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4章 大正時代の上富良野 第10節 十勝岳大爆発

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4、復旧復興予算の獲得

 

 当初の要求額

 拓殖計画委員会出席を兼ねて6月24日上京した中川道庁長官は、早速内務、大蔵、農林各省を訪問し、復旧復興予算の折衝を開始した。翌25日には加勢土木部長も上京し、中川長官とともに陳情にあたった。

 ところで道庁は、復旧復興予算をどの程度の規模に考えていたのだろうか。罹災当初に上富良野村役場が概算した復興費は154万円といわれており(『北海タイムス』大15・6・1)、また6月初めの百済内務部長の陳情の内容は、加勢土木部長によると「準地方費道路、町村支弁幹支線、造田復旧費の全額補助と復興費二百万円を要求」している(『北海タイムス』大15・6・10)ということなので、当初の希望額は150万〜200万円程度だったと考えられる。ところが百済部長の交渉はそれほど進展せず、6月18日に罹災地の復興方針が決定した際にも、政府当局から「災害復旧費、補助費、移住奨励費、低利及び無利子の貸付金等約100万円の融通を受ける事に大体の諒解を得て居る」としており(『北海タイムス』大15・6・20)、政府側からは100万円程度の金額提示がなされていたとみられる。

 

 道庁案の内容

 このような政府からの提示に対して道庁もこれを受け入れ、24日に取りまとめられた「十勝岳爆発災害復旧復興予算」所要額は、@国費支弁(道路、橋梁、河川、潅漑溝復旧費、流木除去費、移住地選定費、雑費)が40万473円、A国費補助(地方費及び町村費支弁道路、河川・耕地・公共建物復旧費、移住費補助)が61方6,829円、B国庫貸付(住宅建築資金、産業組合復興資金、生業費貸付金)が19万3,850円で、C合計が119万1,152円であった。この予算案は政府から大筋で認められ、一方その支出方法に関しては、一部を第二予備金から出し他を無利子もしくは4分8厘の低利で国庫貸付金から出す案、大部分を第二予備金から出し2、3年後の支出で可能なものは拓殖費から出す案なども出されたが、結局道庁側は第二予備金より災害復旧費を出す案を要求した。また国費支弁河川・道路の全額国費支出、上富良野に対する金額補助を8割を限度として請求し、特に上富良野に対しては、流木除去作業の困難さを主張し、復旧工事費の全額支出を希望した(『北海タイムス』大15・7・20)。この点に関して加勢土木部長は、

 

  私は大体に於て上富良野村を救ふを主にせねばならぬと思ふ。次いで同村の特に困って居る人、第三に中富良野、第四に美瑛の災害者を救済するといふ順序でなくてはならぬ。この見地からして先づ土地の復旧を主眼となし、若し該土地が復旧されぬとせば、大部分は移住せねばならぬ事になるが、それは困難な問題で虞[おそ]らく実現不可能と思われたので、経済関係其他を考究し土地の復旧に進めたのである。

 

と語り(『北海タイムス』大15・7・20)、土地復旧について反当たり200円以下で復旧計画をたてたことを明らかにした(『北海タイムス』大15・7・21)。

 一方中川長官は予算折衝と平行して宮内省を訪れ、復旧不可能な罹災者の移住地として御料地の開放を陳情し、約500町歩を開放する了解を得た。

 

 改定案の作成

 予算折衝が一段落した7月中旬には中川長官、加勢土木部長らが帰道し、道庁では7月23日政府の内示に基づき「復旧復興予算」の改定案を作成した。これによると@国庫支弁が40万473円から2万750円に減少したのに対し、A国庫補助が61方6,829円から85万3,229円に増加し、B国庫貸付金は17万3,850円から15万6,318円となり、C合計が119万252円だったのに対し改定案では121万297円となった。この改定案は7月26日橋本社会課長らが上京し、内務省に提示された。

 

 内務省査定案

 この道庁の改定予算案の提示に対して、内務省は7月31日「内務省地方局査定額」を提示した。内務省査定案は、@国庫支弁は、移住地選定費・小学校経費を国庫補助の項に移し10万6,875円、A国庫補助に関しては、潅漑溝復旧費、耕地復旧費を総工事費から補助費を控除した残額を国庫より貸し付けることとし、また公共建物復旧費は全額国庫貸付、他もそれぞれ減額して結局71方3,721円となった。B国庫貸付金は、産業組合復興資金を産業資金以外認めず、潅漑溝復旧費、耕地復旧費、公共建物復旧資金を加えて41万7,233円に増額され、C合計124万7,820円となり、12万7,523円の増額となった。

 内務省査定案の特徴は、何といっても国庫貸付金が増額されていることであるが、一方全体の要求額は道庁側より多く、折衝にあたった橋本課長も「大蔵省の了解を経れば、近く勅裁を経て決定されるが、之が決定の暁は本道拓殖の為にも相当理想的な結果を得るであろう」と語った(『北海タイムス』大15・8・15)。

 

 復旧復興予算の決定

 内務省査定案は、7月31日に大蔵省に回付され、8月10日には査定会議にかけられた。9月23日には内務大臣から復旧費に関する指令が到達し、11月5日付で内務省地方局長、農林省農務局長より道庁長官に対し、「北海道十勝岳爆発被害復旧費」を大正15年度第二予備金より支出する旨の通牒があった。この通牒では、まず移住地選定費のうち、御料地払い下げに関する経費は削除され、補助費のうち潅漑溝復旧費および耕地復旧費に対する大正16年度分は追って詮議すること、また国庫貸付金のうち住宅建築資金や産業組合復興資金、生業資金、潅漑溝復旧資金、耕地復旧資金に関しては、大蔵省預金部にて協議中であるとされており、そのうち住宅建築資金4万7,000円(このうち上富良野は3万2,000円)に関しては、昭和元年12月28日に融通が通知された。さらに住宅建築資金以外の国庫貸付金で、産業組合復興資金、生業資金、潅漑溝復旧資金、耕地復旧資金は、内務省地方局において当初合計35万8,318円の査定を受けていたが、その後大蔵省預金部の査定の結果、30万円に減額され、昭和2年2月26日に融通の旨の通牒があった。

 この結果確定した復旧復興予算は、@国庫支弁(国庫支弁道路・橋梁復旧費、河川復旧費、移住地選定費)が6万1,875円、A国庫補助(地方費支弁河川復旧費、潅漑溝復旧費、耕地復旧費、移住費、町村費支弁道路・橋梁復旧費、町村費支弁河川復旧費、公共建物復旧費、移住地小学校建築費)が大正15年度49万4,637円、大正16年度21万9,075円で合計71万3,712円となった。またB国庫貸付金(住宅建築資金、産業組合復興資金、生業資金、潅漑溝復旧資金、耕地復旧資金、公共建物復旧資金)は大正15年度が16万7,666円、大正16年度が20万1,249円で、計36万8,915円となり、この結果C全体の合計が114万4,502円となり、当初予想されていた120万2,820円(『北海タイムス』大15・10・12)から国庫貸付金が5万8,318円減額された分、少ない金額となった。