郷土をさぐる会トップページ     第08号目次

―各地で活躍している郷土の人達―
仲良し交歓

吉田 光雄 昭和十五年四月三日生(四十九歳)

≪編集部より≫
次の三名の方の活躍状況を、在東京の吉田光雄氏より投稿がありましたので登載します。
目黒雅叙園(株)開業準備室        新屋 保一
警察庁刑事局捜査第一課課長補佐警視    薮下  守
日本道路公団東京第一建設局建設第一部長  吉田 光雄
私たちは、昭和三十一年に上富良野中学校を卒業し、共に富良野高校に進み、それぞれの道を歩みました。
新屋は、高校卒業後、勉学の夢捨て難く上京、新聞配達をしながら努力、しかしながら、社会の波にもまれるうちに考え方が変り今の仕事、つまり、セレモニーサービスをすることになりました。もともと積極的な性格なので、こうと決めたら一直線、一流に成らなければ気が済まない、フランスへ行って勉強したり、方々のレストランヘ見に行ったりで研鑚にこれつとめプロ中のプロになりました。面倒見もよくクラス会など彼が居ないと続きません。
薮下は、学生時代、柔道部と応援団長で活躍、身体は滅法頑丈で、これを生かすにはどんな仕事が良いかを考え、警察官になりました。なってみて、身体もさることながら頭の方をもっと使うことが解ったといいます。
それからというもの勉強に勉強を重ね、本人の弁によると、『学校で勉強をしなかった分、人の倍はした』と、その甲斐あって順調に栄進しました。刑事畑一筋、東に喧嘩があれば飛んでいき、西で殺しがあれば駆けつける毎日、それらの話は具体的だからすこぶる面白いのです。現在、道警から警察庁へ出向、宮崎 勤の連続幼女誘拐殺人事件など難事件に関わり、ゆっくりする暇もないようです。
吉田は、北大土木学科を卒業、日本道路公団に入り、高速道路の建設、管理に従事、先ごろ話題になった東京湾横断道路の事業では責任者として忙しい毎日を送りました。
薮下が東京に居るのは二年間、平成二年の三月までです。その間、絶えず会い旧交を温めようと誓い合ったのですが、吉田の手術や各人忙しいことなどから数回会っただけに留まって居ります。
平成元年十月一日、クラス会を期に久し振りに会いました。
手術後の吉田にとって。薮下と新屋の精悍な顔が何よりの薬になりました。
…編集注…
以上の如く此の三人は、昭和三十一年三月上富良野中学校の卒業生で、薮下 守君は南町薮下鉄次郎氏の長男、新屋保一君は江花故新屋政蔵氏の長男、吉田光雄君は本町吉田 昇氏の弟です。
尚、この原稿は平成元年十月二十日に寄稿いただきましたが、吉田光雄氏は平成元年十二月十二日にご逝去されました。諾しんで冥福をお祈りします。
(加藤 清 記)

機関紙 郷土をさぐる(第8号)
1990年 1月31日印刷  1990年 2月 6日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一