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5章 昭和初期と戦時下の上富良野 第6節 昭和戦前期の教育と青年団

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3、青年訓練所から青年学校へ

 

 青年訓練所の設置

 大正15年4月20日「青年訓練所令」及び「青年訓練所規程」が公布され、各地に青年訓練所が設置されるようになった。青年訓練所とは、男子勤労青年に主として軍事訓練を行うために設置された教育施設で、対象年齢は16〜20才、科目は修身・公民、教練、普通学科、職業科で、授業料は徴収せず、指導員には在郷軍人がなることが多かった。上富良野でも、7月1日の「青年訓練所令」施行と同時に、上富良野尋常高等小学校に上富良野青年訓練所が設置され、昭和2年4月には東中富良野尋常高等小学校にも設置の認可がおりた。

 青年訓練所の設置により、上富良野の青年がどの程度これに入所したかは、今のところ不明である。全国的にいえば、青年訓練所と同年齢の青年を対象とする実業補習学校があり、両者の併立が文部省の方針であったが、併存は市町村の負担となり、また青年訓練所の入所者も該当者の約3分の1程度の約80万人前後で、退所者も毎年12、3万人あったという(『国史大辞典』)。上富良野の場合は、男子向けの実業補習学校がなかったため、これと入所者の取りあいをすることはなく、むしろ上川管内では、財政難のなかでの青年訓練所指導者の待遇改善(「青年訓練所主事指導員ノ待遇ニ関スル件」『自大正十三年至昭和二年町村会議要書』役場蔵)や、青年を「具体的に訓練」する青年訓練所と「自治的に誘導」する青年団をどう連携させるか(「男女青年教養ニ関スル件」『自大正十三年至昭和二年町村会議要書』)が問題だったと考えられる。

 一方昭和8年から毎年11月には、10日間の予定で国語、算術、軍事学を学科とする壮丁予備教育が行われ、各学校長、在郷軍人役員班長、青年訓練所指導員がその教官となっている(「昭和八年事務報告」『昭和九年村会』役場蔵)。この短期講習には30人の受講者があったが、或いは青年訓練所がよく機能しないために企画されたとも考えられる。一方昭和9年の3月には、上富良野尋常小学校に草分青年訓練所が、江幌尋常小学校に江幌青年訓練所がそれぞれ設置され、ようやく上富良野でも青年訓練所の設置が進んだようにもみえるが、翌10年4月には青年訓練所自体が廃止され、実業補習学校とともに青年学校に統合されたことからすると、これはむしろ青年学校の設置へむけての準備ともとれる。

 

 写真 上富良野青年の訓練所査閲記念写真

  ※ 掲載省略

 

 女子の実業教育

 昭和初期は女子青年団の組織化が進んだ時期でもあるが、上富良野では、それとともに女子の実業補習学校の充実が図られた時期でもある。昭和2年11月17日には、大正9年に設置された東中富良野尋常高等小学校付属の女子実業補習学校が、東中富良野実科女学校と改称され、翌3年11月23日には上富良野実修女学校の設置が認可された。上富良野実修女学校は同年12月1日に上富良野尋常高等小学校で開校式を挙行し、初年度の入学者は40名であった(『旭川新聞』昭3・12・3)。

 その後これらの学校は、昭和10年青年学校に統合されるまで、2学級、教員3人という体制で運営された(ただし、昭和9年のみ東中は学級数1、上富良野は教員5人)。生徒数も東中は少ない時で23人(昭和6年)、多い時で75人(大正15年)、上富良野のほうは少ない時で38人(昭和6年)、多い時で132人(昭和7年)と、年によりばらつきがあったが、生徒数のわりに学級数、教員数ともに充実した体制だったといえる(両校の生徒数・教員数・経費に関しては表5―36、37を参照)。

 

 表5−36 東中実業補習学校→東中実科女学校

生徒数

教員数

経費

大正9

 

 

 

10

 

 

 

11

 

 

 

12

41

2

265

13

41

2

265

14

 

 

 

15

75

3

513

昭和2

 

 

 

3

 

 

 

4

 

 

 

5

51

3

 

6

23

3

256

7

56

3

42

8

63

3

42

9

37

3

42

 

 表5−37 上富良野実修女学校

生徒数

教員数

経費

昭和3

 

 

 

4

 

 

 

5

52

3

 

6

38

3

528

7

132

3

720

8

69

3

720−

9

71

5

720

   〔出典〕『村勢要覧』、『村会』史料より作成。

 

 青年学校の設置

 青年訓練所がさしたる効果をあげられなかったことから、政府は昭和10年4月これを是正するために青年訓練所と実業補習学校を統合する形で青年学校を設置した。青年学校は「男女青年ニ対シ其ノ心身ヲ鍛練シ、徳性ヲ涵養スルト共ニ職業及実際生活ニ須要ナル知識技能ヲ授ケ、以テ国民タルノ資質ヲ向上セシムル」(「青年学校令」第1条)ことを目的とし、普通科は2カ年、本科は男子5カ年・女子3カ年、研究科は1カ年以上、専修科(年限を定めず)からなり、尋常小学校卒業者を普通科、高等小学校卒業者及び普通科修了者を本科に入学させた。普通科の教科目は、修身・公民、普通学科、職業科、体操であり、女子には家事・裁縫を加え、本科の男子には体操に代えて軍事教練を課した。

 上富良野でも昭和10年8月1日、4つの青年訓練所がそれぞれ青年学校となり、上富良野青年学校、東中青年学校、草分青年学校、江幌青年学校と称した。東中青年学校には、実科女学校が統合された。各学校の生徒数は、設置当初の昭和10年に上富良野で男女合計238人、東中153人、江幌104人、草分90人だったが(「昭和十年度事務報告」『昭和十一年村会』役場蔵)、昭和13年には上富良野404人、東中221人、江幌125人、草分101人(「昭和十三年度事務報告」『昭和十四年村会』)と順調に増加している。また教員数も設置当初上富良野で6人、東中4人、江幌3人、草分3人だった(専科指導員、指導員の合計)のが、生徒の増加に伴い人員補充が行われ、昭和13年には上富良野10人、東中8人、江幌4人、草分5人(職員助教諭兼任、女子部専任指導員、指導員の合計)となっていた。(なお青年訓練所・青年学校の生徒数・教員数・経費は表5−38を参照)

 

 表5−38 青年訓練所・青年学校

生徒数

教員数

経費

大正15

169

15

600

昭和2

 

 

 

3

 

 

 

4

 

 

 

5

 

 

 

6

165

15

645

7

165

15

672

8

259

16

621

9

259

16

621

10

586

16

 

11

782

26

 

12

751

26

 

13

851

27

 

14

 

 

 

15

 

 

 

16

 

 

 

17

 

 

 

18

671

 

 

19

838

7

 

20

1,058

8

 

21

1,041

8

 

 〔出典〕『村勢要覧』『村会』史料より作成。

 〔備考〕昭和10〜13年は上富良野、東中、江幌、草分の各青年学校の合計。昭和18年は、上富良野、東中、草分、江幌、江花、旭野、里仁、日新、清富の各分教場の合計。ただし、昭和10年の生徒数は『村勢要覧』のものを採用したため本文とは異なるものとなった。