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日新小回顧録…その1 閉校に寄せて

三浦 綾子

私の小説「泥流地帯」に引きつづき、「続泥流地帯」が、この春新潮社から出版された。
共に、上富良野の和田町長をはじめ、町の方々にひとかたならぬお世話になった。何とか一日も早く、「続泥流地帯」を上富良野町まで届けたいと思っていた矢先、日新小学校閉校の知らせがあった。
これは、私にとって決して小さなニュースではなかった。言いようもない感慨に私はふけった。
「続泥流地帯」の出版と同時に、日新小学校が閉校になるというのも、単なる偶然とは思えなかった。
日新小学校は、「泥流地帯」の主人公たち、石村拓一、耕作、そして曽山福子の卒業した学校である。
この主人公群のみならず、石村兄弟の姉富、妹良子、その友だちの権太、福子の兄国男もまたこの学校を卒業している。そして優秀なる教師菊川先生は、この
登場人物たちの受持ちであった。
日新小学校は、単級の小さな小学校であった。
現在の場所より、もっと奥の沢に校舎はあった。小さくはあっても、生徒たちは菊川先生の導きによって、毎日楽しく過ごした。生徒たちの成績もよかった。連帯意識も強かった。その小学校が、大正十五年五月二十四日、十勝岳の大爆発によって、丈余の泥流に呑まれてしまった。登場人物の大半が死んだ。その悲惨な様子を、私は小説の中に書いた。自分のことのように涙を流しながら書いた。
日新小学校は被災して直ちに復旧された。八月には、小説の登場人物たちは菊川先生を囲んでクラス会をした。時が流れ、日新小学校へ通う子供たちの数も今は乏しくなった。そして閉校になる。私はひどく淋しいのである。
菊川先生こと、菊池政美先生は、今、旭川に七十歳を超えて詩吟界に書道界に活躍しておられる。
日新小学校閉校の報は、菊池先生にとって誰よりも感慨深いものにちがいない。校舎諸共、奥さんやお子さん、そして生徒たちを失ったのだから。
ついこの間、上富良野町役場まで、「続泥流地帯」を持参しての帰り、私たち夫婦は、主人公たちが学んだ日新小学校跡を訪ねて見た。
(ここにあった学校が流された)
地響きを立てて、丈余の泥流が校舎を呑みこむ様を思いながら「そうか。閉校するのか」私はぼんやりと呟いていた。

機関誌 郷土をさぐる(第2号)
1982年 6月10日印刷  1982年 6月30日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一