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硫黄採掘事業に従事して

上坂 定一(七十九才)

私の父外松は、明治二十六年十九才の時、祖父と共に福井県南條郡武生町より渡道、夕張郡角田村字継立御料地に入植、その後栗山村に転居、そこで私は生まれました。大正二年父は単身で美瑛村の妹を頼り一年一緒に暮した後、上富良野村の山加農場に入地し、一人で三反程開墾しました。翌年母と私等家族が来て一緒になり農業を始めました。私は十七才の頃から平山工業所で働き、主な仕事は硫黄の梱包作業等でした。その頃は元山と中茶屋に事務所があって、元山には人夫の飯場もあり、九州から七十人位の人夫が出稼に来ていました。大正十一年十八才の時から硫黄を運搬することになりました。中茶屋の事務所から叺詰めの硫黄を駅前の吹抜き倉庫まで馬で運搬する仕事でした。親方は旭川の斉藤と言う人で、五ヶ年間働きました。一日一回、夏は馬車、冬は馬橋で運んだのですが、その頃は中茶屋の左側は樹木がうっそうと茂っていました。
人力で運んだ時代
手橇に積み、元山事務所から中茶屋まで、夏は丸太を敷き、叺詰の硫黄を三百貫(一、一二五s)位橇に積んで運んだものです。橇は樫の木で作ったもので長さ八尺(二四二p)巾一尺八寸(五五p)重さ七貰(二六s)程のもので、油を塗り滑りを良くし運んだものです。帰り道はこの橇をかついで登って行くのです。
長い橇に荷を積み、弟が後押しをして私が引張り運んでいました。ある日、丁度大曲りの処に差しかかった際、突然熊が笹薮から頭を出して、ウォーッと吠えるので、橇はそのままに下の事務所まで逃げたこともありました。それから何日かして、朝登って行くと三百m位行った地点で仔連れの熊に出逢い咄嗟のことに動くこともできず熊とニラメッコになりました。
幸いに熊はチョット視線を反らした隙に、目の前を横切って姿を消しました。その頃、秋になると毎年のように農家では熊に作物を荒されました。私の家でもそば畑を荒されましたが、その熊は同じ部落の西口幸作さんに射殺されました。おそらく私の出違った熊だったのでしょう。
馬で運んだ時代
大正十年頃になると、今の旭野地区には八十五戸位住んでおり、馬も相当数飼育されていました。
十人牧場の藤崎政告さんが十八才の時、中川さんが硫黄採取事業を経営していた時代ですが、大正火口から馬で運んだが天候が定まらず一冬で止めたと聞いています。
旭野も区域が広く、今の演習場入口の丸山が山加農場で、丸山から僅か行った処に私の家があり、隣りに村上清太さん、上野松之助さんが住んでおられ、村上賀作さんは元山事務所の職員として勤務しており、上野松之助さんの娘さんと結婚されました。この村上さんも、爆発後は○通運送店の職員となり、長い間勤めておられました。
今も健在でおられる、土井さん、長井さん、南さん達は一緒に運搬した仲間です。
中茶屋で製錬するようになったのは大分後になってのことで、私等の運んだものは大正火口の煙道で取る純度の高い品質の良いものばかりでした。
道路が悪くて馬車の心棒までぬかる個所があり、苦労したものです。帰りは叺を積んで行き、往復一日がかりの作業でした。
十勝岳の爆発
あの日は雨が降っていて、丁度家に帰っていました。午後四時頃、何か玉石が流れる様にドンドコ、ドンドコと音が聞こえるので、何事かと思い雨の中を外に出てみると、其処へ佐藤義雄という人が薮を越えて来て「元山(事務所)が全滅だ」という悲報を告げビックリしました。
その晩直ぐ元山に行くと、事務所の前で五十才位の炊事の係の人が、作業中に逃げる間もなく爆発の泥流に襲われたのか、飯場の角で玉石や泥に埋まって首だけを出していました。「助けてくれ」と言っているので、二、三人がかりでツルハシで掘り起し助け上げ、火を焚いて暖めてやったら安心したのか気絶してしまい病院に下げ入院させました。後になって、一ヶ月程で退院したと聞きました。同じく飯場にいた舟木さん、三浦さんは裏山にかけ上ったから無事でしたが、道路沿いに逃げた人は皆泥流に巻き込まれました。
爆発の前兆はチョイチョイあり、山が鳴って火口から火が燃えているという話を聞いていました。
平山工業所には親しくなった方もおられましたが、一瞬のうちに大勢の方の生命を奪うとは、天を恨まずにはおられません。なくなった方々のご冥福を祈って止まない次第です。
≪編集委員注 硫黄の生産と用途について≫
日本の硫黄鉱山は、最盛期は三十〜四十が稼動していたが、戦後国際市場の変動もあって、昭和四十二年には九鉱に減少している。
国際的には日本やイタリア、フランスが硫黄の輸出国であった時代は既に終り、現在ではアメリカ、メキシコ、カナダ等が主要供給国となっており、アメリカが世界の四十五%を占めている。
現在は、二硫化炭素などの化学薬品原料、パルプ工業、合成繊維工業又染料、ゴム加工、医薬、農業などに多く使われている。
編集員  加藤  清

機関誌 郷土をさぐる(第3号)
1983年12月20日印刷   1983年12月24日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一