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5章 昭和初期と戦時下の上富良野 第1節 苦境と戦時下の村政

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3、村議会と議員選挙

 

 普通選挙の実施

 大正14年4月5日より衆議院議員選挙法が改正され財産、国税額による選挙権の制限が撤廃となり、満25歳以上の男子ならすべてに選挙権が与えられるという普通選挙制が、大正デモクラシー運動の成果としてここに実現を見るに至った。普通選挙制は府県制、市制、町村制の改正によって15年6月24日から地方議会選挙にも適用されることとなる。北海道の市町村議会の場合、昭和2年10月1日に施行となった北海道一・二級町村制の改正により実施されるのである。改正点では普通選挙にともない一・二級議員の廃止となり、任期も4年に定められた。

 上富良野村では改選を迎える昭和3年の村会議員選挙から普通選挙が実施された。選挙投票日は5月31日で有権者総数は1,502人、投票総数は1,401票であった(『北海タイムス』昭3・6・2)。前回の大正14年の場合、村議の選挙権者数は326人であったから(『上富良野村勢要覧』大14)、有権者はいっきょに4.6倍も増加したのである。また、議員定数も20人から24人に増えていた。こうして初の普通選挙の洗礼を受けて選ばれたのが、以下の24人であった(任期‥昭和3年6月1日〜8年5月30日)。

 

新井与市郎

久野 春吉

塚本 弥作

田中勝次郎

岩田 長作

高畠 龍郎

西谷元右エ門

小林八百蔵

西口三太郎

山本 一郎

広瀬七之丞

伊藤  整

後藤 貞吉

木澤 與蔵

守田 勇造

五十嵐富市

荒 周四郎

大場金五郎

北原  稔

佐々木源之助

松原 照吉

野崎 孝資

二村鎌次郎

橋本 米松

 

 選挙後には『北海タイムス』(昭3・6・12)の投書欄に、「上富良野村新村議へ」とする「東中一愚民」よりの以下の投書が掲載されている。

 

 議員の責務は村民の世論を的として精励し村威を発揚して他村のもの笑ひにならぬ様にするにあります。隨って部落に於いても議場に於けると同じく常に村民の手本となって立派に代表たるの面目を維持して頂きたい。但し殊更に自分は議員なりとの色を現はし小学校、部落集会、青年会等にまでくだらぬ嘴を入れる様なことは考えて頂きたいと思ひます。どうぞ町村制をよく研究し村隅々に至るまで充分観察し市街地、部落の別なく至公至平を主とし真剣味を以って活動を希望します。

 

 ここでは議員の責務が「村民の世論を的として精励し村威を発揚」し、村民の手本となることであるのに対し、とかく地域の問題に介入する弊風を批判し、高所から村全体のことを考えるように希望している。こうした投書で村民が自由に議員を批判し、希望を述べることが可能となったのも、普通選挙の実施によるものであった。選挙は一部の特権階級の政治道具から民衆の意思表示の手段へと大きく変わっていったのである。

 なお、高畠龍郎は5年4月27日に退任している。昭和6年以降の村会の開催状況は表5−5の通りであった。

 

 表5−5 村会の開催状況

 

6年

8年

9年

10年

11年

12年

13年

開催度数

9

10

6

8

9

6

7

開催日数

14

11

7

21

10

8

7

附議件数

55

57

46

66

60

59

66

内訳

原案可決

34

47

42

61

40

46

55

修正可決

4

 

 

1

1

3

2

諮問

4

 

 

 

 

 

 

選挙

4

1

1

2

2

1

1

報告

4

7

2

2

2

2

2

決定

5

 

 

 

 

 

 

認定

 

 

 

 

8

1

1

選定

 

 

 

 

7

4

3

其の他

 

2

1

 

 

2

2

   出典:各年度の事務報告書による。

 

 昭和7年の選挙

 昭和3年以降は5月31日が投票日となっていたが、2回目の普通選挙は7年に行われた。当選者と議員は以下の通りである。

  昭和7年(任期‥7年5月31日〜11年5月30日、定数24人)

福家 敏美

西條兵治郎

廣瀬七之丞

作家辰次郎

田中勝次郎

北原  稔

岩田 長作

小林八百蔵

米谷浅五郎

古川吉之助

中沢 新松

芳賀吉太郎

荻野 源作

伊藤常右エ門

西谷元右エ門

新井與市郎

佐藤卯之助

海江田武信

荻子 信次

久野 春吉

松原 照吉

伊藤  整

白井 彌八

山本 一郎

 

 この選挙では、第2代の町長となる海江田武信が初当選し、昭和42年に退任するまで長期にわたり町政に寄与した福家敏美も26歳の若さで当選していた。

 

 写真 昭和7年選挙の当選議員と理事者、役場職員

  ※ 掲載省略

 

 昭和11年の選挙

  昭和11年(任期‥11年5月31日〜15年5月30日、定数24人)

西谷元右エ門

久保 米八

久野 春吉

荻野 源作

小林八百蔵

手塚 新一

古川吉之助

山本 一郎*

四釜卯兵衛

松原 照吉

小川 総七

仲川善次郎

白井 弥八

田中勝次郎

佐藤卯之助*

広瀬七之丞

金子 全一

北原  稔

中沢 新松

芳賀吉太郎

海江田武信

西條兵治郎*

福家 敏美

新井與市郎*

 

 *は任期中の辞職者であるが、佐藤卯之助は議員失格となり11年12月15日に岩田長作が当選している。山本一郎は12年10月4日に死去し、新井與市郎は14年7月15日に収入役就任により辞職している。

 議会では12年末には村会議員時間励行会がつくられていた。上富良野村では国民精神総動員運動の実践目標の一つに時間励行を掲げており、議会が率先してその模範を村内に示すと共に議会での無届欠席、遅刻防止をはかることを会の目的としていた。その結果、「毎村会は定時より1分も遅れないといふ好成績を示」すようになったという(『我村』第28号)。13年には初の試みとして議員の村外視察を行っている。産業、畜産、観光施設の3班に分け、産業は道南、畜産は十勝・日高、観光施設は阿寒方面であった(『富良野毎日新聞』昭13・6・18)。また、明治45年以来村議をつとめ、東中開拓の功労者であり産業組合の育成に尽力した西谷元右エ門の酬恩碑が建立され、13年9月5日に除幕式が行われていた。

 

 写真 昭和11年選挙の当選議員と理事者、役場職員

  ※ 掲載省略

 

 昭和15年の選挙

  昭和15年(任期‥15年5月31日〜22年4月29日、定数24人)

山本逸太郎*

道井太十郎

田中勝次郎

廣瀬七之丞

仲川善次郎

和田松ヱ門

北原 稔

福家敏美

西谷元右エ門

小林八百蔵

伊藤七郎右ヱ門

四釜卯兵衛

松原 照吉

金子 全一

村上 国二

荻野 源作

松島卯之吉

白井 彌八

床鍋 了作

久野 春吉

岩田 長作

多湖 房吉

海江田武信

小川 総七

 

 既に戦時下に入った時期であるが、この時期には翼賛体制が形成され、村常会などで村内の重要事項が決定されるようになっており、村議会の権威と役割はおおいに低下していた。さらに、この期の議員は本来なら19年5月に改選を迎えるはずであったが、戦時下の特殊事情により18年6月22日に各種議会議員の任期延長が布告となり、終戦後まで選挙が実施されることはなかった。議員の中でも応召を受けた者は、解除となるまでは一時的に資格停止となっていた。なお議員中、山本逸太郎は21年1月に退任している。

 

 写真 昭和15年選挙の当選議員と理事者、役場職員

  ※ 掲載省略