第4章 大正時代の上富良野 第2節 大正期の農業と林業
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1、農業の伸展と苦境
大正2年の大凶作
明治後期に至って畑作を中心にようやく基礎固めを終えた上富良野の農業だったが、大正期に入って間もなく農民たちには大きな苦難が待ちかまえていた。それは大正2年の大凶作である。この年は6月中旬から7月上旬、8月中旬から9月中旬と連日にわたって低温が続き、さらに暴風雨もあり、しかも初霜は各地とも平年より1週間から2週間ほど早かったといわれる。そのため農作物に与えた影響は大きく、大豆や小豆、稲作などをはじめとして多くの作物に被害は広がり、北海道では開拓が始まって以来の大凶作になったのである。
『上川開発史』によると、「上川地方においても平年作に比して水稲は8厘7毛作、大豆2分5厘作、小豆1分1厘作という減収を示し、その被害見積高は約550万円(前年の農産総額は1,220万円余である)に達し」たとあるが、上富良野においても収穫の減少と被害は明らかであった。表4−2、3は農会技術員だった岩田賀平が、在職中に役場資料などをもとに作成し所蔵していた統計資料から、主な作物の大正年間におけるものを作付面積と反収、収穫高をまとめたものだが、大正2年の反収は一部の例外を除きことごとく大幅な減少をみせている。
例えば、小麦は明治45年(大正元年)の反収が150升に対し大正2年が10升だから、前年比わずか6.6lの収量しかなかったことになる。同様に小豆は前年に比べ22.2l、大豆が前年比40l、蕎麦が57.1l、玉蜀黍が50lなどと大幅な減収となっているほか、水稲も明治45年(大正元年)の反収が100升に対し大正2年が20升とわずか5分の1に減少している。なお、10月8日付けの『小樽新聞』では小麦同様、燕麦も収穫皆無と報道しているが、岩田賀平の統計資料ではほぼ平年作である。
当然、全体の収量が落ちたといっても、地域によって作況の違いはあるわけだが、被害のひとつの目安となるのは3年1月30日付けの『小樽新聞』の報道である。ここでは上川支庁調査による上富良野の窮民状態が伝えられているが、それによると農家総戸数2300戸のうち、収穫5分作以下となる農家が1573戸、収穫皆無が462戸とある。凶作によるダメージは相当なものだったと考えてよいだろう。
こうした被害に対し、道庁は罹災救助基金法による対策を講じ、国費及び地方費による土木工事をはじめとする救済事業を起こしていくわけだが、上富良野に関する救済対策については、本章第7節「大正期の社会」に詳しい。
表4−2 主要作物の反別及び収穫高
(小麦)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
1,620町 |
150升 |
24,300石 |
10.70円 |
大正2 |
1,243町 |
10升 |
1,240石 |
11.15円 |
大正3 |
1,615町 |
30升 |
4,850石 |
10.00円 |
大正4 |
1,750町 |
40升 |
7,000石 |
11.00円 |
大正5 |
550町 |
80升 |
4,400石 |
12.50円 |
大正6 |
250町 |
85升 |
2,130石 |
16.50円 |
大正7 |
145町 |
110升 |
1,600石 |
26.00円 |
大正8 |
230町 |
100升 |
2,300石 |
20.00円 |
大正9 |
332町 |
100升 |
3,320石 |
18.00円 |
大正10 |
367町 |
100升 |
3,670石 |
13.00円 |
大正11 |
444町 |
89升 |
3,950石 |
13.75円 |
大正12 |
320町 |
83升 |
2,660石 |
14.50円 |
大正13 |
181町 |
80升 |
1,450石 |
15.20円 |
大正14 |
198町 |
80升 |
1,580石 |
18.00円 |
大正15 |
207町 |
80升 |
1,660石 |
18.00円 |
(裸麦)
|
耕作別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
630町 |
120升 |
7,560石 |
13.00円 |
大正2 |
788町 |
100升 |
7,880石 |
12.45円 |
大正3 |
1,024町 |
100升 |
10,240石 |
7.50円 |
大正4 |
1,180町 |
40升 |
4,720石 |
4.50円 |
大正5 |
900町 |
90升 |
8,100石 |
8.40円 |
大正6 |
360町 |
82升 |
2,950石 |
15.50円 |
大正7 |
294町 |
100升 |
2,940石 |
23.00円 |
大正8 |
650町 |
90升 |
5,850石 |
23.00円 |
大正9 |
528町 |
80升 |
4,220石 |
20.00円 |
大正10 |
485町 |
80升 |
3,880石 |
12.50円 |
大正11 |
457町 |
83升 |
3,790石 |
13.00円 |
大正12 |
329町 |
80升 |
2,630石 |
14.80円 |
大正13 |
349町 |
50升 |
1,750石 |
14.20円 |
大正14 |
308町 |
60升 |
1,850石 |
15.00円 |
大正15 |
248町 |
80升 |
1,980石 |
15.50円 |
(小豆)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
177町 |
90升 |
1,590石 |
10.70円 |
大正2 |
287町 |
20升 |
570石 |
15.00円 |
大正3 |
301町 |
120升 |
3,610石 |
11.30円 |
大正4 |
326町 |
120升 |
3,910石 |
9.00円 |
大正5 |
285町 |
110升 |
3,140石 |
10.80円 |
大正6 |
150町 |
95升 |
1,430石 |
15.00円 |
大正7 |
81町 |
100升 |
810石 |
16.00円 |
大正8 |
130町 |
65升 |
850石 |
26.50円 |
大正9 |
386町 |
56升 |
2,160石 |
10.00円 |
大正10 |
434町 |
82升 |
3,560石 |
14.00円 |
大正11 |
352町 |
90升 |
3,170石 |
14.70円 |
大正12 |
309町 |
80升 |
2,470石 |
15.20円 |
大正13 |
192町 |
85升 |
1,630石 |
25.00円 |
大正14 |
555町 |
85升 |
4,720石 |
18.00円 |
大正15 |
355町 |
70升 |
2,490石 |
21.00円 |
(大豆)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
120町 |
60升 |
720石 |
6.80円 |
大正2 |
50町 |
24升 |
120石 |
9.00円 |
大正3 |
82町 |
90升 |
740石 |
7.75円 |
大正4 |
75町 |
100升 |
750石 |
7.50円 |
大正5 |
72町 |
90升 |
650石 |
8.50円 |
大正6 |
35町 |
80升 |
280石 |
20.00円 |
大正7 |
85町 |
30升 |
260石 |
21,00円 |
大正8 |
90町 |
64升 |
580石 |
17.50円 |
大正9 |
229町 |
52升 |
1,190石 |
8.75円 |
大正10 |
344町 |
100升 |
3,440石 |
12.25円 |
大正11 |
370町 |
80升 |
2,960石 |
14.30円 |
大正12 |
290町 |
70升 |
2,030石 |
12.50円 |
大正13 |
257町 |
70升 |
1,800石 |
18.50円 |
大正14 |
187町 |
70升 |
1,310石 |
16.00円 |
大正15 |
159町 |
50升 |
800石 |
15.00円 |
(莱豆類)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
294町 |
100升 |
2,940石 |
9.00円 |
大正2 |
407町 |
95升 |
3,870石 |
11.00円 |
大正3 |
950町 |
110升 |
10,450石 |
8.00円 |
大正4 |
1,241町 |
71升 |
8,810石 |
12.30円 |
大正5 |
3,587町 |
100升 |
35,870石 |
29.00円 |
大正6 |
2,760町 |
63升 |
17,390石 |
32.00円 |
大正7 |
3,027町 |
114升 |
34,510石 |
22.20円 |
大正8 |
2,100町 |
62升 |
13,020石 |
13.25円 |
大正9 |
623町 |
37升 |
2,310石 |
11.25円 |
大正10 |
407町 |
110升 |
4,480石 |
14.50円 |
大正11 |
629町 |
75升 |
4,720石 |
18.78円 |
大正12 |
437町 |
75升 |
3,280石 |
11.35円 |
大正13 |
350町 |
75升 |
2,630石 |
22.25円 |
大正14 |
515町 |
75升 |
3,860石 |
20.00円 |
大正15 |
451町 |
70升 |
3,160石 |
18.50円 |
(豌豆)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
544町 |
140升 |
7,620石 |
10.20円 |
大正2 |
1,169町 |
100升 |
11,690石 |
9.00円 |
大正3 |
2,020町 |
120升 |
24,240石 |
8.15円 |
大正4 |
1,770町 |
110升 |
19,470石 |
14.40円 |
大正5 |
1,220町 |
120升 |
14,640石 |
30.00円 |
大正6 |
213町 |
80升 |
1,700石 |
25.00円 |
大正7 |
202町 |
60升 |
1,210石 |
27.00円 |
大正8 |
215町 |
64升 |
1,380石 |
17.50円 |
大正9 |
179町 |
41升 |
730石 |
8.75円 |
大正10 |
48町 |
80升 |
380石 |
23.50円 |
大正11 |
205町 |
69升 |
1,410石 |
16.25円 |
大正12 |
194町 |
74升 |
1,440石 |
21.70円 |
大正13 |
135町 |
60升 |
810石 |
24.50円 |
大正14 |
178町 |
70升 |
1,250石 |
25.60円 |
大正15 |
270町 |
77升 |
2,080石 |
19.25円 |
元農会技術員岩田賀平がまとめた統計表より作成。
表4−3 主要作物の反別及び収穫高
(蕎麦)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
200町 |
140升 |
2,800石 |
6.00円 |
大正2 |
150町 |
80升 |
1,200石 |
7.00円 |
大正3 |
540町 |
120升 |
6,480石 |
5.70円 |
大正4 |
225町 |
110升 |
2,480石 |
6.00円 |
大正5 |
200町 |
120升 |
2,400石 |
3.00円 |
大正6 |
85町 |
150升 |
1,280石 |
12.00円 |
大正7 |
85町 |
140升 |
1,190石 |
28.00円 |
大正8 |
195町 |
210升 |
4,100石 |
16.00円 |
大正9 |
158町 |
90升 |
1,420石 |
5.00円 |
大正10 |
165町 |
120升 |
1,980石 |
7.60円 |
大正11 |
206町 |
100升 |
2,060石 |
11.35円 |
大正12 |
105町 |
95升 |
1,000石 |
9.10円 |
大正13 |
192町 |
80升 |
1,540石 |
11.00円 |
大正14 |
161町 |
80升 |
1,290石 |
12.00円 |
大正15 |
150町 |
75升 |
1,130石 |
12.00円 |
(玉蜀黍)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
450町 |
120升 |
5,400石 |
5.00円 |
大正2 |
220町 |
60升 |
1,320石 |
6.00円 |
大正3 |
440町 |
180升 |
7,920石 |
4.70円 |
大正4 |
353町 |
150升 |
5.300石 |
4.00再 |
大正5 |
315町 |
100升 |
3,150石 |
7.00円 |
大正6 |
138町 |
160升 |
2,210石 |
20.00円 |
大正7 |
186町 |
150升 |
2,790石 |
22.00円 |
大正8 |
147町 |
210升 |
3,090石 |
16.00円 |
大正9 |
144町 |
180升 |
2,590石 |
7.13円 |
大正10 |
140町 |
150升 |
2,100石 |
7.75円 |
大正11 |
126町 |
130升 |
1,640石 |
7.55円 |
大正12 |
121町 |
120升 |
1,450石 |
7.50円 |
大正13 |
182町 |
120升 |
2,180石 |
9.00円 |
大正14 |
89町 |
100升 |
890石 |
10.00円 |
大正15 |
81町 |
90升 |
730石 |
10.00円 |
(燕麦)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
162町 |
200升 |
3,240石 |
3.25円 |
大正2 |
200町 |
200升 |
4,000石 |
3.35円 |
大正3 |
250町 |
220升 |
5,500石 |
2.50円 |
大正4 |
280町 |
180升 |
5,040石 |
2.70円 |
大正5 |
310町 |
120升 |
3,720石 |
3.50円 |
大正6 |
340町 |
160升 |
5,440石 |
6.50円 |
大正7 |
771町 |
150升 |
11,570石 |
7.00円 |
大正8 |
950町 |
150升 |
14,250石 |
10.00円 |
大正9 |
869町 |
150升 |
13,040石 |
4.00円 |
大正10 |
997町 |
150升 |
14,960石 |
4.50円 |
大正11 |
922町 |
145升 |
13,370石 |
5.00円 |
大正12 |
845町 |
180升 |
15,210石 |
6.40円 |
大正13 |
1,042町 |
130升 |
13,550石 |
6.60円 |
大正14 |
948町 |
130升 |
12,320石 |
7.40円 |
大正15 |
872町 |
150升 |
13,080石 |
6.50円 |
(馬鈴薯)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
単価 |
明治45 |
340町 |
320〆 |
1,088,000〆 |
0.45円 |
大正2 |
340町 |
368〆 |
1,251,200〆 |
0.45円 |
大正3 |
430町 |
360〆 |
1,548,000〆 |
0.30円 |
大正4 |
510町 |
420〆 |
2,142,000〆 |
0.45円 |
大正5 |
560町 |
400〆 |
2,240,000〆 |
0.57円 |
大正6 |
217町 |
300〆 |
651,000〆 |
1.20円 |
大正7 |
304町 |
360〆 |
1,094,400〆 |
2.70円 |
大正8 |
445町 |
300〆 |
1,335,000〆 |
1.20円 |
大正9 |
292町 |
144〆 |
420,480〆 |
0.38円 |
大正10 |
135町 |
240〆 |
324,000〆 |
0.53円 |
大正11 |
154町 |
170〆 |
261,800〆 |
0.53円 |
大正12 |
107町 |
288〆 |
308,160〆 |
0.83円 |
大正13 |
140町 |
250〆 |
350,000〆 |
1.20円 |
大正14 |
126町 |
250〆 |
315,000〆 |
1.20円 |
大正15 |
96町 |
240〆 |
230,400〆 |
1.20円 |
(菜種)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
明治45 |
294町 |
75升 |
2,210石 |
大正2 |
447町 |
11升 |
490石 |
大正3 |
480町 |
80升 |
3,840石 |
大正4 |
410町 |
90升 |
3,690石 |
大正5 |
314町 |
80升 |
2,510石 |
大正6 |
188町 |
80升 |
1,500石 |
大正7 |
212町 |
50升 |
1,060石 |
大正8 |
195町 |
45升 |
880石 |
大正9 |
319町 |
53升 |
1,690石 |
大正10 |
192町 |
70升 |
1,340石 |
大正11 |
222町 |
52升 |
1,150石 |
大正12 |
171町 |
− |
− |
大正13 |
119町 |
− |
− |
大正14 |
82町 |
− |
− |
大正15 |
63町 |
50升 |
320石 |
(亜麻)
|
耕作反別 |
反収 |
収穫高 |
大正6 |
6町 |
350听 |
21,000听 |
大正7 |
30町 |
320听 |
96,000听 |
大正8 |
21町 |
430听 |
90,300听 |
大正9 |
64町 |
360听 |
230,400听 |
大正10 |
154町 |
280听 |
431,200听 |
大正11 |
71町 |
362听 |
257,000听 |
大正12 |
118町 |
342听 |
403,600听 |
大正13 |
70町 |
327听 |
228,9bo听 |
大正14 |
75町 |
303听 |
227,300听 |
大正15 |
54町 |
407听 |
219,800听 |
元農会技術員岩田賀平がまとめた統計表より作成。
畑作と豆景気
大正期に入って間もなく、このような苦境にあえいだ上富良野の農民だったが、歴史は思わぬ展開を見せた。翌3年にヨーロッパのバルカン半島から勃発した第一次世界大戦は、一般には「豆景気」と呼ばれる好況を生じさせたのである。その展開と北海道の農民に与えた影響について『新北海道史』(第4巻)は次のように記している。
3年8月の開戦当初はヨーロッパはもちろん東アジアの海上輸送も不安になり、事態の進展にたいする見通しもたたなかったから、輸出は停滞し物価は低落し一時は恐慌状態を呈したが、やがて戦局の推移が見通されるようになると、4年から回復に転じ、5年にかけて好況がおとずれてきた。農産物を中心とする海外輸出は急激に増進し、生産物価格は高騰し、3年以降農産物が豊作だったこともあって農村は異常な好景気につつまれたのである。
このとき価格も高騰し、生産も急増した農産物の主なものは豆類、亜麻、澱粉の原料である馬鈴薯ということになるが、上富良野の農民たちに最も大きな利益をもたらしたのは菜豆や豌豆などの豆類であった。
これは「従来豆類の輸出国であったオーストリア、ドイツはアメリカ、イギリスをはじめとする輸入国と交戦状態に入り、そのため西欧諸国間の豆類の輸出入が中絶或いは激減した。さらにまたアメリカ、イギリスでは、軍隊の食糧としての豆類の需要が急増」(『北海道農業発達史』)、連合国側の一員であった日本からの輸出が激増したためであり、菜豆類では「鶉」「金時」「大福」など、そして豌豆が海外へと送り出されていったのである。先に掲げた表4−2を見ても、菜豆類の価格の高騰と作付けの拡大には目をみはるものがある。
しかも、戦争による好況は経済のあらゆる側面に波及したこともあり、農産物全体の国内需要も拡大した。これは表4−2からをはじめとする各表の単価からもその一端が窺える。輸出の拡大で価格が急騰した菜豆などはもとより、それ以外についても、大正5年前後から数年間、そのほとんどの作物が価格を上昇させているのである。このように豆景気は畑作農民たちはもちろんのこと、一時的とはいえ上富良野全体の経済も大いにうるおすことになったのである。
耕作地拡大と地力の低下
豆景気は農民たちの生活にうるおいを与えただけでなく、もうひとつ耕作地の拡大も伸展させた。上富良野では一時、停滞していた開墾が再び急激に進み、牧場貸し下げ地など山岳寄りの高丘地などが、次々と耕作地化されていったのである。『旧村史原稿』によれば、豆景気の真っ直中にあった大正6年の耕作地面積は、田が267.1町歩、畑が6,825.9町歩、合計7,093町歩とある。中富良野との分村があるため、拡大前の面積と直接、比較することはできないが、好況も終わりを告げた時期の統計資料を参照することで、当時の拡大の様子を知ることができる。
『大正十三年村勢要覧』によれば、大正10年の耕作地は田が1,399.8町歩、畑が4,739町歩、不作付け地が1,113.4町歩、合計7,252.2町歩とある。6年以降、耕作地全体としてはほとんど増加していないのである。しかも、畑面積については6年が6,825.9町歩なのに対し10年は4,739町歩と、大幅な減少すら見せている。なかには田へと転換されたものもあったと思われるが、豆景気のなかでいかに畑の拡大が大きなものであったかが、ここから分かる。
また、さらに注目したいのは10年の耕作地のなかの1,000町歩以上が不作付け地になっていることである。豆景気は大正7年の戦争終結とともに終わりを告げる。だが、農民たちには再び天国と地獄とでもいうべき状況が待ちかまえていたのである。戦争終結とともに、例えば菜豆類は、最大の輸出先だったアメリカが輸入禁止的関税を課し輸出が激減、価格も暴落するなど、畑作農民たちは戦後不況とでもいうべき状況に追い込まれていったのである。つまりこの時期、1,000町歩以上の不作付け地が存在したということは、こうした畑作物の暴落のなか、豆景気時代における耕作地拡大が高丘地や痩地などが中心だったため、好況の終わりとともに再び打ち棄てられてしまったと考えられるのである。
しかも、ここで新たな問題が明らかになってきた。『旧村史原稿』には次のような記述がある。
(大正)末期に至りては従来の金肥のみの使用による地力減耗に鑑み、自給肥料の増産施用運動盛んとなり、農家も漸くこの方面の関心を払うに至れり。
先に掲げた表4−2から3の各表における反収の推移でも分かるが、大正10年前後を境にほとんどの作物の反収が減少を示している。これはそれまでの農業生産拡大のなかで地力の低下が進んだためである。明治期の開墾以来、北海道の畑作農業は無肥料、連作の地力掠奪的耕作が中心だったといわれる。『旧村史原稿』も述べているように、やがて過燐酸石灰などの化学肥料も使用されるようになったが、その多用はむしろ地力を奪い、また、土地投機が目的で地力回復に関心が薄い地主層の存在や、小作人たちの定着率の低さも、地力低下をさらに助長したと考えられる。この結果、病害虫発生の多発などとともに収量は低下し、農民たちは厳しい対応に迫られることとなったのである。
新たな作物への取り組み
こうしたなか農会などの指導もあり、農民たちは少しでも多くの収入を得ようと、大正期に入ってからいくつかの新しい畑作物への取り組みを始めている。主なものとしては亜麻、甜菜、ホップなどである。
まず、亜麻は製品が帆布など軍需品であることから、豆類同様、第一次世界大戦中に価格の暴騰もあり、北海道では作付けが飛躍的に増加している。大正6年、下富良野に帝国製麻の製線工場が設立されたこととの関連と思われるが、『島津家農場沿革』の同年の記録には「本年度より小作人等帝国製麻会社と契約、亜麻を耕作す」とあり、上富良野でもこの時期に多少の増加は見られる。
だが、表4−3からも分かるように、むしろ本格化したのは日本麻糸会社などの製線工場設立が決まった大正9年以降のことである。
亜麻は豆類などと違い、戦後も西欧諸国からの引き合いは途絶えることがなく、さらに増産が続いていたのである。こうした需要の増大を背景に、9年には全道で5万町歩、総畑面積の10l近くが亜麻の作付けだったといわれ(『北海道農業発達史』)、上富良野でも耕作が次第に本格化していったのである。『上富良野町史』では亜麻について次のように記している。
農家としては最初よろこんでつくらぬ作物だったから会社によって耕作組合がつくられ、静修方面で盛んになったが反収四百ポンド弱、昭和十一年頃四百町歩までなった。
甜菜も上富良野では大正期に取り組みが始まった作物である。岩田賀平の統計資料には大正10年20町歩、11年32町歩、12年41町歩、13年66町歩、14年160町歩、15年190町歩と作付け面積のみ記載があるが、耕作に至る直接のきっかけは、9年に日本甜菜製糖(旧日甜、12年に明治製糖との合併により消滅)が十勝の人舞村清水村(現清水町)に製糖工場を設立した(『北海道農業発達史』)ことが始まりである。そして、11年4月には原料調達のため同工場上富良野派出所が開設、甜菜耕作組合が設けられ(『上富良野町史』)契約栽培による耕作が本格化していったのである。
一方、甜菜の導入にはもうひとつの側面があった。この時期、地力の低下が深刻になっていたことは既に述べたが、酪農が地力維持の手段として考えられ、甜菜トップ・甜菜パルプが乳牛の飼料となることから、酪農と甜菜の組み合わせによる新しい寒冷地農業が奨励されるようになったのである。さらに甜菜は深耕が必要であることから地力の維持に役立ち、麦や豆類などとの長期輪作を確立することで、地力低下の弊害を打破することも期待された。そのため道庁は補助金制度を設けるなど、大正末期から昭和初期にかけて保護奨励策を打ち出したのだが、実際には期待通りの成果は上がらなかったようである。
上富良野を代表する特用作物であるホップも、12年の試作を経て、その取り組みが始まっている。前サッポロビール株式会社植物工学研究所ホップ研究部所長の谷越時夫は「ホップの由来と栽培歴史」(『郷土をさぐる』6号)のなかで、上富良野にホップ園が設立される経緯を次のように記す。
大正十二年におこなった上富良野村、夕張町、遠別村などの試作の結果、気候、風土、土質、成育状況、さらに収量、品質などを総合して上富良野村が最も優れている事が判明、大正十四年当時の大日本麦酒株式会社の重役が視察した際、地形がドイツの産地『ハラタウ』地方に似ていることから最適地と決定(後略)。
また、元上富良野ホップ作業所長である畠山司は「サッポロビールと上富良野」(『郷土をさぐる』第14号)のなかで次のように記している。
上富良野では大正十二年野崎孝資氏(旭野)、一色仁三郎氏(草分)、五十嵐富一氏(江花)の三氏に試作を委託、大正十四年吉田貞次郎元村長のお骨折りで、富原の本間牧場跡三十ヘクタール弱を購入し、翌十五年札幌工場から御子柴卓が、菊池謙三郎と職工二名を伴って赴任、村の御協力を得てホップ園と乾燥場を設け、直営と契約栽培に当った(後略)。
『サッポロビール札幌工場年表』(昭51)によれば、契約農家が植え付けを開始したのは大正15年。一方、直営ホップ園初年度植え付けは昭和2年で、翌3年に4町6反歩から1万2,200`cの収穫があったとある。なお『上富良野町史』は、「大正十五年十二月札幌麦酒株式会社上富良野ホップ園のホップ栽培組合設立」と記している。
写真 完成間もないホップ園乾燥作業場
写真 ホップ畑風景(昭和2年)
※ いずれも掲載省略