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上富良野小学校の旅行

水谷 甚四郎

今からちょうど五十数年前の七月半ば、待ちに待った修学旅行が近づいてきた。
或いは、前年から学校のスケジュールに入っていたかもしれないが、たまたま十勝岳の爆発という大惨事があり、運動会さえも取止めになったくらいなので、旅行どころではなかったかもしれない。
当時の小学校は尋常科が義務制で高等科が選択制となっていたが、校門には上富良野尋常高等小学校となっていた。
修学旅行の対象は高等科卒業予定の男女六十名ほどであったが、汽車の一車輌分は約八十名なので全員参加しても足りなかった。尋常科の卒業生からも希望者を募って、ようやく一車輌まとまることができた。
何しろ初めての催しなので、現在のように積立て貯金をしているわけでもなかったし、家では前年に爆発の被災に遭っており、経済的に余裕もなかったので、恐る恐る両親に話した。一人息子という特典もあったせいか、しぶしぶながら許しを得たときには、ほんとうに嬉しかった。
しかし欣喜雀躍はしたものの、着るものも充分でなく、履物は普段下駄を主に履いていて、雨降りのときに履くダルマ靴しかなかったので、この機会に編上のゴム靴もぜひ欲しいし、鞄も旅行用のものが欲しかったがどうしても言い出せず、結局鞄の代りは竹で編んだ姉の小型カバンを借り、履物は二十銭ぐらいの草履ばきで行くことにした。
小遣銭は無論最小限の金額をもらって出発した。
札幌に着き、いろいろ珍しい所を見物して敷島屋という旅館に泊ったが、昼間の疲れとはしゃぎ過ぎもあってぐっすり眠ることができた。
朝、いざ出発という段になって階段の下にみんなの靴と並べておいたはずの僕の草履が見つからない。先生も因っていたら、幸いなことに札幌で靴を新調する生徒がいてそのお下りを頂戴し、少し小さいとは思ったが我慢して小樽に向った。
小樽に着き波止場の先端まで行って、初めて大きな船を見たり、防波堤から海に飛び込んで泳ぐ人達を羨しげに夢中になって眺めているうちに、ふと気がついてあたりを見廻した時はすでに手遅れで、皆の姿が見えなくなってしまった。
あわてて走ってみたがどこにもいない。
札幌の町と違って小樽の町は坂が多いせいか、道路も曲っているので探しようがなかった。ちょうど駅裏の小高い丘で昼食をとることになっていることを思い出し、交番で聞きながらそこへ行ってみたがそこにも誰もいない。仕方なく南小樽の駅に戻って来たら、先生が心配そうな顔で待っていてくれたので、その途端、先生の顔がぼやっとうるんできて、つい泣き出してしまった。
後日、クラス会のある度にその事を言われるのでさすが厚顔の美少年も紅顔するばかりだったが、そんなことで、とにかく僕にとっては、草履の件といい、迷子になった事といい、一生忘れることのできない旅行であった。色々な事件を経験し、ともかく無事帰宅すると、家では休む間もなく仕事が待つていた。僕には三、四年前から馬の世話が仕事となっていたので、もう陽も暮れかかっていたが、草を刈って与えたり、馬小屋の掃除をしたりしてから横になると、もう、家族が夕食するのも気付かないほどぐっすり眠り呆けてしまった。
上富良野小学校としての第一回修学旅行は、僕のハプニングで終始した感じだが、その後も毎年続けられていることと思う。もう何回目になったであろうか。
いずれにしても、上富良野町の小学校の修学旅行のはしりは、昭和二年七月半ばに始まったことは事実である。

機関誌 郷土をさぐる(第1号)
1981年 9月23日印刷  1981年10月10日発行
編集・発行者 上富良野町郷土をさぐる会 会長 金子全一