足と議会で報告され(『昭和二五年村議会』)、昭和25年から26年にかけて日新や里仁の住民から教員住宅新築の陳情書も出されている。

そこで昭和26年以降、教員住宅新築に力が入れられ、同年日新小、江花小、東中中、里仁小などで教員住宅が新築された。

 

 陳情と五カ年計画

昭和20年代後半になっても、上富良野の小、中学校の多くが校舎整備を必要としており、通学区域の住民会やPTAは、町議会に対して教室改築や屋内運動場を求める陳情書や請願書を提出した。昭和27年には日新から、日新小学校の教室改築や日新小学校と中学校が併用する屋内運動場の建築を求める請願書が出されている。同小学校はもともと20坪の教室を使用していたが、昭和18年に児童数60名程度となって2学級編成となった際、廊下部分4坪を教室に組み入れて24坪の教室をつくり、さらにそれを2つに分けて1教室21坪とし、ここに30名の児童を収容していた(『昭和二六年陳情書綴』)。また屋内運動場に関しても、25年以降屋内運動場建築についての予算計上が問題となっていた(『昭和二五年村議会』)が実現をみず、中学校の併置により、小、中学校が併用する屋内運動場の建築を求められた。

また東中からも、昭和28年1月15日に東中中学校でも屋内運動場の設置を求める請願書がだされ、その5日後の1月20日に、今度は東中小学校から校舎改築の陳情書がだされた。特に東中小学校は昭和26〜27年度に第一線、第二線校舎の改築がなされたが、それでも1教室足りずに物置小屋を仮教室とし、さらに28年度の新入生が入学すればさらに1教室不足するという状態であった。そこで2教室の増築、教員の増加に対応した広い職員室の設置、校長室、宿直室、工具室、衛生室の設置、正面玄関の設置、職員用便所の併設、さらに第三次改築工事として屋内運動場の増改築、使丁室、湯呑場、給食調理室の改築、便所改築の実行を陳情し、また第一線、第二線校舎改築により失った屋外運動場の確保を求めた(『昭和二六年陳情書綴』)。

このように小、中学校の校舎や屋内運動場、その他付属物の修理に関する陳情や請願が続出すると、町として一貫した年次計画を立て、財政の許す範囲内でこれを実行していくべきであるという建議が、小林八百蔵、石川庄一、佐藤敬太郎からだされた(昭和28年1月30日「建議」『昭和二八年町議会』)。そこで教育委員会は、28年春から各学校を調査し、それをもとに「上富良野町公立学校々舎整備五カ年計画」を作成した(表6−27、『昭和二八年町議会』『昭和三十、三十一年度教育委員会会議録綴』教育委員会蔵)。しかしこの計画はあくまでも「財政の許す範囲内で」実行されることになっていたため、財源が確保できない場合は実行されず、昭和28年度に予定されていた計画のうち実現できたのは、江花小学校の運動場新築と便所改装工事、清富地区の住宅新築工事、東中地区の住宅新築工事だけであった。また29年度は上富良野中学校体育館新築第一期工事が行われ、陳情が実って日新中学校屋内運動場がやっと12月に落成した。30年度には上富良野中学校体育館の前面耐火構造部分の工事、創成小学校校舎増築第一期工事、31年には東中中学校の体育館新築工事と創成小学校校舎増築第二期工事が行われたが、結局計画は大幅な変更を余儀なくされた(『昭和三十、三十一年度教育委員会会議録綴』)。

 

 表6−27 上富良野町公立学校々舎整備5カ年計画

  総計 校舎の部 3,376万円

     住宅の部 1,370万円

     小破修繕  621万8千円

      合計  5,367万8千円

 第1次年度(昭和28年度)

学校名・地区

内・容

坪数

費用

備考

 

寄宿舎新築工事

 

200万円

2か年計画

上富良野小学校

小使室、宿直室、職員便所増改築工事

 

28万円

 

江花小学校

運動場新築及び便所改築工事

 

217万円

 

清富地区

住宅新築工事

13

35万円

木造1棟

東中地区

住宅新築工事

26

100万円

ブロック建1棟2戸

その他

小破修繕

 

181万8千円

 

合計

 

 

731万8千円

 

 第2次年度(昭和29年度)

学校名・地区

内容

坪数

費用

備考

 

寄宿舎第2期工事

 

200万円

2か年計画の終年度

上富良野中学校

屋内運動場新築工事

290

840万円

 

日新中学校

屋内運動場新築工事

60

165万円

 

東中地区

住宅新築工事

26

100万円

ブロック建1棟2戸

創成地区

住宅新築工事

52

200万円

ブロック建2棟4戸

その他

小破修繕

 

150万円

 

合計

 

 

1,655万円

 

 第3次年度(昭和30年度)

学校名・地区

内容

坪数

費用

備考

東中中学校

屋内運動場新築工事

180

549万円

 

東中小学校

校舎(教室)増築工事

55

192万5千円

2教室

東中地区

住宅新蘂工事

26

100万円

ブロック建1棟2戸

江幌地区

住宅新築工事

26

100万円

ブロック建1棟2戸

その他

小破修繕

 

120万円

 

合計

 

 

1,061万5千円

 

 第4次年度(昭和31年度)

学校名・地区

内容

坪数

費用

備考

上富良野中学校

校舎増築工事(第1線その他)

180

630万円

 

旭野地区

住宅新築工事

13

50万円

ブロック建1棟2戸

市街地区

住宅新築工事

40

160万円

校長住宅2棟2戸

その他

小破修繕

 

100万円

 

合計

 

 

940万円

 

 第5次年度(昭和32年度)

学校名・地区

内容

坪数

費用

備考

東中小学校

運動場その他改築工事

 

250万円

 

上富良野小学校

便所改廃工事

35

105万円

 

市街地区

教員アパート新築工事

170

525万円

ブロック2階建て

その他

小破修繕

 

70万円

 

合計

 

 

950万円

 

   (昭和30、31年度教育委員会会議録より作成)