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続 戦犯容疑者の囹圉記

故 岡崎 武男

囹圉記(六)
十二月二十二日
土曜日、日曜日にはここの大グランドで、毎週ラグビー、その他の競技が英人や泰人(タイ人)によって催される様だ。
吾々は、このスタンドの裏に居る為見る事も出来ないが、賑やかな声援や歓声がさも楽しそうに聞こえ、中央スタンドの大スピーカーから爽快な音楽が流れてきた。
これらの事も、吾々に娑婆を恋しがらせる以外は何ものでもない。

十二月二十四日
バンワン刑務所に入所するとき、運悪く取上げられた私物品が一部引渡される事になったが、一部の品物が乱梱になって、誰のものか判別できない。
この配分をめぐって、又汚ない争奪戦が始まった。遂には、なぐり合いのけんかである。
神聖な、軍隊と言う圧力で育てられてきた者が、一皮むけばこの有様か。哀れなものである。

十二月二十六日
食料の供給も、この頃極めて良くなった。生肉も入獄以来初めて支給され、穀類も干乾野菜も充分である。毎日、満腹感を得る事が出来た。
今の警戒の所長は、大の親日家でもあるらしい。有難いことである。毎食事、炊事場の釜の底に残るコゲを奪い合ったものだが、この頃はそれにも関心が薄くなってきた様だ。

十二月二十八日
コックさんの占いも、どうやらはずれ、何んの変化もなく二十八日が来た。
本部では、お正月の準備のため、陸軍病院や、終戦司令部や、連合軍に色々な申請やら要求をして奔走して廻り、有難いことに、味噌、醤油や、その上もち米まで入手する事が出来た。

十二月二十九日
早朝からもちつきである。隊長以下、交替に威勢の良いもちつきである。臼も、本物を終戦司令部から借りて来た。
敗戦して抑留生活はしているが、斯の様な生活の出来る事は有難い事である。ふっと熱いものが胸に来る。

十二月三十一日
昭和二十年も、敗戦の大きな汚点を残して終りを告げんとしている。善戦にあって力及ばず、敗戦に到らしめた罪は吾々にもあるのだ。祖先や、死んだ戦友に申し訳ない事だ。
遥かに、南十字星のまたたく抑留所の窓辺に祖国を思いつつ、昭和二十年を送らんとする。顧みて、万感胸に迫るものあり。
    永らへて 年を送るも 相済まず
    華と散りたる 友の御霊に

昭和二十一年一月一日
新しい年を迎う。
国家再建の年だ。この大戦で、心に万死を期して生還を得た吾々であるならば、国の再建がこれからの使命である。
隊長の指揮で宮城遥拝した後、祖国を偲びつつ御ぞう煮を戴く。

一月三日
夕食後、永沼大佐の講演を聴く。
  終戦時の戦力
  軍部の欺瞞
  封建制度の障害
等について、赤裸々な実情を説かれたが、眼かくしの上、馬車馬の様に教育されて来た吾々には、少なからぬ驚異であった。
勤労の尊さを知る。

一月四日
バンコックに居る一般兵科部隊で、連合軍の労役に服している部隊がある。このキャンプの付近にも電柱の建設やグランドの草刈に毎日来ている。
彼等と話しをする事は厳禁されていたが、使役を利用して部外のニュースを聞いた。彼らは予備役が大部分で、かなり老年兵が多く、終日の労役で心身共に疲れ切っている様子だ。
彼等の中には、吾々の環境を羨しがる者さえいた復員情報は、いずれも悲観説が多かった。

一月六日
戦犯の取調べは、まだ終ってはいないのだ。
咋夜から二名の憲兵が取調べられた上、所持品や体重の調査をされていたが、今朝早く、四時にどこかへ連行された。本人達の経歴からみて、ビルマヘ空輸された様だ。
取調べも断片的で、いかなる事件が戦犯として挙げられているのか全く不明である。

一月八日
今日は、吾々を警戒しているパンチャビー兵達の祭典だ。宗教的なものであろうが、彼等の幕舎を万国旗や草花で装飾し、夕陽が赤く沈む頃から彼等独得の音楽が始った。笛と鐘と太鼓の音は休みなく続く。夜に入って、泰(タイ)の踊子が数人加わって、これ又南方独得の踊りが始まり、誠に盛大である。
夜中になっても賑やかな騒ぎで眠れぬままに、立って柵の隙間から珍らしくのぞいていたが、ふと見ている自分の姿に気がつき、敗戦の惨めさが身にしみて、早々に床に戻り毛布を被った。
吾々のための御馳走が翌朝度された。

一月十一日
夕方、移動命令の報伝わる。比較的平和なこのキャンプ生活に、突然の移動でいささか驚いたが、行先が元のバンワン刑務所らしいと聞いては、一層驚き、かつ憂鬱にならざるを得なかった。
やはり、吾々に対する連合軍の事件処理は済んではいないのだ。これからの前途に、大きな苦難が待っているのではあるまいか。皆落胆している。隊長は脱走を恐れ、しつこい程慰留に努める。
平和であった、このキャンプでの最後の夜を語り合った。明日は又、皆と別れ別れになるのだ。

一月十二日
二梯団に分れて、再びトラック軍によって冷たいバンワン刑務所に運ばれた。
この刑務所へ来る道中の、延々二時間に及ぶゴム林のうす暗い林の中は、誠に無気味である。この辺で降ろされて、警戒兵の銃で征伐されても、それまでである。いやな錯覚にとらわれる。
(続く)

機関紙 郷土をさぐる(第4号)
1985年1月25日印刷  1985年2月 1日発行
編集・発行者 上富良野郷土をさぐる会 会長 金子全一