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6章 戦後の上富良野 第4節 自衛隊演習場の誘致

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2、予備隊の計画案と町の対応

 

 予備隊側の第一次計画案

 警察予備隊側の計画案とはどのような内容のものであったのだろうか。27年1月18日に第二管区総監より町長に対して、警察予備隊側の予定面積の提示があった。その内容を示す公文書は残されていないが、後述の農林省などへの申し入れから判断して、約4,000町歩程度を要求するものであったと考えられる(第一次計画案)。この案は、町が計画していた約3,200町歩よりも広大な面積を求めたものとなっており、しかも「農家六三戸人口三五〇人、農耕地田二〇町歩、畑三二〇町歩及び町有放牧地六〇町歩」(2月5日付け町からの請願書)を含んでいた。これは上富良野を管区演習場にしたいという予備隊側の意向によるものであった。しかしこの計画案では、多くの農耕地が入るのみならず、多数の人々の住居も奪われることとなり、町としても予想外の内容となっていた。

 

 町民の反応

 町が演習場誘致に動き始めたことに対する町民の反応をみていこう。27年1月には、事態を知った町民から次々に請願書が提出された。これは警察予備隊側が予想を上回る面積を示したことにより、農地への影響が大きく「死活問題」と考えた町民たちの不安が表れているといえよう。ここでは1月13日付けの旭野部落からの請願書を紹介する。

 

 今般警察予備隊本部に於て計画されたる演習場予定地圖面を拝見し、私共實に驚嘆致しました。申す迄もなく此の予定地内には私共三四戸、人口二四〇名、農耕地一三〇町歩が包含され、萬一之が計画通り實施される時は、私共農民三四戸の者は生きる道を何れに求めたらよいやら、無學文盲の農民の悲しさ他に転職する事も、因より不可能にて、只々途方に迷ふばかりです。私共に取りましては正に死活問題と云はなければなりません。

 想へば明治四十年私達の先輩が開拓の鍬を打入れてより、ここに四十六年此の間右往曲折幾多の辛酸を嘗め昭和二十年終戦となるや、愈々土着心を固くし、子孫永住の地と定め酸土僑[ママ]正と濕地の改良等により、本町産業向上の一助たらしめんと全力を傾注致して居る次第であります。

 因より國が必要とする演習場の事なれば原則的には必ずしも反対するものではありません。

 以上は私共関係農民の切なる決心でございます。何卒ぞ町長殿を始め諮問機関の方々に於かれましては、微衷御吸[ママ]み取り下さいまして、善處されん事を御願申上ます。

 

 この請願書には34戸の代表者の署名がみられ、演習場予定地の対象とされた人々にとって、正業を奪われかねない深刻な事態への苦衷が表現された内容となっている。1月にはこのほかにも東中富良野土功組合(1月22日付け請願書、同月25日・26日付けの土功組合の決議)や東中農民同盟(同月29日付け請願書)、さらに関係部落などからも善処を求める請願書が提出されており(1月26日・2月29日付け請願書)、町民の中には戸惑いが広がっていった。

 

 予備隊案に対する町の対応

 予備隊の計画案に驚いた町当局は、早速総監に宛てて

 

 一月十八日警察予備隊訓練予定地としての理想の線を拝見致しまして町としては一応驚き入った次第であります

 申すまでもなく町としては原則的に農耕地が線内に入ることは農業生産に及ぼす影響は勿論、町政運営にも大いなる障害を来たす虞もあるので是非共今回町に於て御願いする改めた線に修正さるる様御高配願い度

 

とする要望を提出した(27年2月5日付け請願書)。町は農地を除外して、当初案の面積内におさめるよう求めたのである。

 請願書案は臨時第1回町議会に提出された(1月29日)。この日、「予備隊演習地の予定地について」を議題に議員協議会が開かれ審議されたが、助役は「予備隊演習地問題で農業経営については心配ないと思う。又道に於いても同じ考えであり、演習地には農耕地が入ることは反対である旨を最初から強く云って居るので心配なく進んで行けるものと思う」と答弁した。しかし農民らの心配を払拭するにはいたらず、この後も度々町民の請願書が提出されたが、農地が含まれることへの危慎、潅漑用水の確保、防風施設の確保、などについての対策を求めることで共通している。

 

 北海道庁の対応

 警察予備隊による道内の用地接収計画が明らかにされると、北海道開拓者連盟が政府に質問状を送るなど(『北海道新聞』昭27・2・6朝刊)、その対象とされた全道各地の開拓者達は不安に怯えることとなった。これに対して道の方針は、予備隊側に「既墾地であるとか、開拓地、牧野というものは、極力除外するよう申し入れ」るというものであった(同年第1回定例道議会での田中敏文知事の答弁)。そこで道庁は、2月末には「開拓者の意向を聴取し、中央当局に折衝するため」に、開拓部内に副知事を本部長とする警察予備隊用地対策本部を設置した。対策本部は開拓者の問題ばかりではなく、接収予定地の再検討や代替地の調査選定なども行い、「いままで地元と予備隊当局で交渉されていたものをすべて道、農林省を通じ解決」しようとするものであった(『北海道新聞』同3・4朝刊)。

 2月26日から3月5日まで、警察予備隊及び農林省の技官らによる、全道各地の演習候補地の調査が実施された。そして最終日には予備隊と道の開拓部・農地部との協議が行われた。その中で上富良野は大演習場とされ、「接収面積は約四〇〇〇町歩を予定している。この地帯は付近一二〇〇町歩の水田の死活を左右する潅漑溝が縦断しており、また開拓者七戸が入植しているので、地元農家は接収に反対しているが、予備隊当局でもこれらの被害地域を除外、国有林地帯に拡張する方針」が示された。これを受けて道開拓部は、全道の接収予定地の実態報告書を道農業委員会・道議会開拓常任委員会・道予備隊用地対策委員会に提出し、そこでの審議を踏まえて妥協案を作成することとした(『北海道新聞』同3・7朝刊)。一方同月17日の道議会では、『警察予備隊演習用地の買収等に関する意見書』を可決している。それは、

 

 警察予備隊演習用地の買収等に当たっては、警察予備隊令第一条及び第三条第二項の趣旨にかんがみ、直接住民の生業を脅かす農地、特に、開拓地の買収を極力回避し、これ以外に、その用地を求めることとし、やむを得ず農地を買収する場合には、早期に代替地を決定するほか、適正にして、十分なる補償を早急に支払うよう措置せられたい。

 

という内容のものであった。

 3月24日になって、演習地については道内全体で当初予備隊が予定していた3万町歩から1万2,000町歩に縮小することで、道庁と予備隊側との一応の話し合いがついたと報道されたが(『北海道新聞』同3・25朝刊)、地域別の面積などの詳細については提示されなかった。

 

 演習地問題の停滞

 5月になって予備隊は農林省に対して全国の演習場候補地などを正式に申し入れた。この時上富良野は管区演習場として1万2,000万坪(3,960町歩)とされた。同月14日には警察予備隊第二管区総監中野敏夫名で町長宛ての書簡が届き、演習場予定地内の地目及び地積の調査の依頼があった。その中で中野は、「当管區としては(上)富良野演習場の設置は任務遂行上から考えまして最も重要な懸案でありまして早急に整備運用を図りたい所存であります」と記した。その後第二管区建設部一行が来町し、2日間現地を視察した。これを受けて臨時第3回町議会(5月26日)では、町長と議員との協議が行われた。席上予備隊演習地について、町長より建設部との交渉内容が説明された。それは、@買収価格をどこで決定するか、A買収は土地と立木に分けて決めること、B事務諸経費負担の問題、C登記方法、などについて両者の話し合いが行われたことが報告された。結局協議会の結論として、事態の推移を見守ることになった。

 ところで6月の道議会開拓委員会で道開拓部長は、予備隊第二総監部を旭川に移転する意向があると説明しつつ、その他の予定地域とその実情について触れた。その中で上富良野については、「富良野(演習地)地区十勝山麓約7,000町歩を予定、付近住家道路などの問題が残されている」と述べているように(『北海日日新聞』同6・21)、さらにはるかに広い範囲の予定地が提示され(第二次計画案)、演習地問題は膠着状態となった。