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父母の開拓時代

杉山 芳太郎 明治三十八年二月六日(八十四才)

私の父は、香川県香川郡川東村字川東下百三十六番戸、杉山嘉一郎の三男として生れました。
その頃土地の狭い内地では、分家をして土地をもらうという事は至難な事でした。子供も三人出来て農業を営みたくても土地がなくて出来なかったのでした。
明治三十年、この頃政府は北海道開拓者を募集していたので、父はこれに応募し、同年森 弥太郎、山本鹿太郎さん達と共に、三人の子供を連れて高松港より神戸に行き、そこで北海道行きの船に乗替えて、七日間位かかって小樽に着きました。小棒で今度は汽車に乗替えて新天地奈井江村に落着きました。
奈井江では、夏は農業をしながら冬は炭鉱で働いて暮らしていたそうです。その中又姉三人が生れ、その後話があって明治三十七年仲間の森さん、山本さんと一緒に、上富良野村東六線北十七号に入地農業を始めました。
私は明治三十人年二月六日この地東中で生れたそうです。
親は子供が大勢になったので、何とか市街地の近くに出たいと思って居る時に、現在地に〆田儀三郎という人が土地を十町歩売ると聞いて、この土地を当時五百円で買ったそうです。私が生れて一ヶ月位経った頃で、この土地に堀立小屋を建て住むように成った事を父母から開かされました。
その後現在地で又妹弟三人の子僕が生れ、親子一家十二人の大家族となりました。大家族となると生活は大変な事で、あれこれ手を尽し、明治四十一年頃水力による澱粉工場を始めました。その後市街地の近くと言う土地の利を生かし、三年位で澱粉工場をやめ、今度はこの水車で麦やイナキビの賃搗きを始めたのです。
直径が十五尺、幅は三尺位の大きさの水車に対し、臼の数は十二個で内容は五斗臼が二器、四斗臼が八器、二斗五升臼が二器ありました。この賃搗は、場所柄から搗に来る人が多く、年中無休の繁盛でした。しかし冬になると水車が凍り回らなくなるので、暖房のため水車を全部囲って、大きなストーブで薪を焚いて煙を水車に導入しましたが、それでも厳寒中は効果がなく、側壁に着いた氷を落しながら水車を回したものでした。
水車の担当は最初は二女の仕事でしたが、その姉の結婚後は三女の姉が担当しました。この仕事は忙しい事もあって大変な重労働でした。
麦を搗く時は水を入れて搗くのですが、冬は水が凍るのでお湯を入れて搗いたものです。
麦やイナキビは途中で糠を除いて搗くので大変でした。
大正の初め頃より水田が出来て、米も搗くようになりました。米は朝入れて晩に白米、晩に入れて朝白米にでき上りました。
大正九年、今の大雄寺の南側に東洋製線会社が来て、この辺一帯に池や倉庫、社宅、事務所など出来ました。この時会社から水利権を譲って欲しいとのことで、父は水利権と水車建物を会社に譲って、会社が水を使わない時には、年間いくらと決めて貸搗を続けました。
その頃、市街地に電気がついて、これに伴ない他に精米所が出来たので、父は賃搗をやめ、稲の脱穀や籾摺りだけを行うようになりました。
父は元気で良く働いた人でしたが、大正十三年三月三十一日、倒れたった一日でこの世を去りました(七十才でした。この時私は二十才でした。
大正十四年は大豊作で、私の家も反当り六俵半位で三百六十俵の収穫を得ました。
これは過去最高の収穫だっただけに、当時の喜びは一生忘れる事は出来ません。
しかしこの翌年、大正十五年五月二十四日あの十勝岳大爆発で、美田が一瞬にして泥海と化す大災害に見舞われたのです。
百四十四名の死者を出したこの災害では、前年大収穫を得た私の田んぼの泥沼の中から、二人の死体が上る悲しい出来事でした。考えようによっては父は苦労をして一家のため築いた財産を、こうして一瞬に失う悲しみを味わうより、爆発前に亡くなった事がむしろ幸せだったと思います。それは残された母がこの災害で大変苦労したからです。長生きした母は当時、沢山の流木の中から高山五葉の松を探し、その木肌についた泥を削って、百四十四名の死者を慰めるために数珠をつくり供養を始めました。
その母も昭和二十一年六月二十一日七十九才でこの世を去りました。
私の家の横には今も母がお参りしていたお地蔵さん三体があり、その一つは明治四十四年八月創祀された新四国八十三番聖観世音であり、二つ目は大正八年十二月の馬頭観世音、三つ目は昭和五年六月に緒龍地蔵尊を創祀し、この三佛に村し毎年四月七日心ある近所の人が集まって、母が造った数珠を廻しながら、十勝岳爆発で亡くなった人々の供養を行っております。
私は毎年の事ながらこの供養をしながら父母が北海道に渡り貧困と闘い、寒さに耐えながら十人の子供を育てた苦労は、現代の物量豊富な時代に生活する者には想像も及ばない事と思い、父母の開拓時代を供養のつもりで記してみました。

機関紙 郷土をさぐる(第8号)
1990年 1月31日印刷  1990年 2月 6日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一