郷土をさぐる会トップページ     第03号目次

続「日新小懐古録」 日新中学校の思い出

白井 弥太郎 (四十四才)

最初に日新中学校の創立、開校から上富良野中学校に統合、廃校までの校歴を記します。

設 置

昭和二十二年六・三制が布かれ中学三年が義務制となったので日新、清富の生徒の本校通学が距離の関係上困難なところから、分校設立の議を起し、両校下協力して要請、昭和二十五年四月一日認可され同年十月十九日を期して開校の運びとなる。
位置は日新小学校に併設、通学区域は、日新、清富両小学校々下である。

学校の歩み

上富良野中学校分校として、昭和二十五年には 学級、翌年は二学級編成に進み、二十七年独立して、日新中学校となる。
専用校舎は昭和二十五年十月十九日落成(五十一坪)、同二十九年十二月八日に屋内体育館(六十六坪)が出来設備も充実、職員住宅も揃ったが、昭和四十一年四月一日、上富良野中学校に統合、廃校となる。

(上富良野町史による)

私は上富良野中学校の分校として開校になった翌年の昭和二十六毎に入学し、二十九年、日新中学校の第四回の卒業生です。中学校建設の時小学校の六年生でした。夏から秋にかけ大勢の人達が立働いている様子を珍しく見ていたことを覚えています。
中学校は小学校の西側に建ち、小学校の廊下と中学校の廊下が結ばれました。職員室は小学校の職員室を少し増築し、同居でした。
十月十九日からは一度に大勢の先輩と、先生方を迎え賑やかになりました。それまでは中学は町の本校まで通学していたのですから、日新、清富の生徒は大変楽になったのです。学校行事も小学校と合同で行うものが沢山ありました。運動会、学芸会、スキー大会等賑やかでとても活気がありました。
開校の時は、校長先生は本校の梅田鉄次郎先生で、日新分校で教えられたのは、伊藤養市先生と有我寿美子先生(現町内真鍋商店の奥さん)だったと思います。私選が入学して、御世話になった先生方は、鈴木信校長先生(故人)、伊藤先生、有我寿美子先生、田中宗雄先生、千秋幸二先生(金山中学)、柳谷喜久子先生、倉本光男先生(旭川西高)でした。勉強に運動に大変御世話になりました。
たしか中学二年の頃と思いますが、野球道具をそろえるために、山本木工場の造林をしたこともありました。道具が揃った時に、早速チームを編成し、毎日毎日夕暮れまで練習したものです。日新に中学校が開校になった頃、江幌にも、江幌中学校が開校になり、練習試合をしたり、上富良野町内中学球技大会にも参加し、連戦連敗だったこともなつかしい想い出としております。また此の頃はまだ体育館が無かったので冬はスキー、廊下、教室での卓球、相撲等毎日楽しかったものです。教室や廊下での遊びは二十九年の十二月になって体育館が完成し解消しました。
この様に年々設備も充実しましたが、昭和四十一年の春、設置十五年余りで上富良野中学校に統合し廃校となり、日新中学校としての歴史を閉じました。
その後校舎は、小学校の校舎として、その面影だけは残りました。しかしその日新小学校も、昭和四十九年の日新ダムの完成で戸数が激減し、昭和五十四年三月二十四日の卒業式が最後になりました。上富良野西小学校に統合し廃校となり、閉校式を行い、六十八年の歴史を終えたのであります。
地域の人達にとっては、中学校の統合や、日新ダムのために離農があり、苦楽を共にしてきた人々と別れ、また小学校までも廃校になり、心のよりどころを失った様な気持になったものです。
しかし現在の教育的観点からも子供達が大勢の中で学ぶことの意義を考えると、それなりの意味があった様にも思います。
日新中学校の歴史は十五年余りの短い期間ではありましたが、巣立って行った多くの同窓生も実社会の各方面に於いて活躍されている今、同窓生の一人として喜んでおります。
現在上富良野公民館日新分館として活用されている建物は、元の中学校の校舎です。夏休みには多くのグループ等がキャンプに利用しています。これからも設備の充実を計り、益々活用されることでしょう。
会館の南側には「寿の家」が建設され地域の中心的役割を果しております。
学校が閉校になった現在でも、学校があった当時と同様に六月十四日の前後に地域住民、老いも若きも子供達も全員参加の大運動会が続けられています。
これからも「寿の家」を中心に地域の行事は管理運営されることでしょう。
最後になりましたが、日新中学校歴代の先生方の御氏名を記しておきます。
歴代校長先生
初代 梅田鉄次郎 昭和二十五年四月
二代 鈴木  信 〃 二十七年四月
三代 山上 政与 〃 三十一年五月
四代 宮原 重信 〃 三十三年四月
五代 小松 善明 〃 三十六年四月
先 生
有我春美子 昭和二十五・十・十九〜 〃 二十六・四・二十一
伊藤 養市 〃 二十六・四・十七〜 〃 三十一・四・二十一
柳谷喜久子 〃 二十六・五・十六〜 〃 二十八・三・三十一
田中 宗雄 〃 二十六・五・十六〜 〃 二十八・三・三十一
千秋 幸二 〃 二十七・六・二 〜 〃 四十一・四・一
倉本 光男 〃 二十八・五・一 〜 〃 三十四・五・一
中田 静雄 〃 三十二・四・一〜 〃 四十一・四・一
山本 敬子 〃 三十四・四・一〜 〃 三十九・四・一


機関誌 郷土をさぐる(第3号)
1983年12月20日印刷   1983年12月24日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一