森林の現況と組合の変遷
松藤 信光 大正十年十一月二十五日生(六十五才)
今年は国際森林年で、世界的には咋年十一月ローマにおいて開催された第八十六回FAO(国連食糧農業機関)理事会において、一九八五年を国際森林年とすることが決定されました。
我が国においても農林水産省は国際森林年の効果をあげるため、各記念行事等に積極的に取り組むことになり、北海道においても三月十八日北海道国際森林年事業推進協議会が発足し、各種事業推進が計画されました。
私達の町は、雄峰十勝岳山麓に拡がる富良野原野の母村として開拓されてから、約九十年の歳月を迎えようとしています。高度成長の波に乗って物資も豊かになると共に生活も派手になりましたが、反面便利な都会生活に憧れた時代は過ぎ去り、緑豊かな故郷の生活を願望する時代へと、大きく変ってきています。
若い時代から林業に関心を持ち、小面積ながら管理育成している一人として、上富良野の林業の変遷と、森林組合の組織から富良野地区広域合併迄のことについて記述したいと思います。
入植時代
明治十九年富良野原野が殖民地として撰定されたがそれから十年間はそのまま放置されていました。明治二十九年、富良野盆地の殖民地の殖民区画が設定され、富良野盆地の開拓は明治三十年から始まったと言ってよいと思います。明治二十九年までの期間はすべてその準備時代であったと言えます。
我が町の開拓が始まったのは明治三十年からで、当時は農場・牧場・団体等に大面積が貸下げになると共に、個人に対する貸下げも急激に増加し開拓が進んだわけです。
殖民地区画設定時には、富良野盆地に相当面積が防風林として原始林のままで存置されていました。開拓が進み国有地を除く地帯が、次第に農地として拓かれ無立木地が増加しましたが、大正中期の欧州大戦後の青豌豆を始めとする豆買気等を迎えると、高台地帯迄開拓が進み、畑作でなければ農家にあらずと言われた時代がしばらく続きました。
同時に造材事業も盛んになり、農家経済も潤いましたが、国有林同様に立派な樹木のあった処が耕地となり、大正末期には、国有林以外の原始林は全く姿を治してしまって、森林らしい森林は国有林だけとなりました。
造林事業伸びる
此の時期から、民間における企業としての真の林業が始まったのでした。昭和十五年森林法の改正によって、北海道で森林組合の設立が奨められ、本町に於いても村長始め有志の方々の発起に依り、設立の運びとなった様であります。
昭和十七年七月二十九日、上富良野森林組合発起人会が開かれ出席者は次の通りでした。
西谷元右ヱ門、高畠正信、金子 浩、村上国二、神谷清五郎、北川与一
和田松ヱ門、金子全一、磯松利作、白井弥八、穴田裕二
設立以降の登記関係書類に依ると、次の通り認可されていました。
昭和十七年十二月二十八日申請追補責任上富良野村森林組合設立の件認可ス
昭和十八年一月十二日
北海道庁長官 坂 千秋
昭和十八年一月十六日認可書到着し、昭和二十三年六月二十日出資第一回目の払込を完了したるにつき左記事項の登記を求む(中略)
組合長 理 事 田中勝次郎 理 事 穴田 裕二 理 事 白井 弥八 理 事 村上 国二 理 事 高畠 正男 理 事 西谷 五一 理 事 久保 茂儀 監 事 金子 全一 監 事 神谷清五郎 監 事 加藤半十郎 右代理人 組合長理事 田中勝次郎
となっており、また現在もなお健在にて活躍しておられる方もありますが、月日の経つのが早いのには、今更ながら感慨深いものがあります。
戦時態勢に入る
村長始め有志の方々のご尽力に依り漸く昭和十七年森林組合が発足し、爾来内地府県より優良種苗が導入され、先覚者の熱意と指導に依り造林が実施され、急速に林地が増えたわけです。
昭和初期に於いて高丘地を開き作付された除虫菊も逐次廃耕され、林地に変えられていきましたが、その中に戦争も支那事変、大東亜戦争と拡大され、此の間軍用材等にも使用され、相当量出荷されました。その残りの僅かな面積のものが、戦後の風雪に耐え樹齢を重ねたわけで、足場丸太等を伐採した頃は、三十年を伐期として造林が奨励された時代もありました。
戦後は炭鉱の杭木、稲架木(はさぎ)、足場丸太等に利用され、戦後の復興の大きな原動力となった事は見逃す事の出来ないものであったと思います。
町有林の経過
大正の初期には町有林一ケ所約二十町歩、私有林約八十町歩であったものが、大正六年には私有林だけでも四十二ケ所五百四十町歩にもなったのは、牧場の一部と豆相場の変動等に依り、高丘地の開墾された跡地に造林されたものであると町誌にも載っていますが、自治体においても造林に力が注がれていました。町でも昭和三十九年江幌に大面積を保有する様になりましたが、江幌町有林は施業案により計画的に伐採され、その代金は町の大きな財源となり、様々な共同施設の建設のために活用されたようです。
森林の現況
全国内の森林資源の機能による自然の恩恵等を、総合して金額に見積ると二十数兆円と言われ、その内北海道だけでも約十兆円と推計されています。その中で富良野盆地の人工林の占める割合は大きく、更にその中で、上富良野町の人工林及び自然林の状況は、大きな比率を示していると聞いています。現在森林資源の換金率は下がってきていますが、環境保全等の生活面への重要性が広く叫ばれており、各所有者は更に管理育林に努力してほしいものと念願している一人であります。
造林の奨励
未だ富良野地方に未立木地が約一千町歩余りあり、 その中の植林不適地約二百五十町を差引いても、造林可能地は七百五十町にもなり、市町村別に見ると、上富良野五十町、中富良野三百五十町、占冠五十町、富良野二百五十町と言われています。言い代えるならば、これだけの遊休地が省みられることなく放置されているわけです。
市場価格の推移
―― 木材価格の動向(立方m) 旭川市場 ――
材 名 | エゾトド松素材 | 〃 製材 | カラマツ 素材 | 〃 製材 |
材 形 | 二〇〜二八p | 一〇・五p | 一四〜一八p | 一〇・五p |
材 長 | 三・六m | 三・六五m | 三・六五m | 三・六五m |
昭和四十九年八月価格 | 二〇,〇〇〇 | 四一,〇〇〇 | 一二,五〇〇 | 二九,〇〇〇 |
昭和五十九年五月価格 | 二一,六〇〇 | 三八,二〇〇 | 一三,三〇〇 | 三一,〇〇〇 |
五十四年のオイルショック後一時高値をしめしたが、ここ十年はほぼ横這いの状況です。
一方、広葉樹の素材は長さ二・四〇m上品等二等では
材 名 | ナラ材 | セン材 | シナ材 |
材 形 | 四〇〜四八p | 三〇〜三八p | |
昭和四十九年八月価格 | 二九,〇〇〇 | 二五,五〇〇 | 二〇,五〇〇 |
昭和五十九年五月価格 | 八六,〇〇〇 | 六一,〇〇〇 | 三四,五〇〇 |
上表で示す十年間、更に以降の値上がりは著しく、ナラ材は未だ(十月現)強保合で、セン材は去る七月、六四、八〇〇円をピークに、また、シナ材も去る四月の三九、六〇〇円をピークに値下りしています。
年輪構成のすばらしい材のナラ、セン、ヤチダモ、ニレ類等の値上がりが顕著で、北半球の広葉樹のマーケットはほとんど一緒になり、日本のナラ材が上がれば、アメリカのナラ材も上がるといわれています。大陸との気象や海流との関係で、北海道の広葉樹は世界でも最優秀な品質の成育を続けていることを特記しておきます。
林業と林業労働者賃金
林産業の不振につながり、五十八年度国有林の累積赤字が五、一六八億円(北海道国有林の赤字に占める割合八七%)道有林も七三億円に及ぶ累積赤字を抱えています。
また林業労働賃金を、全国と北海道とで五十七年について対比すると次表の通り
材 名 | 職種平均 | チェンソー伐採夫 | 伐出雑役夫 |
賃金(全国) | 八,六〇八円 | 一〇,三五八円 | 七,二八二円 |
賃金(北海道) | 一〇,六〇四円 | 一六,一八九円 | 八,九三六円 |
比 較 | 一二三% | 一五六% | 一二三% |
いずれも北海道が高く、雇用期間の関係で伐採夫が著しく高いようです。ここで自家労働力の一層の活用・努力が必要と思われると共に、人工林の樹齢の若さ等もあり、径級の細さも見落してはならない要素とも思われます。
上富良野カラマツ加工場の運営についても一層の発展が望まれる訳であり、現在同加工場で買入している価格は次表の通りです。
カラマツ市場価格 昭和六十年十月一日
材 長 | 径 級 | 石当単価 | 立方m当単価 |
二,〇〇〇 | 一一〜一四p 一六p上 |
二,七〇〇円 三,三〇〇円 |
九,七二〇円 一一,八八〇円 |
二,二〇〇 | 一二〜一四p 一六p上 |
二,九〇〇円 三,七〇〇円 |
一〇,四四〇円 一三,三二〇円 |
二,五〇〇 | 一一〜一三p 一四p上 |
二,九〇〇円 三,七五〇円 |
一〇,四四〇円 一三,五〇〇円 |
二,八〇〇 | 一二〜一三p 一四p上 |
三,〇〇〇円 三,八五〇円 |
一〇,八〇〇円 一三,八六〇円 |
三,一〇〇 | 一一〜一三p 一四p上 |
三,二〇〇円 三,九〇〇円 |
一一,五二〇円 一四,〇四〇円 |
三,六五〇 | 九〜一三p 一四〜一八p 二〇p上 |
三,二〇〇円 三,九五〇円 四,二〇〇円 |
一一,八八〇円 一四,二二〇円 一五,一二〇円 |
※規格以外の発注価格はその都度定める
※曲り材及び規格外の原木は石当り二,〇〇〇円とする。
※材長の伸び五pとする。
卸売物価指数
石油等が一番高い値を示しているが、第一次オイルショックの四十八年は三八一・四、第二次オイルショックの五十四年は一、二三一・二で二回による値上がりが大きい。
一方、木材等は三十年代から総平均指数の倍以上の指数を示し、これが外材の輸入を容易にし代替品の進出を促したことになる。
雑品 | 八,九二七 |
機械製品 | 三,八五七 |
金属製品 | 七,三五一 |
非金属 | 七,一五八 |
鉄鋼 | 六,九九六 |
窯業土石製品 | 八,五〇〇 |
石油・石炭同製品 | 二二,七九五 |
化学製品 | 四,四八七 |
パルプ紙同製品 | 七,四五一 |
木材同製品 | 二一,九七八 |
繊維品 | 五,七五三 |
食糧品 | 九,七五四 |
総平均 | 八,三三七 |
註 昭和九年〜十一年平均を一とした昭和五十八年の類別指数
以上現在までの事柄について記してみましたが、現在上富良野に南洋材、北洋材が相当輸入されている実情を見ると、上富良野の将来の発展を考える時、観光、其の他の面も大切とは思いますが、林業及び畜産を加味しなければ、真の発展は有り得ないと思う訳であります。此の事は短期間ではなし得るべくもないので、長期展望に立って町及び有識者の方々の特段のご理解と御尽力を切望し終らせて載きます。
上富良野森林組合時代の役員(年代は昭和)
職 名 | 氏 名 | 就 退 任 月 日 |
組合長 | 金子 浩 | 18・2・10〜23・7・7 |
〃 | 田中勝次郎 | 23・7・7〜33・2・27 |
〃 | 村上 国二 | 33・2・27〜48・4・1 |
理 事 | 白井 弥八 | 18・2・10〜23・7・7 |
〃 | 高畠 正信 | 〃 〃 |
〃 | 西谷元右エ門 | 〃 〃 |
〃 | 穴田 裕二 | 〃 〃 |
〃 | 和田松ヱ門 | 18・2・10〜23・7・3 |
〃 | 33・2・27〜48・4・1 | |
〃 | 金子 全一 | 18・2・10〜23・7・3 |
〃 | 山本逸太郎 | 〃 〃 |
〃 | 神谷清五郎 | 〃 〜26・6・17 |
監 事 | 高畠 正男 | 27・ 4・14〜48・4・1 |
理 事 | 23・ 7・ 7〜27・4・14 | |
理 事 | 西谷 五一 | 〃 〜23・10・31 |
〃 | 橋本宇三郎 | 〃 〃 |
理 事 | 高士仁左エ門 | 23・7・7〜30・4・16 |
監 事 | 川野 守一 | 〃 〜27・4・16 |
理 事 | 27・4・14〜33・2・27 | |
理 事 | 松田吉次郎 | 24・8・10〜36・4・16 |
監 事 | 神谷加津馬 | 22・2・19〜27・4・14 |
理 事 | 27・4・14〜33・2・27 | |
監 事 | 33・2・27〜47・2・28 | |
理 事 | 笠原 重郎 | 27・4・14〜48・4・1 |
〃 | 一色 久雄 | 27・4・14〜33・2・27 |
39・4・16〜48・4・1 | ||
〃 | 竹内幸一郎 | 27・4・14〜39・4・16 |
42・4・14〜48・4・1 | ||
監 事 | 伊藤武三郎 | 27・4・14〜33・2・27 |
理 事 | 33・2・27〜48・4・1 | |
理 事 | 村上 盛 | 27・4・14〜33・2・27 |
監 事 | 高士 政一 | 30・4・16〜33・2・27 |
理 事 | 中沢 勝雄 | 33・2・27〜45・8・6 |
〃 | 岡田 信三 | 〃 〃 |
〃 | 西村 又一 | 〃 〜36・4・16 |
〃 | 手塚 官一 | 〃 〜43・1・22 |
理 事 | 荒 猛 | 33・2・27〜48・4・1 |
監 事 | 伊藤 忠司 | 〃 〃 |
理 事 | 久保 宝石 | 36・2・27〜 〃 |
〃 | 吉崎 喜治 | 〃 〜45・5・6 |
〃 | 谷 兼吉 | 39・4・16〜48・4・1 |
〃 | 久保 武雄 | 〃 〜42・4・14 |
理 事 | 深谷 栄治 | 43・5・16〜48・4・1 |
〃 | 中沢富美雄 | 45・5・6〜 〃 |
〃 | 広川 義一 | 〃 〃 |
〃 | 高松 高雄 | 〃 〃 |
監 事 | 工藤喜一郎 | 48・3・1〜 〃 |
広域合併による役員
職 名 | 氏 名 | 就 退 任 月 日 |
組合長 | 村上 国二 | 48・4・1〜48・11・28 |
〃 | 湯浅 富雄 | 48・11・28〜52・2・28 |
〃 | 高松 竹次 | 52・2・28〜現 在 |
専 務 | 遠藤留太郎 | 48・4・1〜48・11・28 |
常 務 | 遠藤 秀雄 | 〃 〜52・2・28 |
理 事 | 今井栄太郎 | 〃 〜48・11・28 |
〃 | 伊藤 忠司 | 〃 〜53・5・30 |
〃 | 伊藤武三郎 | 〃 〜58・5・28死亡 |
理 事 | 橋本 公也 | 48・4・1〜58・5・28 |
〃 | 種房 生光 | 〃 〜現 在 |
〃 | 山崎 孝之 | 〃 〜48・11・28 |
〃 | 石山 長吉 | 〃 〜現 在 |
〃 | 田中 三治 | 〃 〜51・4・20 |
〃 | 斉藤 勉 | 〃 〃 |
〃 | 板谷新太郎 | 〃 〃 |
〃 | 小川 一男 | 〃 〜52・2・28 |
理 事 | 山本 恵三 | 48・4・1〜52・2・28 |
監 事 | 佐藤 章雄 | 〃 〜現 在 |
〃 | 小峰 清次 | 〃 〜58・5・28 |
〃 | 梅下 文信 | 〃 〜51・4・20 |
〃 | 千葉 誠 | 〃 〜現 在 |
理 事 | 宮川 英朗 | 48・11・28〜51・4・20 |
〃 | 中沢 勝雄 | 〃 〜55・5・20 |
〃 | 山口 佳夫 | 〃 〜52・2・28 |
〃 | 萱原 正 | 〃 〜51・4・20 |
〃 | 高田 忠雄 | 〃 〃 |
〃 | 中村 要 | 〃 〜52・2・28 |
〃 | 太田 慎美 | 52・2・28〜現 在 |
〃 | 原口 兵吉 | 〃 〜55・5・20 |
〃 | 横川 巧 | 〃 〜58・5・28 |
〃 | 中本 三二 | 〃 〃 |
〃 | 杉原 源一 | 〃 〜現 在 |
理 事 | 磯江 政行 | 52・2・28〜現 在 |
〃 | 菅原 等 | 〃 〜58・5・28 |
〃 | 白井 清 | 53・5・30〜55・5・28 |
〃 | 渡辺 秀雄 | 55・5・28〜現 在 |
〃 | 富田庄四郎 | 〃 〜58・5・28 |
〃 | 松藤 信光 | 〃 〜現 在 |
〃 | 岡野 忠幸 | 〃 〃 |
〃 | 橘 菊松 | 〃 〃 |
〃 | 竹内 正夫 | 〃 〃 |
〃 | 工藤喜一郎 | 〃 〃 |
〃 | 岡本栄太郎 | 〃 〃 |
〃 | 菅原 勇 | 〃 〃 |
〃 | 原 真一 | 〃 〃 |
〃 | 水上 信孝 | 〃 〃 |
監 事 | 日下 博行 | 〃 〜58・5・28 |
〃 | 菊地 徳雄 | 55・5・20〜現 在 |
参 与 | 本間 三雄 | 51・4・20〜52・2・28 |
〃 | 阿部 只治 | 〃 〃 |
〃 | 菊地保次郎 | 〃 〃 |
参 与 | 山本 恵三 | 51・4・20〜52・2・28 |
〃 | 佐藤 康夫 | 〃 〃 |
〃 | 観音 信則 | 52・7・22〜58・5・28 |
職員氏名
氏 名 | 就退職年月日 | 氏 名 | 就退職年月日 |
山岡 寛 | 18・4・1〜40・1・1 | 和田 正 | 27・10・31〜31・4・10 |
新井与市郎 | 〃 〜28・5・31嘱託 | 松田 咲子 | 31・4・30〜32・4・1 |
北川 与一 | 〃 〜30・4・1 〃 | 後竹 知子 | 33・9・1〜34・5・10 |
磯松 利作 | 〃 〜 〃 〃 | 須藤トミ子 | 34・5・11〜39・11・1 |
林 武一 | 〃 〜19・9・30 | 安田 ウメ | 35・12・1〜56・1・31 |
本間 庄吉 | 〃 〜 〃 嘱託 | 磯江 茂 | 37・4・1〜46・2・1 |
徳島 フミ | 19・3・13〜21・6・27 | 佐藤 富子 | 37・4・1〜42・5・1 |
平塚 清 | 19・11・7〜 〃 | 伊藤 信夫 | 39・4・1〜現 在 |
安田 斉 | 21・6・30〜21・12・28 | 吉谷 勝利 | 40・4・1〜 〃 |
赤間 一善 | 22・3・21〜58・3・31 | 北条 秀子 | 42・4・1〜47・5・1 |
村上 満 | 27・5・31〜56・5・31 | 稲見 昌子 | 47・2・1〜現 在 |
機関誌 郷土をさぐる(第5号)
1986年3月25日印刷 1986年4日 1日発行
編集・発行者上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一