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4章 大正時代の上富良野 第10節 十勝岳大爆発

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6、泥流災害にまつわる事業

 

 慰霊祭

 十勝岳爆発による惨死者の追悼法会は、大正15年6月24日西本願寺の札幌出張所主催により聞信寺にて開催され(『北海タイムス』大15・6・29)、四九日にあたる7月11日には上富良野、美瑛両村長および上富良野仏教団が施主となり、村葬と追悼会が開催された。

 また村葬終了後には、百済内務部長より御下賜と弔慰金(受領者75名、死亡者行方不明者10円、1人増すごとに5円増、総計1,095円を義捐金より支出)の伝達が行われ、追悼法会とともに講演会と活動写真会も開催された。講演の内容は北海道帝国大学講師田中館秀三の「爆発と復興」、大谷派北海道教務所安居堯正の追悼で、映画は慰安及び社会教育の意味で上映された(『十勝岳爆発災害志』)。

 

 写真 村葬での下賜金伝達

  ※ 掲載省略

 

 災害の記録

 大正15年の十勝岳噴火を記録し、また義捐金の募集促進のために行われた事業としては、同年7月に旭川絵葉書倶楽部で発行された「十勝岳爆発大惨事の実況」と題する絵葉書集の販売や、各新聞社が噴火直後の様子を撮影した活動写真がある。特に活動写真は噴火から5日後の5月28日には早くも旭川の美満寿館や松竹座で上映会が開催され(『北海タイムス』大15・5・29)、道内各地で公開された。

 また編纂・刊行物では、特に重要なものとして@『十勝岳災害小志』、A『十勝岳爆発ニ因ル災害復旧事業施行経過ノ大要』、B『十勝岳爆発災害志』があり、被害状況、災害発生当時の応急救護、その後の本格的な復興事業のあらましなどが記録されている。

 このうち『十勝岳災害小志』は、上川支庁属の佐藤清市の編纂で、7月11日の村葬の際、関係者参列者に配付された。また『十勝岳爆発ニ因ル災害復旧事業施行経過ノ大要』は、昭和2年4月5日の公職者会議で、吉田村長の復興策に反対する人々の運動に関して、「一般村民ハ反対側ノ今迄ニ大会両度開催シタルニ、理事者並ニ関係者ガ一度モ之ニ対シ弁明ナキニ付、或ハ反対者ノ云フ如キ事実ノ有無ヲ疑フモノナキニアラス、何等カノ方法ニ依リ、村民ノ誤解ヲ解クノ要アルト認ム」との発言があり、これまでの復興事業を具体的に記載した報告書を作成して、事業の成果を明らかにする(『復旧工事協議書類』)ために発行されたものと考えられる。5月6日には村長・村会議員より各部長に対して「災害復興事業経過ノ大要ニ関スル印刷物配付方依頼ノ件」が伝達され、部内一般にもれなく配付された。ただしその表紙には「自大正十五年六月至昭和三年八月」とあるが、内容的には昭和2年4月ごろまでの復興事業が網羅されている。

 一方、十勝岳爆発の記録として最も詳細なのは、昭和4年3月25日に刊行された『十勝岳爆発災害志』である。同書は十勝岳爆発罹災救済会が編纂を計画し、元空知支庁社会係主任片山敬次に嘱託して編纂された。計画は昭和2年6月より開始され、関係町村の資料提供により完成し、罹災地関係方面、100円以上の義損金品寄付者、各府県、道内各支庁・市役所、町村役場、官公庁、中等学校、図書館、新聞社、貴・衆両院議員、道会議員、教育会などに配布された。また同書の刊行により十勝岳爆発罹災救済会はその設立の目的を達成したとして解散することとなった。(『北海タイムス』昭4・4・15)。

 

 記念碑の建設

 十勝岳爆発から昭和初年にかけて建立された記念碑には、@大正15年9月1日草分に建立され後に明憲寺に移された「十勝岳爆発遭難記念碑」、A昭和2年5月24日西2線北31号に建立された「十勝岳爆発記念碑」、B昭和2年8月13日聞信寺内に建立された「十勝岳爆発横死者血縁塔」、C昭和3年10月7日十勝岳元山事務所付近に建立された「十勝岳爆発記念碑」、D昭和4年7月9日に建立された十勝岳爆発を詠む「九条武子の歌碑」、E昭和5年4月17日西6線北28号に建立された十勝岳爆発横死牛馬「追善記念碑」、F昭和5年5月24日大雄寺内に建立された十勝岳爆発「新四国三十三所観世音菩薩碑」がある。特に@「十勝岳爆発遭難記念碑」は、大正15年10月から吉田村長が十勝岳爆発罹災救済会に義捐金交付を請願(『災害関係書類』)して建立され、災害発生から1年を記念して除幕式が行われた。碑の題字は中川健蔵道庁長官、碑文は百済内務部長の手によるもので、日新入口付近の泥流で流されてきた巨石の上に建立された。

 またこのほかにも、大正15年秋に建立された「十勝岳爆発惨死者の碑」がある。この碑は最初村役場の裏庭に置かれていたが、昭和37年に専誠寺境内に建立され、その後再び村役場裏庭に戻った後、所在が不明となり、昭和63年8月31日ヌッカクシフラノ川の共和橋工事現場で発見され、11月22日再び専誠寺に建立された因縁がある(十勝岳噴火にかかわる記念碑については中村有秀「続石碑が語る上富の歴史」『郷土をさぐる』第8号掲載に詳しい)。