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バイパスこぼれ噺

水谷 甚四郎 大正二年十一月四日生(七十七才)

昭和四十八年秋頃の事、家の仕事も大体終ったので骨休めをしている所へ、息子の友達が来て雑談をしている中に、明日はバイパスの話で公民館へ行くという。
当時、行政区長職についていた私は、ある年に市街側の行政区長から「交通事故と騒音防止の為に、バイパスを通してほしい」と行政監察局に陳情していた事を思い出し、いよいよ始まるのかなと直感した。
しかし島津地区を通る様になれば只事ではない。
早速役場に電話をしたら、「区長さんも是非来てもらいたい」というので翌日出席して設計図を見せられて唖然とした。
国道二三七号線の北二十三号辺りから、西三線迄を斜線で一直線に通過して、それからは西三線沿いに北二十九号に向かい国道に出て合流するという開発局の構想なのである。
一目見て考えるまでもなく、膨大な面積が必要であり、尚且つ島津地区のみは全面積が斜線に走る関係上、計画の中にある人々は、莫大な借金をしてまでも正規の圃場整備をして、大型農機具を導入していざこれから農耕地も増反してと張り切っていた矢先だけに、いかに公共の為とはいえ簡単に返事のできる筈もない。役場側の数字的な説明も殆どが上の空で、次回の話合いを約束するに止めて散会した。
私としても区長としての立場上、既設の町道との交差が数ケ所もあり、堤防の様なバイパスが出来れば住民に不便をかけるのは必然、又所有地を斜めに分断されれば色々な面でロスがでる。永年住み馴れた家屋敷を接収されて呑み水の異なった土地に移転させられる等々の直接関係者の実情を考えると、町側住民とのパイプ役を自認している関係上、進退ここに極まった悲壮感で一ぱいである。
関係者一同集まって話をすればする程、反対の空気が強くなってゆくばかりの情勢であった。
一方、町理事者としても理由をあげて要請をした以上、実施に踏み切った開発局に対して面目が立たないどころか、今後の町発展の行政にも重大な影響があることは目に見えている。
窮余の一策として、町理事者、町議、農業委員、区長それぞれが促進委員となり、その中から特別役員を十数名選出し、委員長を中心に共同の責任において説得策を講じ、関係者と一体となった期成会を作るべく、その第一段階に入ることにしたのは大分経ってからの事だった。
取り敢えずバイパス直接関係者の要求を満たすことを優先的に取り上げるべく、「先ず家屋の立退き保償」「水田耕作地の代替地の確保」「残存地の処分方法」「町道、道々との交差を立体とするや否や」「宅地区と水田地の価格」等々はすべて役員の責任に於て解決する事とし、書類こそ作らなかったが固く約束した。
事態は急を要す。遅きに失する事勿れとばかり早くも目星をつけた適格地の持主に懇請に行ったが、中々話がはかどらない。比較的近い部落に離農家の話を嗅ぎつけて、あそこならと奨めてみたが、他部落へ引越しするのはいやと耳を貸してくれない。
目先に纏った休耕地の地主がいたので是非入手したいと思い、出稼ぎ先まで地元の役員が往復二日もかかって説得に行ったが、予想に反し強気に出られ残念ながらみすみす空手で帰ったこともあった。
そうこうしている中に其の年も終り、新年を迎えて尚一層根気強く努力を続けたが、ついに実を結べず、気は焦るばかりで開墾期が近づいてきた。何回目かの会合で、今日はお前に任すから是非進行役を引受けてくれと頼まれ、断り切れず始めてはみたものの、いざ始めて見ると相変わらず喧々轟々、さては賛成組と反対組とが論争を始め収拾がつかなくなる始末。
止むなく一旦休憩をして、お互いに膝を交えて暫くの間懇談をした結果、ようやく双方共に理解してもらう事が出来て、ここに官民一体の期成会を結成する運びとなった。出席者全員が車座となって手を握り合って祝杯を挙げ、ここで初めてバイパス工事に、一筋の光明がさし始めたのだった。
こうした紆余曲折を経て発足した期成会なるが故に、ほとぼりの覚めぬうちにと、委員一同一丸となって「あの土地、この土地」「あの家この家」と関係者一人一人の希望にかなうよう目の回る様な毎日を費やし、文字通りの東奔西走寧日なき努力の結果が実を結び、関係者の深い御理解の末、着工の運びとなったのは、実に話が芽生えてから数年を経てからの事だった。
着工後の事は、私も任期が終ったので後継者の知るところであるが、交通事故や本通りの騒音、排気ガスの汚染が少なくなった事は確かなようである。
島津地区としてもフラノ川で分断されていたかに思わされていたきずながバイパスに依ってよみがえり、今年完成された島津ふれあいセンターに集まるのも便利が良くなり、関連事業で各町道が舗装化され国道にも広い歩道が作られた。バイパス関係者を含めた住民一同も、今ではバイパスが残した賜物として喜ばしくおもっているのではなかろうか、と私なりに考えている次第である。

機関誌 郷土をさぐる(第9号)
1991年2月20日印刷  1991年2月25日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会会長 金子全一