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演習地と自衛隊の誘致

床鍋 正則 (七十五才)

昭和二十六年、警察予備隊の演習場が富良野に設置きれると言う情報が、大野伴睦代議士を通じて桐山議員に入ったので、是非上富良野に決定してもらうため議会にも諮らず田中町長、福家議長、佐藤、床鍋議員が随行して急きょ上京した。大野先生の自宅を訪れたところ門を一足入ると実物より大きい位の虎が両方にあり、応接室の中には大きな柵があってその中に大小無数の虎が入っていた。
田中町長から「富良野に演習場を計画しておられると桐山君(桐山君の母が大野先生の乳母)からきいたので、先生に富良野を上富良野にして頂きたいと思って参上した次第です。」と申し上げたところ大野先生は、「富良野の上に上≠つければそれでよいのだな、よしわかったそうしよう」と引き受けて下さった。
然し陳情に行っている内にも耳の近い人がおって演習地になると思われる、農事組合や、個人所有の山林を安く買い占め、高く保安庁に買収してもらった人もあったようだ。
東中土地改良区では、ベベルイ川の上流が戦車等で土地が締って保水力がなくなれば、かんがい用水の不足をきたす事は明らかなのでヌノッペ用水路の漏水の多い所を補修してもらう事を要望し、ヒューム管を埋設その他で五千万円が決定した。これは土地の買収費から捻出したものだという意見もあって林議員がそれを確めるため保安庁まで行かれた事もあったが、保安庁では「山林原野の買収費と用水路の補償費とは何の関係もない」との説明を聞いて納得して帰られた事もあり、村上議員が立木の価格が安いと交渉に行かれた事もあった。
(注)自衛隊までの経過
昭和25年8月11日 警察予備隊創設
昭和27年8月1日 保安庁発足
昭和27年10月15日 警察予備隊を保安隊と改称
昭和29年7月1日 防衛庁が発足し、同時に保安隊に代り、陸上、海上、航空自衛隊が設立された
昭和二十七年、保安隊の駐屯地決定の際も田中町長と福家議長、佐藤議員と私が保安庁に行って演習地のある上富良野に決定してもらうよう陳情して決めてもらって帰ると、農民同盟の幹部が役場へ来て、この純農村に保安隊を誘致するとは何事だと強い詰問をうけた。
町長、議長は黙して語らず、仕方なく私から「保安隊を誘致すると約三千人の隊員が来る。それによって町民税で二百万円増収になる。それを農業振興の予算に廻したいと考えての誘致なんです。先程から風紀問題を気にしておられるがどこの駐屯地でも問題はないことを確認しております」との説明で一行は「そんなら良いさ」と了解して帰られた事もあった。
今にして思えば当時行動を共にした田中町長、福家議長、佐藤議員の三名が他界された今、当時を振り返り私の記憶をたどって書き記し、ご三方のご冥福を念じてやまない次第であります。
昭和五十九年八月三十日記

機関誌 郷土をさぐる(第5号)
1986年3月25日印刷  1986年4日 1日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一