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上富良野の淡水魚

高橋 寅吉 大正三年五月十六日生(七十四歳)


兎追いしかの山 小鮒つりしかの川
         夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷



思わず口ずさむ歌の文句の通り、忘れがたき故郷、懐しい故郷、愛する故郷、七十有余年住み馴れた我が町、幼い時から何よりも好きだった魚つり、鮒の群れが波を立て泳いでいたあの沼、板を並べた五丁目橋の上から腹ばいで首だけ出してのぞいた富良野川、大きい魚が群をなして溯上するのをたゞ驚いて見たあの川、今はその川の姿もすっかり変り、沼の殆んどが姿を消してしまい、特に大正十五年の十勝岳爆発の硫黄の泥流に埋った町の周辺と草分、日の出、島津地区の平担地の川は、六十年経った今尚魚の姿を見る事が出来ません。それに加えその後強力な除草剤の普及と、河川の改修工事により難を逃れた谷川、沢地の魚も殆んど姿が見えなくなり既に絶滅した魚もおります。
自然の恵み、自然に育つべき魚を考えるとき、我々人間はこの文化の影に消されて行く自然の姿をたゞこのまゝ見過してもいいのでしょうか。自然を守り自然を育てることが今一番大切な事であり、真剣に考えて自然の復活に努力したいものと思い念じ、自然を護る参考にでもなればと書き始めた次第です。
昔から当町の水は平地は泥炭で、山地は火山岩或いは火山灰地であります。平地の水はかな気が多く飲み水としては余り芳しくなく、特に上水道敷設以前の市街地は大きな桶で水を濾して飲む家庭が多く飲み水には苦労しておりました。その関係もあり、淡水魚を家庭で飼育する事も難しかった様です。
この特殊の土地柄が魚に関係して、他の土地に棲んでいても当町は棲めなかった魚の種類は、山女魚、鱒類があげられます。その他の淡水魚は殆んど棲んでおり、これを大別してみると、石斑魚(うぐい)、泥鱒(どじょう)、鮒(ふな)、八ツ目、鰍(かじか)、アメマス、イトウ、イワナ、トゲ魚(別名針鯖)等が挙げられます。別表に詳別してみました。
又河川もフラノ川、ヌッカクシフラノ川、ベベルイ川の大きな三つの本流と、各沢から本流に流れ込んでいる支流も多く、(これも別表に表示)活火山の十勝岳を控えている当町の川の中には、硫黄の混入の為下流で真水に薄められる迄一匹の魚も棲んでないという特殊の川があります。その主たる川は、フラノ川の上流約十四粁と途中の四粁、ヌッカクシフラノ川の町内全粁程二十粁は魚がおりません。
しかしこの川に途中流れ込む殆んどの支流には、種類こそ違いますが魚はいました。硫黄気の為途中、中断されている川の上流の支流だけに魚がいる不思議もある訳で、それは言伝えられているように、他の川から渡り鳥の羽根や足について、移動途中の支流や沼に落ちた卵が孵化したものとうなずけられます。その棲息状況も別表河川図に表示してみました。
又もう今は無くなった沼も点線で表示してみました。
以上が昔から棲んでいた魚を思い出し、自分の記憶の範囲内で記録しました。
出来ることであれば、最適の清水の流れる東中地区に、その水量を利用して淡水魚の大掛りな飼育場の実現を夢見て終りとします。

機関誌 郷土をさぐる(第7号)
1988年10月25日印刷 1988年10月30日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一