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続・戦犯容疑者の囹圉記

故 岡崎 武男 大正七年七月五日生(昭和四十三年没)

自 昭和二十一年三月十七日
至 昭和二十一年五月 二日

囹圉記(11)

三月十七日
辛じて監房外より得た情報を綜合してみると、取調べは極めて深刻で、取り扱い方も惨酷であるとの事である。某参謀は、取調べの際、拷問の為容貌も一変してしまったとか。

三月十八日
この刑務所には、印度国民軍が約一千名収容されていた。勿論吾々との接触は厳禁された。彼等は挙って祖国独立のためチャンドラポーズの下に馳せ参じ日本と共に戦った勇士達である。此の刑務所に収容されているが独立の一念は変るところなく誰もが常にチャンドラポーズの写真と独立聯盟のマークを胸に掲げて離さない。

三月十九日
印度国民軍の者達は日本の敗戦の余波で現在の様な惨めな環境にあり乍ら、日本軍に対しては極めて同情してくれた。又朝夕は毎日の様に歩哨の静止もきかず鉄柵を乗り越えてロテ(印度人の常食)を差入れてくれた。

三月二十日
取調べも未だ始まらず英軍側の吾々に対する企画も全く解らない。勿論来たばかりである。復員など到底望まれるものではない。
必要な者以外には、どんな事でも知らしめないのが彼等の躾の様だ。警戒しているグルカ兵でさえも自分がどこへ行くのか知らない有様である。

三月二十一日
ビルマ憲兵隊所属の者がモールメン刑務所より移送されて来た。彼等は終戦前後泰憲兵隊に転属にならなかった者達で約三百名内外である。此れで、曽つてビルマに勤務した憲兵は全部集められた事になる。

三月二十二日
朝いつもの如く印度国民軍がロテと、ミルクを差入れてくれた。歩哨が止めてもこれを反発してくれた。
ロテを受取るや否や、自分の胸に抱き込んで、夢中で自分の監房に逃げ込んでしまい、一人占めにしてしまう者が多くなって来た。
印度人は皆で分配して食べてくれと言うにも拘らず、此の様な見にくい態度に出て、いつも印度人の感情を損ねては、日本人は利己主善だと注意された。

三月二十三日
印度国民軍の一部出獄する。
別れを惜しみつゝ吾々を激励するもの、たばこやチーズを投げ込んでくれるもの、様々である。色々お世話になりました。何か淋しい思いがする。

三月二十四日
刑務所の本部英人事務室に日本ピーが二人。英人の慰安婦になっているとの事である。たまたま使役に出ると、ワンピースやズロースの洗濯ものが目につく。

三月二十六日
印度国民軍の連中は、出獄に際して日本軍の物を慾しがった。日本産のものを皆が愛用していた。

三月三十日
印度国民軍の残留者全員出獄する「印度へ帰ったら必ず貴方達を自由にする様運動をしてやる」と誓っていた。

四月十八日
此の頃連合軍から支給される一日の糧秣がだんだん少量になって来た。何も仕事をしない獄中生活とは言え、健康な身体には腹が空いてやりきれない毎日である。日記を書く気力もなくなって来る。

四月二十二日
(今日から一日一句の詩で暫く続く)
碁や将棋 麻雀までもあきらめて
    為す術もなく 喧嘩する友

四月二十三日
ともすれば 忘れ勝ちなる人の道
    篤く顧みよ 獄窓の月

四月二十四日
今日も又 一日暮れて 明日がくる
    獄窓の日日の たわいなきこと

四月二十五日
こもごもに 思い巡らす あれやこれ
    眠れぬ獄の 夜半の苦しさ
寒々と 骨身に泌みる 石畳
    勇みて散りし 友を羨み

四月二十六日
すいすいと 飛ぶ禿鷹の 心地よく
    思わず漏るる あわき溜息
自転車の あやめも見せず ラングーンを
    転進したる 去年の今夜

四月二十七日
今日も又 立ち上りける 友と友
    吾れ腹空きて 止むる気もなし
今日入獄以来始めての、戦犯の裁判判決が伝えられて来た。判決で刑を言い渡された者は夫々別棟の独房に移されて行く。
 ◎ 判決 弓部隊関係(カラゴン事件)
 市川少佐         絞首刑
 緑川大尉以下中隊長三名  銃殺刑
 憲兵准尉一名        五年
 小林曹長           五年
 野本軍曹           七年

四月二十九日
天長の 佳節を祝う 君が代に
    獄舎さやけく ネム咲き乱る

四月三十日(靖国神社大祭)
靖国の 霊を遥かに 伏し拝み
    獄より詫びぬ 大祭の日に
今日は一人一人呼び出されて写真を撮られた。戦犯容疑者のリストを作成するのであろう。戦犯の審理もこれから本格的になりそうだ。
横文字の入った小さな黒板にローマ字の姓名と年令と番号を記入してこれを持たされ正面と横面の二枚撮影である。自分のリストナンバーは237である。

五月一日
ネムの花 風にささやき 雨季近し
          南方軍 戦友の作品
水浴に 許されている 月の径
        四季問わず 蛍訪る
獄の窓 親心 獄舎で思ふ 不幸者

五月二日
モールメン キャンプの友の 差し入るる
     一杯の飯 胸に迫りぬ
為す事も 話すも嫌な 獄の雨
     毛布被りて 飯を待つかな

機関誌 郷土をさぐる(第7号)
1988年10月25日印刷 1988年10月30日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一