上富良野歴史年表

昭和22(1947)〜31(1956)年

西暦 元号 月日 出来事
1947年 昭和22年 3月5日 内相、主食供出に警察力による取締りを訓示。(いわゆる強権供出)
1947年 昭和22年 3月27日 当麻村及び北村で、本道最初の不供出罪が適用される。(ついで長沼、中富良野、妹背牛、江部乙、上士別、東旭川、東鷹栖、幌向の各村でも検挙)
1947年 昭和22年 03月--日 椛蜷ャ木工製作所創業(現錦町三丁目3付近)代表者山本逸太郎、工場長会田久左ヱ門
1947年 昭和22年 4月1日 道庁より、父母と先生の会(PTA)設立について通達。
1947年 昭和22年 4月1日 村内各国民学校(初等科、高等科)を、各小学校に改称。
1947年 昭和22年 4月5日 地方自治法施行による上富良野村長、村議会議員選挙執行。三代村長田中勝次郎就任。
1947年 昭和22年 4月5日 北海道庁長官選挙を実施。(16日田中敏文・有馬英二の決選投票で田中当選。)
1947年 昭和22年 4月17日 地方自治法公布〔法〕5/3施行
1947年 昭和22年 4月20日 第1回参議院議員選挙。
1947年 昭和22年 4月25日 第23回衆議院議員総選挙。
1947年 昭和22年 4月30日 第13期道会議員選挙、上富良野村から石川清一道会議員に当選。
1947年 昭和22年 5月3日 日本国憲法施行。
1947年 昭和22年 5月3日 地方自治法施行により、北海道庁は北海道と改まり、長官は知事、道会は道議会となる。また、内務部は総務部と改める。
1947年 昭和22年 5月10日 上富良野村議会初代議長朝倉一泰就任。
1947年 昭和22年 5月30日 上富良野中学校・上富良野中学校東中分校が開校(上富良野小学校で開校式を挙行。)初代校長梅田鉄次郎。上富良野中学校、上富良野小学校に併置し授業を行う。東中分校は、東中小学校に併置。授業を行う。
1947年 昭和22年 6月30日 日農系を除いて、北海道農民同盟を結成。(8月52町村、5万2,607人を集結。)
1947年 昭和22年 06月--日 6代助役北川與一就任。(〜30/4/7)
1947年 昭和22年 06月--日 制度改正により、監査委員設置2名選任〔条例〕
1947年 昭和22年 7月5日 飲食営業緊急処置令の公布により、闇米根絶の一策として、外食券食堂・旅館等を除き、全国料飲店営業を休止。(24.4.30まで。)
1947年 昭和22年 7月7日 上富良野村消防団設置条例制定。(関連で消防団員定員条例、給与条例、服務規程を制定。)
1947年 昭和22年 7月20日 主食遅配、北海道で90日となる。(全国平均20日
1947年 昭和22年 07月--日 食糧調整委員会設立。
1947年 昭和22年 8月29日 北海道町村会結成。
1947年 昭和22年 9月1日 共同募金会上富良野分会発足。
1947年 昭和22年 10月1日 臨時国勢調査実施。北海道世帯数72万2.226、人口385万2,821人〔上富良野村の人口〕・世帯数2,093戸、人口12,587人
1947年 昭和22年 10月19日 翼壮、郷軍、推薦議員、武徳会関係者等の追放が行われる。
1947年 昭和22年 11月14日 主食米の供出について、この前後において最も問題が多かった。
1947年 昭和22年 11月19日 農業協同組合法公布〔法〕
1947年 昭和22年 11月19日 農業協同組合法、農業団体整理法各公布〔法〕(農業団体法、蚕糸業組合法は廃止。23.8.4までに全農業会が解散。)
1947年 昭和22年 12月23日 GHQ主食代替用として、キューバー糖放出を許可。(本道割当750トン。戦後初めての一般配給が行われる。)
1947年 昭和22年 8月15-16日 留萌・上川・空知地方に豪雨被害(死者7人、行方不明11人、負傷17人。)
1947年 昭和22年 8月28-29日 真宗大谷派第24世法主大谷光暢貌下並びに裏方明憲寺に御巡化。
1947年 昭和22年 この年 上富良野村開拓農業協同組合発足。組合長松ケ枝毅(静修地区開拓農家17戸で結成。)
1947年 昭和22年 この年 上富良野連合父母と先生の会が設立。初代会長飛澤英壽
1947年 昭和22年 この年 上富良野野球協会が結成。代表者酒匂佑一
1948年 昭和23年 1月25日 東中農業協同組合創立総会(同年2月18日子協第199号指令によって、北海道知事から全道12番目の総合農業協同組合として、設立が認可された。)組合長西谷五一
1948年 昭和23年 2月10日 上富良野村農業協同組合を設立。組合長石川清一
1948年 昭和23年 2月27日 上富良野村農業協同組合設立認可を受く。
1948年 昭和23年 02月--日 東中酪農協同組合設立。東中集乳所集乳開始。
1948年 昭和23年 3月15日 上富良野村農業共済組合設立認可。組合長石川清一
1948年 昭和23年 3月31日 翼賛会協力議長、同町村支部長、翼賛壮年団長在郷軍人分会長ら、公職追放となる。
1948年 昭和23年 4月1日 自治体消防制度による、上富良野消防団を創設。
1948年 昭和23年 4月28日 夏時刻法公布〔法〕(4月〜9月に、時刻を1時間進めるサマータイム実施)※27.4.11廃止。
1948年 昭和23年 5月4日 上富良野森林愛護組合結成。組合長田中勝次郎
1948年 昭和23年 5月18日 上富良野商工会再組織発会式
1948年 昭和23年 7月15日 農業改良助長法公布[法](農業改良普及事業発足)
1948年 昭和23年 7月20日 国民の祝日に関する法律公布〔法〕
1948年 昭和23年 7月25日 初代村長吉田貞次郎逝去(享年63歳)
1948年 昭和23年 8月1日 上富良野十勝岳観光協会設立。協会長田中勝次郎(村長)
1948年 昭和23年 10月5日 第1回教育委員選挙(11.1各都道府県と一部の市町村で教育委員会発足。)
1948年 昭和23年 10月30日 北海道立富良野高等学校上富良野分校開校。(校舎は上富良野小学校に併置。
1948年 昭和23年 11月3日 開道80年記念式典並びに開発功労者表彰式を挙行。(札幌市で開催。記念講演会/記念展覧会など各種記念行事を開催。)
1948年 昭和23年 11月3日 東中青年会館に、道立東中診療所を開設。
1948年 昭和23年 この年 秋ころから、24年夏にかけて、休電日制・時間停電制・ローソク送電などの電力制限が行われる。
1948年 昭和23年 この年 旭川電気軌道株式会社、富良野沿線にバスを運行。
1948年 昭和23年 この年 東中でラベンダー苗7,000本を植え付ける。(富良野地方でラベンダー栽培のはじめ。)
1949年 昭和24年 1月20日 里仁地区から上富良野中学校へ通学の生徒29名が、美瑛第4中学校(現美馬牛中学校)へ委託通学となる。
1949年 昭和24年 1月23日 第24回衆議院議員総選挙。
1949年 昭和24年 3月10日 上富良野農業改良委員会設立。
1949年 昭和24年 4月1日 道内241地区の農業改良相談所開設。農業改良普及員342人及び生活改良普及員4人を配置し、本格的普及事業を開始。(昭33.4農業改良普及所と改称。)
1949年 昭和24年 4月1日 上富良野村農業改良相談所を開設。7/1東中農協出張所(現中町2丁目)に事務所を併置。
1949年 昭和24年 4月2日 創成小学校開校50周年記念式典を挙行。
1949年 昭和24年 4月2日 創成小学校開校50周年記念「郷土誌」発刊。
1949年 昭和24年 4月30日 上富良野中学校新校舎の一部が落成。5月15日上富良野小学校仮校舎より6学級が移転。)
1949年 昭和24年 6月6日 土地改良法・同施行法各公布〔法〕明治42年の耕地整理法、明治35年の北海道土功組合法を廃止。(昭27.8までに土功組合、耕地整理組合等を土地改良区に改組。)
1949年 昭和24年 6月10日 上富良野市街地8町内で大火災発生。(町内の家屋、農協倉庫等施設など罹災、焼失家屋等112棟に及ぶ。)
1949年 昭和24年 6月12日 吉田貞次郎先生「頌徳碑」建立。(上富良野神社境内)
1949年 昭和24年 6月19日 旭川中央洋裁女学校東中分校開校。(東中農協経営)初代校長中西覚蔵(〜39.3月閉校)
1949年 昭和24年 7月23日 樺太から函館へ、最後の引揚船白竜丸が入港。
1949年 昭和24年 9月1日 村立保育所開設(聞信寺「楽兒園」を上富良野村に移管)(聞信寺の庫裡を利用して保育を行う。〜昭和39.11.30まで)
1949年 昭和24年 9月16日 北海道社会教育委員条例を公布。
1949年 昭和24年 9月28日 上富良野高等家政女学校開設。学園長鈴木弥江子
1949年 昭和24年 11月1日 上富良野防犯協会創立。会長田中勝次郎(村長)
1949年 昭和24年 11月8日 上富良野村社会教育委員に関する条例を制定。
1949年 昭和24年 11月22日 専誠寺(西2線北28号)が殺人、放火により本堂、庫裡共に全焼する。(住職夫妻他殺死体で発見される。)
1949年 昭和24年 12月31日 上富良野中学校東中分校新校舎落成。(昭25.1.19東中小学校の仮校舎より移転。)
1949年 昭和24年 12月--日 電力制限強化、停電日週2日となる。
1949年 昭和24年 この年 上富良野森林組合苗畑事業開始。
1949年 昭和24年 この年 上富良野食糧検査事務所東中支所/共済組合家畜診療所が新築される。
1949年 昭和24年 この年 小児マヒが流行、全国で患者501人、死亡49人。
1949年 昭和24年 この年 #VALUE!
1950年 昭和25年 1月23日 上富良野小学校仮校舎より、上富良野中学校が新校舎へ全学級が移転する。
1950年 昭和25年 2月9日 道教委、北海道公立高等学校通学区域設置要綱を改正。(小学区制、男女共学等)
1950年 昭和25年 3月13日 江花地区に電灯、有線共同聴取施設設置される。
1950年 昭和25年 4月30日 上富良野村議会二代議長に海江田武信就任。(〜26.3.27)
1950年 昭和25年 5月31日 清富水力発電所が完成、点灯式を挙行。*地域利用戸数28戸-後に7戸増加(昭和35年12月24日北電導入により送電廃止)
1950年 昭和25年 6月1日 北海道開発庁発足。(長官増田甲子七開発事業の実施は従前どおり北海道があたる。庁内に北海道開発審議会を設置。)
1950年 昭和25年 6月4日 第2回参議院議員通常選挙。・前北海道議会議員石川清一(上富良野農協組合長)参議院議員に当選。
1950年 昭和25年 6月20日 上富良野農畜産加工協同組合創立。新栄町に簡易屠場を設置。(現光町1丁目付近)(昭和33.1.20同加工協同組合を解散)
1950年 昭和25年 06月--日 服部歯科医院開業。(現錦町2丁目5)院長服部啓一(〜47.6月札幌市へ転出)
1950年 昭和25年 7月31日 石狩・空知・上川・胆振・十勝地方に豪雨災害。(死者23人、行方不明15人、負傷70人余、家屋流失62戸など。)
1950年 昭和25年 07月--日 多屋弘編『東本願寺北海道開教史』中富良野法栄寺住職(故人)著
1950年 昭和25年 8月10日 警察予備隊令公布〔ポ政〕
1950年 昭和25年 8月10日 上富良野中央婦人会設立。初代会長梅野よし江
1950年 昭和25年 8月17日 富良野信用組合上富良野支所開設。(昭26.6.25信用金庫法の施行により、富良野信用金庫上富良野支店となる。)
1950年 昭和25年 9月1日 上富良野中学校東中分校が「東中中学校」と改称独立。初代校長矢田部文六(開校記念日となる。)
1950年 昭和25年 9月5日 東中小学校開校50周年記念式を挙行。
1950年 昭和25年 9月8日 上富良野野球協会創立。(初代会長堀内桂治)
1950年 昭和25年 9月11日 自作農の創設に関する政令公布〔ポ政〕(7.31以後生じた小作地譲渡規定など)
1950年 昭和25年 9月18日 東中地区にラジオ協同聴取施設完成。
1950年 昭和25年 9月27日 農地改革記念式典を行う。
1950年 昭和25年 09月--日 地元新聞「上富良野新聞」を発刊する。
1950年 昭和25年 09月--日 「上富良野新聞」創刊主幹岩田悌四郎
1950年 昭和25年 10月1日 第7回国勢調査実施。北海道の人口429万5,567人〔上富良野の人口〕・世帯数2,138戸、・人口13,261人
1950年 昭和25年 10月18日 上富良野中学校江幌分校開校。(昭27.4.1江幌中学校に改称独立。二代学校長奥田房三)
1950年 昭和25年 10月19日 上富良野中学校日新分校開校。(昭27.4.1日新中学校に改称独立。二代学校長鈴木信)
1950年 昭和25年 11月--日 富良野営林署上富良野苗畑事業所が創業。(現緑町1丁目付近)
1950年 昭和25年 12月25日 日本劇場が新築落成、創業する。支配人宇佐見利治(現中町1丁目4-8)
1950年 昭和25年 12月29日 警察予備隊の第2管区総監部を札幌市に設置。
1950年 昭和25年 この年 新佐川道路工事完工。
1950年 昭和25年 この年 動力耕耘機の普及が目立つ。(28〜29年以降飛躍的に増加する。)
1950年 昭和25年 この年 朝鮮戦争による特需景気が起こる。
1951年 昭和26年 1月10日 東中農協青壮年連盟創立総会開催。初代部長土屋久雄
1951年 昭和26年 3月31日 農業委員会法公布〔法〕(農業改良委員会・農業調整委員会・農地委員会が統合、農業委員会となる。)
1951年 昭和26年 4月23日 上富良野村長、村議会議員選挙。
1951年 昭和26年 4月30日 第2回北海道知事、道義会議員選挙。
1951年 昭和26年 5月4日 3代議長福家敏美就任。(〜38.4.29)
1951年 昭和26年 05月--日 電信電話公社上富良野電話中継所設置。(現南町2丁目1)6/25・富良野信用金庫上富良野支店に改称。
1951年 昭和26年 6月8日 住民登録法公布〔法〕
1951年 昭和26年 6月8日 住民登録法公布〔法〕
1951年 昭和26年 6月13日 北海道開発法の一部改正により、北海道開発局となる。
1951年 昭和26年 7月6日 上富良野村を町とする許可申請。
1951年 昭和26年 7月20日 上富良野農業委員会委員選挙。初代会長 奧野忠治 就任(〜昭和44.7.19)
1951年 昭和26年 7月22日 空知郡上富良野村を町とする〔告示〕
1951年 昭和26年 8月1日 町制施行上富良野町となる。初代町長田中勝次郎、初代助役北川與一就任。(〜30.4.7)、初代収入役新井與市郎就任。(〜30.6.3)
1951年 昭和26年 8月1日 町制施行記念式典を挙行。
1951年 昭和26年 8月2日 上富良野農業協同組合青壮年部設立。初代部長多田武雄
1951年 昭和26年 8月25日 上富良野町公民館条例制定。〔公布〕
1951年 昭和26年 9月21日 町制施行記念全町児童生徒体育大会を開催。(上富良野小学校グランド)
1951年 昭和26年 10月20日 上富良野町固定資産評価審査委員会設置により、委員を選任する。〔条例〕
1951年 昭和26年 11月20日 上富良野町公民館が開館。(旧青年学校校舎を改修。)(現富町1丁目3-30)
1951年 昭和26年 11月29日 上富良野通運株式会社創立。取締役社長山本逸太郎
1951年 昭和26年 11月--日 上富良野町公民館東中分館新築落成。
1951年 昭和26年 5月26-29日 上富良野中学校グランド整地作業を、全校生徒と校下青年団員が車馬を使い奉仕労働を行う。(3カ年計画で実施)
1951年 昭和26年 この年 都市計画法による指定を受ける。
1951年 昭和26年 この年 清富で「ハッカ」の栽培をはじめる。
1951年 昭和26年 この年 旭川〜浦河間道路2級国道(237号線)となる。
1951年 昭和26年 この年 この頃、米の中生種「栄光」水稲作付けの首位となる。(昭和27年の作付け面積3万2,000町歩)
1951年 昭和26年 この年 十勝岳スキー山岳会設立。初代会長西村又一(十勝岳山岳会とスキークラブが合併して結成。)
1952年 昭和27年 2月11日 富良野通運株式会社創業。社長山本逸太郎(32.10.1富良野通運鰍ニ合併、富良野合同通運鰹纒x良野支店となる。)
1952年 昭和27年 3月4日 十勝沖地震で、日高・十勝・釧路地方に災害。(死者30人負傷516人家屋被害3万961戸)
1952年 昭和27年 3月10日 北海道放送、ラジオの営業放送を開始。(道内初の民間営業放送)
1952年 昭和27年 4月1日 上富良野中学校分校の「江幌中学校」「日新中学校」が独立し、改称する。
1952年 昭和27年 4月10日 上富良野柔道愛好会が結成される。会長飛澤英壽(昭32.7剣道愛好会と合併して、武道愛好会と改称。)
1952年 昭和27年 4月28日 「東中郷土誌」発刊。東中郷土誌編纂委員会編
1952年 昭和27年 6月1日 東中富良野土地改良区設立認可初代理事長中西覚蔵(40.3.22東中土地改良区に改称。)
1952年 昭和27年 06月--日 上富良野町農協肥料共同配合工場を新設。
1952年 昭和27年 7月1日 上富良野小学校開校50周年記念式典を挙行。
1952年 昭和27年 7月10日 草分土地改良区設立認可。初代理事長田中勝次郎(8/23土功組合組織変更記念式を挙行。)
1952年 昭和27年 7月31日 保安庁法公布〔法〕(10.15警察予備隊を保安隊に編成替え。)
1952年 昭和27年 07月--日 御神輿献納奉賛会により、上富良野神社に御神輿一基他奉納。8月1日例大祭より町内の御神輿渡御はじまる。
1952年 昭和27年 8月20日 和田末吉酪農研究のため渡米する。
1952年 昭和27年 10月5日 全国一斉に市町村教育委員会委員選挙を執行。(本町教育委員定員5名内1名議会選任)
1952年 昭和27年 10月25日 保安隊の北部方面隊が編成される。(総監部札幌)
1952年 昭和27年 11月1日 全道の市町村に教育委員会を設置。
1952年 昭和27年 11月1日 上富良野町教育委員会設置。(事務局を公民館内に置く。)初代委員長海江田武信(〜30.3.31)、代教育長(兼助役)北川与一(〜28.3.31)
1952年 昭和27年 12月1日 保安隊北部方面隊の編成によって、特科団本部独立第1特科群本部、独立第1施設群本部などが北海道へ移駐開始。
1953年 昭和28年 2月19日 上富良野高等学校が独立校となる。(定時制普通科)
1953年 昭和28年 02月--日 東中農協婦人部が創立。初代部長西谷キミ
1953年 昭和28年 3月8日 札幌にあった保安隊第2管区総監部、旭川に移設開庁式を挙行。
1953年 昭和28年 3月18日 上富良野町社会福祉協議会設立。初代会長佐藤敬太郎(事務所を役場社会係に置く。)
1953年 昭和28年 3月31日 旭川・名寄・北千歳・島松の保安隊駐屯地新設工事が完成。
1953年 昭和28年 6月1日 2代教育長梅田鉄次郎就任。(〜31.9.30)
1953年 昭和28年 07月19日-08月01日 空知・上川・留萌・檜山・網走地方に水害発生。(死者7人負傷15人家屋被害1万6,531戸その他農林水産業などに被害。)
1953年 昭和28年 7月27日 町内集中豪雨により、河川氾濫、道路・農作物に大被害。
1953年 昭和28年 8月28日 日本テレビ、本放送を開始。(民間放送初のテレビ放送。)
1953年 昭和28年 10月--日 東中豆類精撰工場を新設。
1953年 昭和28年 12月--日 剣道愛好会結成。(32.7武道愛好会、43.12剣道連盟)
1953年 昭和28年 この年 公営住宅建設始まる。(第1種公営住宅10戸建築)
1953年 昭和28年 この年 冷害による農作物の被害甚大となる。
1953年 昭和28年 この年 旭川土木現業所富良野川改修事務所を設置する(富良野川改修工事に着手する。)大町2丁目6
1953年 昭和28年 この年 民謡愛好会を結成する。初代会長千秋薫
1954年 昭和29年 1月7日 富良野川鉱毒水処理を目的として、日新ダム建設を促進する中富良野村側の期成会を設立。
1954年 昭和29年 1月10日 町内各小・中学校、公民館等に青年学級が開講する。(29.1.10草分青年学級、同江花、3.21東中(公民館)、29.4.1里仁、同日新、同清富、4.20江幌、31.4.1上富良野町公民館、同旭野)
1954年 昭和29年 1月20日 竹谷洋裁学院(院長竹谷愛子)千葉洋裁学院(院長千葉美代子)が、それぞれ開院認可を受く。
1954年 昭和29年 4月1日 役場内に議会事務室を置く。
1954年 昭和29年 4月1日 北海道身体障害者福祉協会上川支部上富良野分会結成。会長本田茂
1954年 昭和29年 05月09-10日 全道に暴風雨災害(死者26人行方不明390人負傷69人家屋被害2万1,467戸その他農水産業被害多大。)
1954年 昭和29年 6月8日 警察法(新法)公布により、国家地方警察・自治体警察を廃止、北海道警察に統合し、北海道警察本部とその下部機関として、5方面本部を置く。
1954年 昭和29年 6月9日 防衛庁設置法・自衛隊法各公布〔法〕(保安隊を改組し、陸・海・空3軍方式に拡大。)7.1施行
1954年 昭和29年 6月27日 「岡本三男の碑」十勝岳中腹の泥流地帯に建立する。
1954年 昭和29年 7月12日 富良野川/ヌッカクシフラヌイ川鉱毒防止促進期成会が設立。(上富良野町側)
1954年 昭和29年 8月7日 天皇・皇后両陛下来道、道南・道央・道東地方を巡幸。22日札幌市で第9回国民体育大会開会式にご出席。(23日還幸)
1954年 昭和29年 8月16日 第9回国民体育大会聖火旗、上富良野町内(国道237号線道路)を通過、田中勝次郎町長を先頭に通過リレーを行う
1954年 昭和29年 9月1日 好仁堂進藤医院開院(現錦町2丁目2番)(昭和53.2院長死去により閉院)
1954年 昭和29年 9月11日 上富良野町農協婦人部設立総会を開催。初代部長林下フサ
1954年 昭和29年 9月26日 台風15号並びに5月暴風による林業被害。(被害面積17万900ha被害材積8,914万8,000石)
1954年 昭和29年 9月26日 台風15号襲来。青函連絡船洞爺丸など5隻沈没。岩内町で大火。(死者1,320人行方不明206人負傷1,130人家屋全壊・全焼9,689戸立木被害5,506万石その他甚大な被害を全道におよぼす。)
1954年 昭和29年 9月26日 台風15号上富良野町の被害。・家屋倒壊-36戸・屋根の大破-70戸・電柱倒壊-50本、・電柱小破-150本・消防本部のサイレン落下、・上富良野小学校等の屋根、教員住宅屋根等が破損、・その他農作物等、全町的に被害を受け、市街中の看板等が飛散し、終夜停電となる。
1954年 昭和29年 12月--日 美瑛ハイヤー鰹纒x良野営業所として創業。(昭34年十勝岳ハイヤー株式会社に改編。)
1954年 昭和29年 12月--日 上富良野ハイヤー叶ン立創業。
1954年 昭和29年 この年 道営軌道客土事業に着手。
1954年 昭和29年 この年 江幌国有保安林が町に払下げになる。
1955年 昭和30年 2月7日 ラベンダー耕作組合創立。組合長上田美一
1955年 昭和30年 2月27日 第27回衆議院議員総選挙。
1955年 昭和30年 3月3日 第10回国民体育大会冬季大会旭川市で開く。
1955年 昭和30年 4月1日 2代教育委員長 金子小次郎就任(昭和31.9.30)
1955年 昭和30年 4月23日 北海道知事・道議会議員選挙。
1955年 昭和30年 4月30日 上富良野町長・町議会議員選挙。
1955年 昭和30年 04月--日 今月の生活保護受給者が、3万4,082世帯・11万1,356人となり、生活保護法施行以来の最高となる
1955年 昭和30年 5月1日 2代町長海江田武信就任。
1955年 昭和30年 5月7日 閣議、本年度産米から米の予約買付け制を採用(供出割当制は廃止、事前売渡し申込制となる。)
1955年 昭和30年 05月--日 上富良野町母子会が結成。初代会長北村フジノ
1955年 昭和30年 6月4日 2代助役本間庄吉就任。(〜34.6.3)
1955年 昭和30年 6月10日 「沼崎重平翁彰徳碑」美馬牛駅前庭に建立。
1955年 昭和30年 6月16日 2代収入役西谷勝夫就任。(〜38.6.15)
1955年 昭和30年 6月20日 上富良野商業協同組合創立。初代理事長山本逸太郎
1955年 昭和30年 6月28日 和田松ヱ門欧州視察に出発する。
1955年 昭和30年 8月2日 8月30日にかけ、道北・道央・上川・宗谷地方に水害発生。被害状況(死者12人行方不明1人負傷者28人)
1955年 昭和30年 09月06-09日 第2特車大隊移駐(37.1.18第2戦車大隊に改称)
1955年 昭和30年 9月1日 陸上自衛隊、上富良野町に移駐する。初代駐屯地司令鳴川勝一佐[第2特科連隊・業務隊・344会計隊・警務隊・301基地通信隊・調査隊]
1955年 昭和30年 9月13日 東中土地改良区溝路改良(開渠)工事完了。
1955年 昭和30年 10月1日 第8回国勢調査実施。全国の人口…8,927万5,529人、北海道の人口…477万3,087人〔上富良野町の人口]・世帯数2,508戸、・人口16,918人
1955年 昭和30年 11月8日 上富良野町交通安全協会設立。初代会長山本逸太郎
1955年 昭和30年 11月20日 東中農協事務所、店舗新築竣工。(24日より営業を開始する。)
1955年 昭和30年 この年 上富良野菊花愛好会が発足。会長二口正次郎(昭和36年菊花盆栽愛好会に改称。)
1955年 昭和30年 この年 鰊凶漁、以後回復を見ず。
1955年 昭和30年 この年 下期より32年上期頃まで、景気上昇し「神武景気」となる。
1956年 昭和31年 1月27日 元オリンピック選手の稲田悦子・有坂隆裕が、自衛隊営庭特設スケートリンクで、上富良野初のフィギュアスケートの模範演技を披露する。
1956年 昭和31年 1月28日 このみち俳句会設立。代表本田不久朗(茂)
1956年 昭和31年 3月9日 自衛隊駐屯地営庭で、第1回雪まつり開催。
1956年 昭和31年 3月22日 天理教江花布教所開所。
1956年 昭和31年 4月1日 町で国民健康保険事業を再開。
1956年 昭和31年 4月14日 積雪寒冷地域における道路交通の確保に関する特別措置法公布(除雪事業・凍雪害防止事業等拡大。)
1956年 昭和31年 5月24日 日本ボーイスカウト上富良野第1団が発隊。団委員長一色正三隊長酒匂佑一
1956年 昭和31年 05月--日 東中中学校で濱教諭の指導により、アスパラガスの試作を行う。
1956年 昭和31年 7月8日 第4回参議院議員通常選挙
1956年 昭和31年 9月8日 明憲寺本堂、庫裡改築竣工、法要執行。(着工29.9.6)
1956年 昭和31年 9月28日 空知郡富良野町及び東山村を富良野町に合併して置町する。〔告示〕9.30施行。
1956年 昭和31年 10月1日 教育委員会制度改正により、教育委員会委員の選出が任命制に改まる。第3代教育委員長 山本逸太郎(〜昭和37.9.30)
1956年 昭和31年 10月1日 三代教育長酒匂佑一就任。(〜34.6.3)
1956年 昭和31年 10月10日 多田弾薬支処、島松から移駐。
1956年 昭和31年 11月10日 江花・山形団体開拓50周年記念「開拓記念碑」建立
1956年 昭和31年 11月20日 上富良野高等学校(定時制普通科)が、上富良野小学校から、上富良野中学校へ移転。(中学校に併置となる。)
1956年 昭和31年 12月--日 旬間新聞「あゆみ」を発行。主幹會田久左ェ門。
1956年 昭和31年 この年 町で塵介収集、し尿汲取り事業を開始する。
1956年 昭和31年 この年 十勝岳山麓集約酪農地域の指定を受ける。
1956年 昭和31年 この年 昭和28年・29年の冷害凶作につづき未曾有の凶作となる。