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2章 先史から近世までの上富良野 第5節 上富良野のアイヌ語地名

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1 武四郎とアイヌ語地名

 

 上富良野町のアイヌ語地名は、1級河川石狩川水系空知川支流富良野川の流域に存するものが大半で、文政4年(1821)間宮林蔵作と認められる『蝦夷図』(北大付属図書館蔵)に、「フラヌイ」と見えるのが初出のようである。下って安政5年(1858)3月幕府御雇松浦武四郎が、東西蝦夷山川地理取調御用として、アイヌ民族の案内により旭川から富良野を経て十勝越えを果たし、その成果である日誌・地図などにより、ようやく富良野川流域のアイヌ語地名の大半が明らかにされるに至った。もっともこれより先、松前藩士今井八九郎により富良野川流域も調査された可能性はあるが、筆者はその図の所在を知らない。

 武四郎をはじめとする諸文献から上富良野のアイヌ語地名を以下に記すが、文献の引用及び参照に当たっては、煩雑さを避けるために次のように略記している。「手控」は、安政5年の松浦武四郎手控(野帳)『川筋取調図』による地名。「戊午」は、安政5年、松浦武四郎著『戊午(ぼご)東西蝦夷山川取調日誌』第5巻による地名。「山川図」は、安政6年、松浦武四郎著『東西蝦夷山川地理取調図』による地名。「道庁図」は、明治24年、北海道庁版行『二十万分之一実測切図夕張』による地名。「佐藤」は、平成8年、佐藤輝雄「上富良野町のアイヌ語地名解釈考」(『郷土をさぐる』14号)、ならびに平成6年、同氏作『安政5年、松浦武四郎十勝越え推考図』より。「永田」は、明治24年、永田方正著『北海道蝦夷語地名解』により、他の同名同義の地名を引用した。

 また、河畔名に付記した@〜Cは、石狩水系の2次〜4次支流であること、右・左は、川下に向かって右岸、左岸の支流であることを示す。