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1章 上富良野町の自然と環境 第5節 上富良野の野生動物 76-77p

3 魚類

 

 魚のいる川、いない川

 富良野川、ヌッカクシ富良野川、ベベルイ川の3河川が、上富良野を代表する流れである。この他にも町内には支流を含め、大小数10本もの河川があるのだが、それらのうち十勝岳の噴火による影響で水の酸性度が強くなり、魚族の生息は不可であるとされている川がいくつかある。富良野川とヌッカクシ富良野川、その支流であるや旭野川、山加川、ベベルイ川上流域、カジカ沢川などである。

 ベベルイ川上流にはヌッカクシ富良野川からの水が流れこんでいたこともあり、川底は真赤で、いまなおその酸性度は相当強いといわれている。松浦武四郎がベベルイ上流のほとりにたち「是には魚類なきよし」といった安政時代以降、ここにはずっと魚影がないままといわれている。ただし、昔から魚が1匹もいなかったといわれ、人々から硫黄川と呼ばれていた富良野川、ガンビ川と呼ばれたヌッカクシ富良野川には、大正15年以前にはウグイが釣れた、という話もある。また清流性のザリガニもいたという話もある。さらには噴火後の昭和47年頃にはザリガニやドジョウが採れたという証言もある。かように人々の情報はアテになりにくく、その真偽も確かめにくい。一方、生物の環境適応性というものも、なかなか馬鹿にはできないものなのである。

 昔日の川の魚の様子について、郷土誌などからいくつかを引いてまとめてみよう。明治43年頃のデボツナイ川ではフクドジョウやハナカジカなどが沢山いて、スナヤツメは体長30aもあるものが川底に無数にへばりついていた。大きなカラスガイも見られた。子供が魚の口にササの茎を通して担いだら、尾が地面につくほどの大きさのイトウが釣れることもあった。イトウはデボツナイ川、ベベルイ川の東中付近で産卵していた。昭和6年頃でも東中付近ではアメマスやイトウがよく釣れた。ベベルイ川にはアメマス、フクドジョウ、ハナカジカがおり、支流ではオショロコマもいた。神谷川にはアメマスやザリガニが多かった。旭野川、山加川にもザリガニがいた。川跡沼にはヤチウグイやスジエビが豊富だった。また中富良野のシプケウシ川にはイトウが珍しくなかったという記録があるから、富良野川にも当然いたのだろう。空知川にはチョウザメの記録が散見されるが、それがはたして富良野川でも見られたのか、どうか。

 また江幌貯水池には、昭和48年にニジマスが放流され、さらに阿寒からワカサギ稚魚が移植されている。

 

 現在の状況

 町内でいまでも魚が見られるといわれる川には、ベベルイ中下流、カラ川、ポロピナイ川、デポツナイ川、ホロベツナイ川、コルコニウシュベツ川と日の出ダム、江幌完別川(金子川、北三十号川、北二十九号川)、トラシ江幌完別川(開拓川、ヨシトミ川と江幌貯水池、二十七号川、山花川、エバナマエホロカンベツ川)、ピリカ富良野川(日新ダム、柳の沢川、清富開拓の沢川、本流沢川、清水沢川)などがあるといわれる。また、日新ダムでは昭和49年ニジマスとワカサギが放流され、同ダムではいまも休日ともなると釣客が訪れ、ニジマス釣りを楽しんでいる。

 これらはいまから約10年ほど前の報告であるが、昭和63年からの噴火後、専門的な調査方法による系統だった河川生物調査が行なわれたことはなく、疑問点は残る。いまも魚が生息していないとされる川に、本当に魚はいないのだろうか? 例えばベベルイ川上流ならば、いったいどの範囲から魚がいないのか。山加川やカジカ沢川には、本当に何もいないのか。富良野川と空知川の合流点では、最近、数種類の魚類の採集がされているが、では富良野川にはどの辺りにまで魚がいるのか。というより、どのような種類がどこまで見られ、どこで何がいなくなるのか。シロザケやサクラマスの遡上は現在も本当にないのか……? これらの点はすべて不明である。町内の自然環境を広く正しくとらえ、またよりよく理解するためにも、町内河川の水生生物の本格的な調査の実施が待たれるところである。