郷土をさぐる会トップページ     第06号目次

各地で活躍している郷土の人達

金子 全一 明治四十一年五月十一日生(七十八歳)

当町出身者で各地で活躍されている方は、過去現在にわたって多数居られることであろうが、私の知っている範囲で御紹介したいと思う。勿論もれている人や誤って書いた所は、皆様の御指示により次回に照会したり訂正することにする。
先ず古い所では、東中出身松岡源之助氏は旭川で一時木材業界の第一人者であったこともある。又同時代の東中出身の住友与平氏と子息の正男氏は、当町出身者では最も成功者と言えよう。雑誌の記事や正男氏と親しかった故山本逸太郎氏の話を総合すると、戦前は満州で木材を大きく扱い、小樽の財閥板谷宮吉氏が社長であった時のそごう百貨店の大株主であったこともある筈である。戦後は自社の船も持って、フィリピンのラワン材を大量に輸入して、大きな利益を得た由である。東中の鈴木さんは御親類である。
ずっと下って我々の年代になると、後藤栄一郎氏(上小大正十二年卒)は苦学力行の末旧制小樽高商(現小樽商大)を出て青森で税理士になり、後に広く建材やガソリンスタンド等を経営する会社を引き受け、仙台山形方面にまで支店を出し、年商二百億円位の会社に発展させ、青森商工会議所会頭、東北六県の連合会頭になられたが、惜しいかな数年前に亡くなられた。弟の栄次郎氏は光町に居られる。
又、私よりずっと若い所で、今井 弘氏(昭和十四年上小卒)は小学校を出るとすぐ当地にあった拓銀支店に入り、現在は岩内信用金庫理事長として活躍されている。
更に若い所で南 順二氏(昭和十八年上小卒)は今やめられているが北海タイムスの社長になられた。兄上は南町の南 一男氏である。
名村長と言われた故吉田貞次郎氏の長男吉田千里氏は、雪印乳業の重役で後に雪印アンデス食品会社の社長にもなられた。妹に代議士安井吉典氏の奥様がおられるし、草分の清野様も妹である。
東中の床鍋正則氏の弟床鍋繁則氏(東中小昭和十年卒)は北農中央会の会長として、北海道農業の発展に活躍されている。
又、実業界では、旭川で広く繊維問屋を営まれていた江幌出身の杉山 登氏は、早やばやと旭川を切り揚げ東京で大きく土地を扱って大成功をおさめた。
村上国二氏は町長時代にこの杉山氏に江花の町有地を買ってもらおうとしたこともあった。惜しむらくは一昨年前途ある身で亡くなられた由である。
旭川は当地にも近く、活躍して居られる人も多いが、藤井物産の藤井淳一氏(昭和九年上小卒)は旭川商工会議所副会頭、奥様は前の郵便局長河村善翁氏の妹である。藤井氏の弟靖之氏は五十歳の若さでアメリカ三井物産の副社長である。父上定一氏は、三野商店のあたりで、自転車の販売をしていたし、母上は宮町伊藤勝次氏の姉である。尚勝次氏の兄故定勝氏(大正四年上小卒)はシンガーミシンの販売で日本一の実績を認められて、当時一部上場株であった日本バルブの重役に迎えられた。
旭川では、平和通りの蜂谷時計店の祖母は、元町長和田松ヱ門氏と小学校同級である。江幌出身の遠藤徳三氏、御両親が中町で風呂屋をしていた(今の風呂屋の前身)梅野寺郎氏は、共に繊維製品の卸問屋として活躍している。梅野氏の弟は厚生病院の医師で、現在は独立している。
昔吹上温泉を経営していた故飛沢辰己氏の女婿実氏は厚生病院の院長をしていたが、現在は独立して開業して居られる。
層雲峡のホテル大雪は、当地で長く獣医をして居られた故西野目喜太郎氏と戦後一時当地にも居られた弟との創業で、今では一流のホテルとして発展している。
改治家では村長をしていた故吉田貞次郎氏は戦時中の代議士。農協の組合長をした故石川清一氏は参議院議員、「郷土をさぐる」一号に故上田美一氏が書いている大正時代永く東中小学校の校長をされていた稲村 覚氏の子息順三氏は郷里の新潟より終戦後社会党の代議士、惜しいかな昭和三十年に亡くなられ、代って兄の隆一がそれまでパージで出られなかったのが弟の身替りで代議士になり、現在は順三氏の子息が参議院議員の由である。従って東中の小さな小学校から代議士二人と石川氏の参議院議員が出たことになる。
道会議員では、古くは新井牧場(今は日新)の故荒井鬼治氏、長く役場にいて後に美瑛の町長もされた故佐藤初吉氏(東町大和田氏の奥様の父)、参議院議員になる前の石川清一氏、そして現在の平井 進氏である。
学界では、善翁氏の叔父になる故河村幸雄氏(大正四年上小卒)は名寄の女子短大の学長に、聞信寺の奥様の兄門上秀叡氏は東京経済大学名誉教授、尚奥様は日本初の女性判事で現在は弁護士、又山本木材の奥様の兄山本健一氏(昭和十五年上小卒)は北大医学部教授で細菌研究所々長、小学校二年上の私の弟元三も北大理学部教授(今年停年)、若輩では北日本木材の堀内慎一郎氏の弟三郎氏は岩手医大生化学の講師、東中岩崎久仁男氏の次男寛氏は札幌医大麻酔科の講師、尚長男の修氏は弁護士で東京銀座に法律事務所を開いている秀才兄弟である。元東中にいた松井武雄氏の長男博和氏は北大農学部助手で、目下アメリカに留学中である。
軍人では、吉田貞次郎氏の弟故吉田善八郎氏は陸軍中将、又自衛隊では荻子芳雄氏(島津出身)は北大出の海将で科学技術庁勤務、荻野昭一氏の奥様は荻子氏の妹である。
鉄道では、須藤源吾氏(大正十四年上小卒)は鉄道教修所を出て、大学出でもむづかしいという高文試験をパスし、洞爺丸遭難の折支配人が亡くなったので副支配人として(当時は局長とは言わなかった)葬儀委員長をつとめている。又、和田松ヱ門氏の同級生末広忠氏は旭川駅長をした。
当地出身者で医師になられた人も沢山いるが、富士屋呉服店の三男花輪和夫氏(昭和三十四年上小卒)は札幌医大を出て、苫小牧で開業、苫小牧一の高額所得者である。古い所では日新故白井弥八氏の子息邦雄氏は北大を出て富良野(現在病気療養のため休業中)、栄町土田次郎氏の兄恵一氏は日本医大を出て東京、宮町中尾之弘氏の兄尚之氏は昭和医大を出て東京、元親が中町にいた田畑氏は北大を出て滝川でそれぞれ開業されており、元栄町に居た桜庭 衡氏は北大を出て三笠病院に勤務しており、一時旭川医大で非常勤講師をしたこともある。江幌若葉晃弘氏の子息金三氏は北大を出て札幌勤労者医師協会、東中岩部 進氏子息秀夫氏は札幌医大を出て苫小牧王子病院にそれぞれ勤務している。
東京には他にも沢山おられると思うが、遠藤工務店の奥様の兄遠藤慎二氏は東北大学を出て、ビルの衛生冷暖房等内装の仕事を手広くしている。又、商工会頭等もした故吉田吉之輔氏の孫林部 弘氏は北大医学部を出て環境庁大気局長である。
又、当町で永く保母をされていた長谷部ソノ氏の双生児の御子息(上中昭和三十四年卒)は、二人そろって北大に入学、当時の町の十大ニュースの一つになったが、現在兄の正彦氏は宇都宮大学工学部助教授、弟敏彦氏は大阪港湾局に勤務され、それぞれ活躍されている。
以上、私の知るところのみを羅列してみました。

機関誌 郷土をさぐる(第6号)
1987年8月15日印刷  1987年8月20日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一