第6章 戦後の上富良野 第2節 戦後の農業と林業
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7、戦後の林業
富良野営林署上富良野担当区
上富良野の国有林は大正期には旭川営林区署の管轄にあり、市街地には森林主事駐在所が置かれていた。やがて昭和16年3月に美瑛、上富良野、富良野、南富良野、占冠にまたがる面積9万2,968fが分割され富良野営林署が開設された。この間、開拓費の調達のため道内の国有林は道庁の管轄にあり、道内営林署もその管理のもとに運営されてきたのだが、これが戦後になると「林政統一」の名で道内国有林と御料林が農林省に移管された。
この「林政統一」で旭川営林局富良野第一営林署が誕生、同時に旧御料林を管理していた旭川地方帝室林野局富良野出張所が富良野第二営林署になったのだが、この年の10月に再び分割と統合の結果、富良野、金山、幾寅の3営林署が改めて誕生し、上富良野の国有林は富良野営林署上富良野担当区の管理によって、戦後の運営が図られることになったのである。
なお、33年には一営林署一経営区の方針から、上富良野経営区自体は富良野経営区と合併し富良野事業区となっている(『旭川営林局史』)。
『昭和三十二年度町勢要覧』によって31年の伐採数量をみると別表(表6−11)の通りだが、用伐では公有林や民有林の生産をはるかに上回っているといっても、戦前までの圧倒的数量ではない。資源供給という意味では戦後になってひとつの役割を終えたということがいえるだろう。
25年11月には同営林署の上富良野苗畑事業所が民地の借り上げによって設置されている。『上富良野町史』によれば「総面積六町四反、常時三二名が作業にあたっているが、春秋には八〇名にも達する。生産した苗木は上川、名寄、留萌、稚内方面に供給されている」とある。
表6−11 造林及び伐採面積・数量
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人工造林 |
伐採面積 |
伐採数量 |
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用材 |
薪材 |
計 |
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国有林 |
115反 |
3,160反 |
16,799石 |
11,468石 |
28,267石 |
公有林 |
205 |
787 |
3,417 |
− |
3,417 |
民有林 |
1,615 |
11,735 |
5,060 |
18,875 |
23,935 |
計 |
1,935 |
15,682 |
25,276 |
30,343 |
55,619 |
写真 富良野営林署上富良野担当区事務所
写真 営林署上富良野担当区苗圃管理事務所
※ いずれも掲載省略
森林組合の改組
昭和17年に設立されていた上富良野森林組合は、26年8月1日に改正された森林法によって協同組合組織に改組されることになった。『上富良野町史』によれば出資を引き受けた組合員は101名、翌年3月22日に組織変更の認可を受け、4月14日の第1回通常総会で役員が選出された。初代役員は次の通りである。
理事 田中勝次郎 白井 弥八 村上 国二 松田吉次郎
橋本宇三郎 穴田 祐二 神谷加津馬 川野 守一
村上 盛 笠原 重郎 一色 久男 竹内幸一郎
監事 高畠 正男 高士仁左衛門 伊藤武三郎
組合長には田中勝次郎が就任した。
31年には第1次振興計画が立案されている。この計画では経営基盤となる森林面積5,444町歩のうち60lが天然幼令林で人工造林など改善が必要なこと、育苗生産事業、木材生産事業、施業受託事業、販売事業など事業の促進が掲げられているが、逆に計画の内容から当時、組合が財政など厳しい状況のなかで経営されていたことが浮かび上がる。この後、組合では36年からの第2次振興計画も立案している。なお、事務所は当初、役場内に置かれていたが、38年に駅裏東方に建設移転した。
写真 上富良野森林組合事務所(昭和36年)
※ 掲載省略
町有林の運営
町有林は昭和29年に国有林野整備臨時措置法によって、町の基本財産を造成するとの目的でエホロカンベツ国有林2筆208.29f、66.06fの払い下げを受けて面積は倍増した。以降、33年には町有林経営計画を樹立、36年には町有林管理を専門に行う管財係を置き、森林組合への委託を含め積極に造林や手入れも行い、切り出された木材は町財政の貴重な財源として活用されてきた。
この時期の町有林を『上富良野町史』をもとに紹介すると次の通りである。
江幌団地 274f。市街北西10`bに南北の帯状に広がる水源函養保安林。
東中A団地 146f、市街の南東6キロbの緩やかな波状の地味豊かな地形で、立地条件は良好。一部に土砂防備保安林、天然林と人工林が半々で、利用価値は十分。
東中B団地 4.85f。A団地の南1`bの天然広葉樹林が6割、あとは落葉松林。
旭野団地 30.57f、市街東方10`bにあり、自衛隊演習地の隣地。
清富団地 市街東方13`bの開拓地にあり、砂壌土で地味は悪い。
鹿之沢団地 32.5f、市街東方10`bにある白樺の天然林が主体。
学校分収林
また、この時期、町有地や町有林の一部に植樹することで、やがて上がる収益を学校運営に役立てようと、町と各学校のPTA(先生と父母の会)の間で学校分収林を設置する契約が結ばれている。教育委員会に残る資料で現在、分かっている学校分収林は次の通りである。
江花小学校分収林(字上富良野3087番地など3カ所3.02f)
東中小中学校分収林(字ペペルイ4218番地など3カ所7.68f)
清富小学校分収林(字上富良野4411番地など6カ所4.628f)
里仁小学校分収林(字上富良野3862番地など2カ所2.32f)
これら分収林に植樹されたのは主としてカラマツで、例えば江花小学校分収林の場合、昭和37年9月14日に契約に先立つ4月20日から4月20日の1カ月間、3.02fに生徒やPTAなどの手によって7,500本が植栽されている。
契約後は分収林の管理は契約者であるPTAが行い、10年後の47年から伐採を予定、木材を売却した収益は町が3分、PTAが7分分収されることになっていた。もちろん、江花小学校以外の分収林の場合も伐採や収益分配については同じ内容の契約が結ばれている。
なお、このなかの里仁小学校分収林については、学校統合により48年、契約は里仁行政区へと移されている。