第5章 昭和初期と戦時下の上富良野 第3節 昭和戦前期の商業と工業
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2、昭和戦前期の工業
 
 昭和初期の工業生産
 昭和初期における工業は明治、大正期などとは違って、新たな業種の進出や創業など大きな出来事は少ない。また、資料も限られている。この時期の業種別工場数と生産額を、各年度の『村勢要覧』をもとに作成すると別表(表5−3、4)の通りだが、ここではこの統計資料をもとに、分かる範囲でその推移を述べることとする。
 まず、大正期からの最も大きな変化としては、大正15年(昭和元年)には、まだ操業していた亜麻製線工場が閉鎖されたことである。大正10年の資料では同工場の生産額は10万円を超えており、15年はそれから比べると半減しているが、当時としては上富良野の工業生産に占める割合はかなり大きかったことが分かる。
 また、戦局の深まりとともに、製材と澱粉の2つが生産を増やしていることも、この時期の大きな特徴といえるだろう。表に載っている製材工場は山本、伊藤、西谷の3木材工場であろうが、軍需を反映して大正15年との比較では12年の生産額は3倍という急増である。
6年にはわずか1工場となっていた澱粉も、食糧増産のかけ声とともに工場、生産額ともに増加している。生産額は大正15年との比較では12年は6倍の増加である。『上富良野町史』によると、昭和期になって創業したとされる工場は旭野の川井多一郎(昭和5年)、榎本一栄(7年、12年に産業組合に移譲)、日新の白井弥八(7年)、富原の三好歳男(12年)の各工場だが、設立年次と表の数字で合わないところもあり、詳細については分からない。
 
 戦時統制下の工場
 戦時統制が進むなかで、商業者に対し商業組合の設立が強制的に進められたように、工場に関しても工業組合の設立が行われた。ただ、14年の上富良野商業組合設立でも分かるように、商業組合は町村単位での設立が多かったのに対し、工業者に関しては業種単位、あるいはより広域の工場を組織するかたちで組合が結成されたといわれる。
 上富良野の工場がどのような形で各工業組合や統制組合に加入し、企業統廃合がすすめられたのかについては、ほとんど資料は残されていないのだが、昭和11年11月28日付けの『富良野毎日新聞』には、上富良野ほか富良野、山部、美瑛、南富良野の5町村の製材業者で「富良野沿線製材業工業組合を組織」の報道がある。その後の経緯は分からないが、上富良野の木工場では山本木工場が残存工場として戦時中も操業を続けたのに対し、伊藤木工場は「帯広市の千葉木材合資会社と資本の統合をなし、工場は幾寅へ移され」(『上富良野町史』)、西谷木工場は工場を閉じている。いずれも19年である。
 また、『旧村史原稿』によれば、17年に菓子製造業者が企業合同して上富良野菓子有限会社を設立している。「物資統制の影響を受ける中小菓子業者が現物出資をなし、企業合同し、集団的に事業を維持し、又は転業するために之を設立」したというのである。何社(何店)による合同であったかは記されていないが、取締役には堀井清造、赤川倉一郎が就任、一般菓子や代用パンの製造及び販売をしたとある。
さらに、『北海道農業発達史』には次のような記述がある。
 
  中日戦争が勃発して企業整理問題が提起されたが、あたかも時を同じうして北海道の農機具工場の満州移駐が日程にのぼり、急速に移駐が実現した。すなわち、一九四〇年(昭和15)、四一年(昭和16)両年に北海道からそれぞれ一九工場が満州に移ったが、そのなかには山田(清)、山田(嘉)、田中、菅野ら道内でも一流と目されていたメーカーも含まれていた。
 
「白プラウ」で当時、農機具製造では有力メーカーに育っていた菅野農機も、戦時統制下の企業整理統合が浮上するなかで、満州へと移住したのである。このように統制と企業の整理統合は上富良野の工場全てに及び、商店などと同様、転業、廃業を余儀なくされるところも少なくなかった。
 
表5−24 昭和戦前期工場数
|   | 大正15年 | 昭和6年 | 昭和8年 | 昭和12年 | 
| 製線 | 1 | − | − | − | 
| 蹄鉄 | 6 | 7 | 9 |   | 
| 鉄工 | 6 | 7 | 6 |   | 
| 製材 | 3 | 3 | 3 | 3 | 
| 精米 | 10 | 9 | 11 | 11 | 
| 錻力 | 3 | 2 | 3 | 4 | 
| 澱粉 | 4 | 1 | 3 | 6 | 
| 綿打 | 2 | 1 | 1 | 2 | 
| 馬車橇 | 1 | 2 | 2 | 2 | 
| 製麺 | 1 | 1 | 1 | 5 | 
| その他 | 4 | 12 | 12 | 29 | 
| 合計 | 40 | 45 | 51 | 62 | 
 
表5−25 昭和戦前期工業生産 単位:円
|   | 大正15年 | 昭和6年 | 昭和8年 | 昭和12年 | 
| 製線 | 38,408 | − | − | − | 
| 蹄鉄 | 5,930 | 6,450 | 6,450 |   | 
| 鉄工 | 11,700 | 9,500 | 9,500 |   | 
| 製材 | 27,675 | 64,805 | 89,700 | 97,850 | 
| 精米 | 45,950 | 22,000 | 22,000 | 36,200 | 
| 錻力 | 2,250 | 2,250 | 2,250 | 5,680 | 
| 澱粉 | 5,775 | 3,743 | 14,263 | 29,858 | 
| 綿打 | 350 | 820 | 820 | 1,320 | 
| 馬車橇 | 3,300 | 2,890 | 2,890 | 3,240 | 
| 製麺 | 1,200 | 1,200 | 1,200 | 1,670 | 
| その他 | 500 | 2,310 | 2,310 | 12,630 | 
| 合計 | 143,038 | 115,968 | 151,383 | 188,448 | 
   各年度『村勢要覧』より作成