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6章 戦後の上富良野 第2節 戦後の農業と林業

771-776p

5、戦後期の稲作と畑作

 

 敗戦と混乱

 敗戦の年である20年は、大正2年以来といわれる不作に見舞われた。戦後の農業が混乱から始まることを、まさに象徴する出来事だが、『組合の歩み』には上富良野村農業会の事業報告をもとにした、次のような文章が収められている。

 

 水稲は大正二年以来の冷害のため未曾有の凶作となり、本村のごときは殆ど収穫皆無の災害を受け、一部地域的に見るときは三分作に近き作況を得たる所もあったが、農家自体の保有量は例年と何等変わらないので、供出成績は極めて悪く平年の一%強に過ぎず、加えて都市及鉱山地帯の消費者は打ち続く欠配のため、群をなして買出しに来村し、その持出し数量は相当多量にのぼったのである。(略)畑作の作況は麦類に於て四分作、豆類は皆無のため、農家経済は著しく困憊[こんぱい]を告げるに至った。馬鈴薯の作況は七分作の収穫を得たが、これまた前記同様買出しのため、割当量の四五%を供出した状態であった。

 

 このような状況のなかで農産物のヤミ価格は暴騰し、一時はヤミ成金も出現したが、輸入食糧の増加や21年の食糧緊急措置令の発令などによる供出強化で、一時的好況もたちまち消え失せてしまうのである。しかも、敗戦直後は営農資材の不足や労働力不足、地力の減耗によって生産力は低下していた。そこに、強権的な供出による嵐が襲ってきたのである。当時の供出に関する問題点について、岩田賀平「銃後の農村回想記・その1」(『郷土をさぐる』6号)は次のように指摘する。

 

 劣悪な生産条件下の収量に対して、戦前の生産水準を参考にした供出割当には最初から矛盾がありました。町村や農業団体ではその辺の事情がわかるだけに、出荷推進上苦慮しました。しかも、そのような不合理は、翌年、翌々年になっても正されないまま続きました。

 

 戦後の稲作

 生産力の低下と供出という厳しい環境のなかでスタートした戦後の上富良野農業だったが、敗戦直後の混乱以外にも28年、29年、31年の連続した冷害などで、農民たちは大きなダメージを受けている。しかし、多くの困難に直面しながらもそれを乗り越え、20年代、30年代と米の生産は着実に拡大した。

 20年代は食糧増産のかけ声のなか土地改良など政策的の積極的な後押し、さらには食管制の維持による価格の有利さという要因などもそこにはあったが、やはり見逃せないのは寒地農業技術に対する農民の積極的取り組みや、その発達である。総生産高だけではなく、この時期の反当たり収量の増加には目をみはるものがある。

 寒地農業への対応では、まず耐冷性や耐病性に加え耐肥性を強くもった良品種が次々と投入されている。「農林二十号」「栄光」「新雪」「福雪」「実勝[みまさり]」などだが、上富良野における36年の作付けをみると、早生系では「福雪」が約350fで1位、「農林二十号」が約250fでこれに続き、中生系では「栄光」が約160fで1位、「実勝」が約120f、「新雪」が約90fとこれらに続いている(『昭和三十七年度事務報告』)。39年頃からはこれに「ユーカラ」が加わるのである。

 また、戦後になると直播きはほとんどなくなり、温冷床苗代など保護苗代が中心となり、30年代に入るとビニールハウスの利用も一部では見られるようになったといわれ、保護苗代による早播、早植は冷害への有効な力となった。さらに畜力耕に代わる耕耘機、トラクターの導入・普及も生産性の向上につながっている。

 1台当たりの稼働面積は耕耘機で2.5f、トラクターで35fにも上るが、上富良野における所有状況をみると、35年が耕耘機56台、トラクター2台(小1台、中1台)だったのに対し、39年は耕耘機494台、トラクター54台(小36台、中4台、大14台)と、この時期に急増を見ている(『上富良野町の農業動向』上富良野町役場産業課、昭41)。

 上富良野の農家戸数は32年を頂点に減少へと転じている。『上富良野町の農業動向』によれば32年から39年までの減少は約200戸で、経営規模が小さいほど減少率は大きく、反面10f前後の所有層は増加したとしている。また、経営形態では畑作形態は大幅に減少したのに対し、田作は若干の減少に止まっていることも報告されている。ここからもこの時期、稲作が農家にとって安定した作物であったことは明らかだが、やがて複雑な様相を見せはじめたのは、次章で述べる米の生産過剰問題などが持ち上がった40年代以降のことである。

 

 戦後の畑作

 大正、戦前と参考にしてきた岩田賀平の統計資料は昭和36年まで書き込まれているが、これをもとに戦後の上富良野における畑作物の動きをみると、20年代から30年代初めにかけては、燕麦が1,000町歩以上の作付けが行われていたのをはじめ、小麦、馬鈴薯、豆類などが戦前に引き続き主要作物であったことが分かる。また、亜麻、甜菜、除虫菊も多くの農家で作られてきた。

 30年代に入ると、このなかでは小麦の作付けが大きく減少し、豆類でも大豆が輸入大豆に押され作付けを減らしたのに対し、小豆が価格の上昇もあって作付けを増やし、敗戦直後は激減した菜豆類や豌豆も次第に作付けを回復させている。ただ、除虫菊はこの時期にほとんど姿を消した。30年代後半における畑作物の動向や推移を前掲の『上富良野の農業動向』は次のように報告している。

 

  作付の傾向は、麦類、雑穀、豆類が大きく減少し馬鈴薯は大きく増加、ビートは一時減少したが、ここ一〜二年増加の傾向、あまは減少気味である。

  造田、植林等により畑作物はかなりの減少をすると考えられるが、作付の単純化が進められ馬鈴薯、豆類を中心とした作付となり、反収は増加すると考えられるので、生産額は維持すると思われる。

 

 特用作物

 一方、上富良野では大正期以来、亜麻、ホップ、甜菜など契約栽培による特用作物の栽培が盛んに行われてきたが、戦後期も一部の作物は地元の農産物加工工場設立などとも連携しながら積極的な取り組みが進められた。

 まず、戦前からの特用作物では、甜菜が『上富良野の農業動向』にも報告されていたように、多少の増減はみながらも、日甜上富良野原料事務所などとの契約栽培によって積極的な作付けが行われた。北方農業の模範作物として手厚い保護があり、ペーパーポットの普及など栽培技術の進歩や、機械化による労働の軽減も生産が伸びた背景にはあった。

 同様に戦前からの特用作物であるホップは戦時中、半減していた生産がビールの消費が増え始めた27年頃から再び増加に転じている。その後、様々な助成や生産指導もあって収量の増加とともにサッポロビール直営農場を含め30町歩近い作付け面積となり、35年頃には北海道における需要の75lを生産するまでになった(『昭和三十六年度町勢要覧』)。上富良野、美瑛、中富良野、富良野、東山の5市町村の農家による上川ホップ農協(組合長・野崎孝資)が設立されたのもこの頃(35年7月)である。ただ40年代に入ると輸入ホップとの価格競争などにより、次第に作付けも減っていった。

 また、新たな作物としては、現在は上富良野の大きな観光資源となっているラベンダーの耕作が敗戦後間もなく始まっている。導入に当たって東中の上田美一が大きな役割を果たしたことはよく知られているが、23年の活着不良を経て翌24年植え付けられた1,000本の苗が東中に根付き、やがて上富良野全域から周辺町村にまでに広がったのである。ラベンダーは傾斜地で表土流出の防止に役立ち、わりとやせた土地でも生育することが知られ、町が耕種改善モデル圃場を設置して、振興策を図ったことも背景にはあった。30年2月、上富良野ラベンダー耕作組合(組合長・吉河喜治)が設立され、36年には栽培面積は80町歩まで広がっている。当初から曽田香料との契約栽培によって生産されてきたが、合成香料との競合などもあり45年をピークに栽培は減少、曽田香料がラベンダー油の買取をやめた52年で、農業作物としての役割を終えた。

 アスパラガスとスイートコーンは、36年のデイジー食品、合同缶詰両工場の設立とともに本格的な取り組みが始まった。この時点でアスパラガスが80町歩、スイートコーンが100町歩の作付けがあったが、当時は総畑面積の20lを占めるまでの栽培が期待されていた『昭和三十六年度町勢要覧』)。ほかに、両工場関連では缶詰加工用として桃、サクランボの定植が試みられたが、大きな成果を上げることはできなかった。

 

 写真 桃・サクランボの栽培指導

 写真 上富良野駅土場のビート置場

 写真 ラベンダーの刈取作業

  ※ いずれも掲載省略

 

 表6−7 戦後の反別及び収穫高

  (水稲)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

1,492f

110s

1,641t

昭和21

1,527

230

3,512

昭和22

1,426

234

3,337

昭和23

1,468

252

3,699

昭和24

1,480

312

4,618

昭和25

1,540

300

4,620

昭和26

1,545

282

4,357

昭和27

1,584

327

5,180

昭和28

1,571

237

3,723

昭和29

1,584

200

3,168

昭和30

1,626

366

5,951

昭和31

1,627

192

3,124

昭和32

1,751

372

6,514

昭和33

1,813

360

6,527

昭和34

1,805

389

7,022

昭和35

1,827

400

7,308

昭和36

1,822

453

8,254

  (小麦)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

805f

75s

604t

昭和21

713

70

499

昭和22

691

82

567

昭和23

704

64

451

昭和24

671

68

456

昭和25

689

62

427

昭和26

867

133

1,153

昭和27

643

141

907

昭和28

478

115

550

昭和29

348

122

425

昭和30

323

144

465

昭和31

166

136

226

昭和32

152

96

146

昭和33

150

149

224

昭和34

173

158

273

昭和35

126

48

61

昭和36

115

138

159

  (裸麦)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

274f

54s

148t

昭和21

255

60

153

昭和22

224

65

146

昭和23

264

56

148

昭和24

242

72

174

昭和25

247

93

230

昭和26

108

119

129

昭和27

258

142

366

昭和28

207

154

319

昭和29

164

143

235

昭和30

161

167

269

昭和31

113

158

179

昭和32

93

173

161

昭和33

90

129

116

昭和34

74

159

118

   出典:岩田賀平の統計資料より作成

 

 表6−8 戦後の反別及び収穫高

  (玉蜀黍)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

422f

142s

599t

昭和21

223

105

234

昭和22

97

68

66

昭和23

224

92

206

昭和24

246

95

234

昭和25

221

113

250

昭和26

134

109

146

昭和27

158

169

267

昭和28

214

96

205

昭和29

145

105

152

昭和30

74

239

177

昭和31

65

135

88

昭和32

72

211

152

昭和33

76

270

205

昭和34

79

281

222

昭和35

73

274

200

昭和36

81

284

230

  (豌豆)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

2f

70s

1t

昭和21

5

43

2

昭和22

2

68

1

昭和23

27

119

32

昭和24

142

90

128

昭和25

201

97

195

昭和26

297

115

342

昭和27

311

112

348

昭和28

155

103

160

昭和29

143

116

166

昭和30

178

144

256

昭和31

222

131

291

昭和32

110

146

161

昭和33

110

142

156

昭和34

146

135

197

昭和35

193

132

255

昭和36

182

133

242

  (小豆)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

47f

39s

18t

昭和21

55

52

29

昭和22

55

46

25

昭和23

94

104

98

昭和24

95

104

99

昭和25

120

125

150

昭和26

240

86

206

昭和27

308

158

487

昭和28

323

109

352

昭和29

471

105

495

昭和30

449

196

880

昭和31

891

89

793

昭和32

946

125

1,183

昭和33

851

133

1,132

昭和34

861

123

1,059

昭和35

627

129

809

昭和36

721

156

1,125

  (甜菜)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

213f

598s

1,274t

昭和21

153

600

918

昭和22

253

600

1,518

昭和23

128

1,140

1,459

昭和24

145

900

1,305

昭和25

189

1,050

1,985

昭和26

196

896

1,756

昭和27

181

1,964

3,555

昭和28

206

1,860

3,832

昭和29

217

1,980

4,297

昭和30

211

1,811

3,821

昭和31

281

1,946

5,468

昭和32

310

1,950

6,045

昭和33

295

2,011

5,938

昭和34

347

2,117

7,346

昭和35

317

1,964

6,226

昭和36

266

2,324

6,182

  (馬鈴薯)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

409f

859s

3,513t

昭和21

505

994

5,020

昭和22

567

1,011

5,744

昭和23

638

1,395

8,900

昭和24

655

1,238

8,109

昭和25

445

1,350

6,008

昭和26

648

1,208

7,828

昭和27

649

1,223

7,937

昭和28

531

1,339

7,110

昭和29

523

1,275

6,668

昭和30

546

1,230

6,716

昭和31

502

1,311

6,591

昭和32

580

1,669

9,680

昭和33

634

1,637

10,379

昭和34

611

1,683

10,283

昭和35

605

1,920

11,616

昭和36

580

1,894

10,985

  (大豆)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

133f

15s

20t

昭和21

230

41

94

昭和22

160

30

48

昭和23

400

83

332

昭和24

582

75

437

昭和25

600

95

570

昭和26

636

66

420

昭和27

279

81

226

昭和28

230

63

145

昭和29

307

44

135

昭和30

170

99

168

昭和31

175

85

149

昭和32

173

110

190

昭和33

173

112

194

昭和34

148

107

158

昭和35

148

110

163

昭和36

  (亜麻)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

562f

131s

736t

昭和21

404

121

489

昭和22

535

125

669

昭和23

315

201

633

昭和24

266

151

402

昭和25

266

133

354

昭和26

338

169

571

昭和27

263

143

376

昭和28

261

158

412

昭和29

300

143

429

昭和30

153

176

269

昭和31

160

210

336

昭和32

176

210

370

昭和33

155

218

338

昭和34

152

222

337

昭和35

126

265

334

昭和36

124

290

360

  (蕎麦)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

106f

75s

80t

昭和21

283

51

144

昭和22

93

59

55

昭和23

108

81

88

昭和24

84

75

63

昭和25

36

68

25

昭和26

51

111

57

昭和27

132

90

119

昭和28

113

105

119

昭和29

172

90

155

昭和30

140

134

188

昭和31

94

101

95

昭和32

106

131

139

昭和33

116

128

149

昭和34

159

132

210

昭和35

昭和36

166

146

242

  (莱豆類)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

72f

38s

27t

昭和21

104

54

56

昭和22

104

81

84

昭和23

140

81

113

昭和24

174

84

146

昭和25

246

99

244

昭和26

328

100

328

昭和27

427

122

521

昭和28

494

88

435

昭和29

445

158

703

昭和30

356

92

328

昭和31

373

86

321

昭和32

296

115

340

昭和33

422

129

544

昭和34

352

145

510

昭和35

472

126

595

昭和36

371

150

557

   出典:岩田賀平の統計資料より作成

 

 表6−9 戦後の反別及び収穫高

  (除虫菊)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

335f

23s

77t

昭和21

289

30

87

昭和22

359

26

93

昭和23

210

30

63

昭和24

129

30

39

昭和25

123

30

37

昭和26

145

34

49

昭和27

162

34

55

昭和28

223

26

58

昭和29

165

23

38

昭和30

130

34

44

昭和31

42

26

11

昭和32

33

26

9

昭和33

28

30

8

昭和34

21

26

6

昭和35

 

 

 

昭和36

 

 

 

  (燕麦)

 

耕作反別

反収

収穫高

昭和20

1,235f

120s

1,482t

昭和21

938

98

919

昭和22

879

110

967

昭和23

1,163

91

1,058

昭和24

1,120

94

1,053

昭和25

1,179

93

1,097

昭和26

1,046

206

2,155

昭和27

1,090

202

2,202

昭和28

1,129

225

2,540

昭和29

1,085

241

2,615

昭和30

1,079

211

2,277

昭和31

1,160

285

3,306

昭和32

1,349

193

2,604

昭和33

1,238

244

3,021

昭和34

1,095

250

2,738

昭和35

841

235

1,976

昭和36

870

239

2,079

   出典:岩田賀平の統計資料より作成